記事
- 2011年12月22日 23:22
より差し迫った問題
この頃……に限ったことではないのかも知れませんが、年金制度が色々と取りざたされています。まぁ、どこの国でも年金制度は成長を前提とした制度です。日本のように世界の潮流に抗うかのごとく経済成長を止めた国では壁に突き当たるのも必然と言えます。そのせいもあって色々な改革案――と称した年金切り下げ論が延々と繰り返されているような状況で、いやはや先行きが心配ですね。果たして無事に年金を受け取れるのでしょうか、うちの親は。
世代によって、気になるポイントは異なると思います。自分が年金受給年齢だったり、年金受給年齢間近であれば、自身の受給額が問答無用で切り下げられやしまいかと不安に感じるところでしょう。これは当然ですね。一方、もうちょっと別の心配をしたらどうだろうと、若い世代に対しては思うところでもあります。つまり若い世代でも自分が年金を受け取れるのか不安と言うよりもはや疑問に思う人がいて、その疑念を焚きつけるような主張や記事は至る所で繰り返されているわけです。しかし、もっと別のことを心配すべきだと、私は言いたいのです。
もちろん将来のことを考えるのが悪いとは言いませんけれど、まだ若い人が年金受給年齢に達するのは随分と先のこと、それこそ鬼が笑うレベルの話です。いずれは訪れるものであるにせよ、もうちょっと「先」に直面せざるを得ない問題を心配する必要があるのではないでしょうか。それはすなわち「自分の親が年金を受給できるかどうか」です。少なくとも私には、そっちの方が差し迫ったな問題なのですが……
まぁ、既に年金受給年齢に踏み込んだ私の両親であれば、年金が切り下げられる前に逃げ切ることができるだろうとは思います。ただ、日に日にヒステリックになっていく世論と、それに媚びる政治家の姿を見るに何が起こるかは予断を許しません。若者のためと称して高齢者向けの福祉を悪玉視するような論調も、とりわけ経済に関して知ったかぶりをしたがる層には目立ちます。改革という錦の御旗の下、年金の大幅なカットが絶対に起こらないと言い切ることはできないでしょう。若い人が今後直面するであろう危機は、まず自分の年金よりもまず親が年金をもらえなくなることです。
親が年金をもらえなくなる、あるいは大幅に減額される事態を真剣に考えてみましょう。もしあなたの親が資産家であるならば、心配いらないのかも知れません。しかし、あまり裕福ではなく貯金もない家庭の場合、年金が大幅に減額されるとあらば当然のように老親の生活は苦しくなります。そんなとき、「子」はどうすべきでしょうか。私の場合は他人の心配をしている余裕なんてないのですけれど、それでも親が生活に困窮するとあらば、やはり手を拱いているわけにもいきません。多少なりとも自分の収入を親を経済的に支えるために割かざるを得なくなるわけで、これはつらいです。そのような事態を避けるためにも、自分よりもまず親世代がちゃんと年金を受け取れるようであって欲しいと願うばかりです。
私よりも若い世代であれば尚更のこと、自分の親が年金を十分に受け取れなくなるリスクは高まってくることでしょう。そうなったとき、お互いに「自立」した人間として親子の縁を切るのか(日本の「自立」した親は子供に頼ることを避けたがるものですが、それに甘えるのはどうかと思います)、それとも年金制度ではなく自分自身の稼ぎによって親を経済的に支援していくのか、どちらかを選ばざるを得なくなってしまいます。世代間格差解消などといって年金削減を訴える人もいますが、そういう人の甘言に載って年金支給の抑制を許すとなると、当然ながら若者の「親」が経済的に困窮することになる、その親を経済的に支援すべき「子」に重い負担がのし掛かることになるわけです。このような事態こそ、絶対に避けるべき事態ではないでしょうか。
別に年金だけではなく、他の社会保障でも同様のことが言えます。高齢者向けの医療関係に大胆にメスを入れられれば、誰かの親が大病を患ったときには莫大な医療費負担が発生する、それを親の貯金ではまかないきれなくなったとき、代わって経済的な負担をを余儀なくされるのは子供すなわち若者です。もちろん「自立」を重んじる日本人として親を見捨てる人もいるかも知れませんが、そういう人は少数派であると思いたいです。結局のところ特別な事情があるでもない家庭では親が子を育てるように、いずれは子が親の面倒を見ることにもなります。そうした中では公的制度(年金や医療)を通して高齢者すなわち親世代を経済的に支えるのか、それとも各自の親を子供たちが自腹で支えるのか、この二択に辿り着くわけです。若者の負担を慮る風を装った高齢者向けの社会保障削減案というのは要するに、社会全体による負担から自己責任型の個人負担への移行を意味するものでしかありません。
以前にも触れたことですが、少子化時代の子供は恵まれています。大人の数に比して子供が少なければ少ないだけ、子供は大切にされるものです。端的に言えば親や社会からの養育、教育リソースが集中的に投下されることになるため、自分用の一人部屋を与えられたり、大学などへの進学機会も飛躍的に増加、子だくさんの時代よりも格段に恵まれています。私が幼少の時代と比べても、ネットや携帯などの通信インフラを早い段階から与えられることが多いなど、まぁ今の子供が羨ましくなるようなことは少なくありません。そんな私だって両親の子供時代に比べれば格段に恵まれた環境で育ちました。産まれた時代によって随分と境遇が異なるわけで、これこそ世代間格差と呼ばれるべきものと思います。
もっとも子だくさんの時代に産まれた人は、頭数が多い分だけ「高齢者を支える」負担が軽くなります。逆に少子化時代に産まれた人は逆に少ない人数で「高齢者を支える」ことが求められることになる、その辺をトータルで考えれば、まぁ公平になるようにできているのかも知れません。ただ、教育リソースを集中投下されて育った世代は当然ながら高等教育を受けて高収入の職に就く、それによって少ない人数で高齢者を経済的に支えることが期待されるわけですが、高等教育を受けた人の顕著な増加にも関わらず収入は減少傾向にあります。この辺は年金制度の問題と言うより経済の方に問題がある、年金制度の方を責めるのは筋違いと思えなくもありませんが、とにかく齟齬が産まれている点は後々に渡って問題となることでしょう。現在の社会保障体制を単に維持するためだけにでも、経済成長は求められるところです。
世代によって、気になるポイントは異なると思います。自分が年金受給年齢だったり、年金受給年齢間近であれば、自身の受給額が問答無用で切り下げられやしまいかと不安に感じるところでしょう。これは当然ですね。一方、もうちょっと別の心配をしたらどうだろうと、若い世代に対しては思うところでもあります。つまり若い世代でも自分が年金を受け取れるのか不安と言うよりもはや疑問に思う人がいて、その疑念を焚きつけるような主張や記事は至る所で繰り返されているわけです。しかし、もっと別のことを心配すべきだと、私は言いたいのです。
もちろん将来のことを考えるのが悪いとは言いませんけれど、まだ若い人が年金受給年齢に達するのは随分と先のこと、それこそ鬼が笑うレベルの話です。いずれは訪れるものであるにせよ、もうちょっと「先」に直面せざるを得ない問題を心配する必要があるのではないでしょうか。それはすなわち「自分の親が年金を受給できるかどうか」です。少なくとも私には、そっちの方が差し迫ったな問題なのですが……
まぁ、既に年金受給年齢に踏み込んだ私の両親であれば、年金が切り下げられる前に逃げ切ることができるだろうとは思います。ただ、日に日にヒステリックになっていく世論と、それに媚びる政治家の姿を見るに何が起こるかは予断を許しません。若者のためと称して高齢者向けの福祉を悪玉視するような論調も、とりわけ経済に関して知ったかぶりをしたがる層には目立ちます。改革という錦の御旗の下、年金の大幅なカットが絶対に起こらないと言い切ることはできないでしょう。若い人が今後直面するであろう危機は、まず自分の年金よりもまず親が年金をもらえなくなることです。
親が年金をもらえなくなる、あるいは大幅に減額される事態を真剣に考えてみましょう。もしあなたの親が資産家であるならば、心配いらないのかも知れません。しかし、あまり裕福ではなく貯金もない家庭の場合、年金が大幅に減額されるとあらば当然のように老親の生活は苦しくなります。そんなとき、「子」はどうすべきでしょうか。私の場合は他人の心配をしている余裕なんてないのですけれど、それでも親が生活に困窮するとあらば、やはり手を拱いているわけにもいきません。多少なりとも自分の収入を親を経済的に支えるために割かざるを得なくなるわけで、これはつらいです。そのような事態を避けるためにも、自分よりもまず親世代がちゃんと年金を受け取れるようであって欲しいと願うばかりです。
私よりも若い世代であれば尚更のこと、自分の親が年金を十分に受け取れなくなるリスクは高まってくることでしょう。そうなったとき、お互いに「自立」した人間として親子の縁を切るのか(日本の「自立」した親は子供に頼ることを避けたがるものですが、それに甘えるのはどうかと思います)、それとも年金制度ではなく自分自身の稼ぎによって親を経済的に支援していくのか、どちらかを選ばざるを得なくなってしまいます。世代間格差解消などといって年金削減を訴える人もいますが、そういう人の甘言に載って年金支給の抑制を許すとなると、当然ながら若者の「親」が経済的に困窮することになる、その親を経済的に支援すべき「子」に重い負担がのし掛かることになるわけです。このような事態こそ、絶対に避けるべき事態ではないでしょうか。
別に年金だけではなく、他の社会保障でも同様のことが言えます。高齢者向けの医療関係に大胆にメスを入れられれば、誰かの親が大病を患ったときには莫大な医療費負担が発生する、それを親の貯金ではまかないきれなくなったとき、代わって経済的な負担をを余儀なくされるのは子供すなわち若者です。もちろん「自立」を重んじる日本人として親を見捨てる人もいるかも知れませんが、そういう人は少数派であると思いたいです。結局のところ特別な事情があるでもない家庭では親が子を育てるように、いずれは子が親の面倒を見ることにもなります。そうした中では公的制度(年金や医療)を通して高齢者すなわち親世代を経済的に支えるのか、それとも各自の親を子供たちが自腹で支えるのか、この二択に辿り着くわけです。若者の負担を慮る風を装った高齢者向けの社会保障削減案というのは要するに、社会全体による負担から自己責任型の個人負担への移行を意味するものでしかありません。
以前にも触れたことですが、少子化時代の子供は恵まれています。大人の数に比して子供が少なければ少ないだけ、子供は大切にされるものです。端的に言えば親や社会からの養育、教育リソースが集中的に投下されることになるため、自分用の一人部屋を与えられたり、大学などへの進学機会も飛躍的に増加、子だくさんの時代よりも格段に恵まれています。私が幼少の時代と比べても、ネットや携帯などの通信インフラを早い段階から与えられることが多いなど、まぁ今の子供が羨ましくなるようなことは少なくありません。そんな私だって両親の子供時代に比べれば格段に恵まれた環境で育ちました。産まれた時代によって随分と境遇が異なるわけで、これこそ世代間格差と呼ばれるべきものと思います。
もっとも子だくさんの時代に産まれた人は、頭数が多い分だけ「高齢者を支える」負担が軽くなります。逆に少子化時代に産まれた人は逆に少ない人数で「高齢者を支える」ことが求められることになる、その辺をトータルで考えれば、まぁ公平になるようにできているのかも知れません。ただ、教育リソースを集中投下されて育った世代は当然ながら高等教育を受けて高収入の職に就く、それによって少ない人数で高齢者を経済的に支えることが期待されるわけですが、高等教育を受けた人の顕著な増加にも関わらず収入は減少傾向にあります。この辺は年金制度の問題と言うより経済の方に問題がある、年金制度の方を責めるのは筋違いと思えなくもありませんが、とにかく齟齬が産まれている点は後々に渡って問題となることでしょう。現在の社会保障体制を単に維持するためだけにでも、経済成長は求められるところです。