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差別を乗り越えていくための、ビジョン

もうこの話はいい加減やめとこうと思っていたが、まだ引っ張るメディアがあるので。

エイズは1981年に米国で発見された病気だが、当時の米国は大パニックに陥ったという。ぼくは2001年9月11日にはニューヨークの病院で仕事をしていたから、その後のパニックと無意味なイラク戦争への突入の空気を肌で知っている。米国人は案外パニックに弱い(日本同様に)。81年当時もえらい騒ぎであったであろうことは容易に想像できる。

http://www.nejm.org/na101/home/literatum/publisher/mms/journals/content/nejm/2014/nejm_2014.371.issue-25/nejmp1413425/20141212/images/large/nejmp1413425_f1.jpeg

ぼくがニューヨークのエイズクリニックにいた2000年前後にはさすがにこのようなパニックはなくなっていたが、患者への偏見、差別はまだ大きかった。患者への差別を恐れてこのクリニックにはエイズクリニックとかHIVクリニックとは言わず、別の名前がついていた。患者のプライバシーを守るのには最大限の注意が必要だった。

現在でも国内外でHIVやエイズには差別や偏見がつきまとう。家族関係が脅かされたり、雇用が危うくされる事例も珍しくない。我々は患者の個人情報に配慮し、厳密な情報管理を行っている。

が、しかし。このような秘匿、囲い込みは問題のゴールにはならない。

日本ではエイズ診療の専門性が高い「拠点病院」というシステムがある。しかし、劇的に患者の予後が改善し、(長命になったがゆえに)患者がエイズ以外の病気になることが増えた。様々な医療ニーズに答えるためには、拠点病院だけではまかないきれない。しかし、拠点病院以外の医療機関では現在でも頑なに患者の受け入れを拒むところが後を絶たない。兵庫県内の某病院で某外科医がHIV感染のある患者の緊急手術を頑なに拒んだとき、ぼくは激怒したものだ。

秘匿は無理解につながり、無理解はさらなる差別の深化を生む。患者の保護は大切だが、それだけではだめだ。

例えば、約10年前に神戸大病院ではHIV検査の「同意書」を廃止した。もちろん、HIV検査に同意は必要だ。しかし、他の血液検査は口頭での同意でよいのに、HIV検査だけ署名が必要というのは別な種類の差別であろう。極端な差別とパニックが強かった時代ならともかく、現在においてはHIV感染は「その他の感染の一つにすぎない」という観念も必要である。そして、それを態度で示すことも。

このように、差別に対しては秘匿や保護という過渡期は必要だが、そこで止まっていてはダメなのだ。いわゆるノーマライゼーションが必要なのだ。ゆくゆくは、HIV感染も決して隠しぬくような疾患ではなく、他の疾患と同じように扱ってもらえる。これが目指すべきゴールである。

無知は差別の温床だ。テレビで日本のタレントが顔を「黒塗り」にしたとき、「あれは黒人の友人とかがいないからそんなことができるんだ。もし知ってたら絶対にそんなことはしない」と憤った人がいる。

それは事実かもしれない。多くの日本人は「黒塗り」が英米文化圏でのタブーであることを知らなかったのだから。

では、そのような知識の獲得を受けて、日本でも黒塗りをタブーとすべきか。ぼくは逆だと思う。

かつて、「ちびくろサンボ」という絵本が黒人差別を助長するという理由で発禁処分にされたことがあった。手塚治虫の漫画も同様の理由で攻撃された。どこにも黒人差別を明示も暗示もしていないこれらの表現に対する規制は、例えば黒人など見たことがない多くの日本の子供たちの黒人理解の妨げにこそなれ、理解推進には何の役にも立たなかっただろう。

日本人もパニクってばかりではない。理性を持って「ちびくろサンボ」は復刊され、現在では手塚治虫の漫画も読むことができる。これらは黒人差別克服の一助にこそなろうが、邪魔になることはあるまい。

スペイン語で「黒」はnegroという。ただそれだけの単語で、黒という色以上の意味はない。アメリカ人やイギリス人が「いやいや、ネグロは黒人差別を象徴する単語だから、そんなの口にしちゃだめですよ」なんて言えば、スペイン人は鼻白み、「そんなの、オタクたちの歴史でしょ」と肩をすくめる事だろう。

スペイン人が差別や弾圧の歴史を持たないわけではない。とくにアメリカ大陸ではずいぶんひどいことをしている。しかし、スペイン人はアメリカ人やイギリス人がやったような構造的な黒人差別の歴史を持たない。黒人を奴隷にし、商品として船に積み込んで苛烈な状況下で移動を強い、乗り物やレストランや学校を区別し、こうした徹底的な差別の歴史が「negro」をタブーなコトバとしたのだ。

しかし、もともとnegroはラテン語由来の単に色を表す価値中立的な単語である。イタリア語のネッロやフランス語のノアールも同様だ。英語圏でネグロがタブーとなったのはその歴史の故である。その歴史を英語圏以外の人々が認識することの価値が高いだろうが、他者がその歴史を背負ってタブーを共有する意味はない。

日本人も黒人差別と無縁ではない。2015年の曽野綾子氏の発言をぼくは問題視し、批判している
http://georgebest1969.typepad.jp/blog/2015/02/%E6%9B%BD%E9%87%8E%E7%B6%BE%E5%AD%90%E6%B0%8F%E3%81%AE%E8%A8%80%E3%81%84%E5%88%86%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.html)。
もちろん、日本人が差別をしない国民だなんていうのも戯言に過ぎず、現在もこの国ではあれやこれやの差別でいっぱいである。

が、たとえ一部の日本人に黒人蔑視の観念があろうと、英語圏で起こった構造的な黒人差別の歴史を共有しているわけではない。その歴史が生み出したタブー表現を共有しなければならない義務もない。

もともと日本では歌舞伎などに始まり、人が何かに扮するときに顔を塗る習慣がある。白く塗り赤く塗り、そして黒く塗ってきた。そこには何の含意も暗示もなく、色はただの色である。スペイン人がネグロというのと何の変わりもない。

英語圏の人で、そのような日本の文化を不愉快に思う人がいたら、(スペイン人がそうするように)ちゃんと説明すればよいのだ。そこには差別の暗示はないのだと。もし、差別表現が実際にあれば、個別にそれを批判すればよい。とんねるずの男性同性愛者差別は明らかに差別を意図していた。

しかし、暗示のない形式そのものをタブーにすれば、それは「ちびくろサンボ」のときと同じ失敗を繰り返すことになる。

1990年代終わりにぼくはペルーで熱帯医学の実習を受けていたが、同時期に勉強に来ていたハーバードの医学生の言葉が忘れられない。彼女は黒人だった。黒人女性がハーバード医学校に入学するのはとても大変なことであり、それはそれは苦労したのだという。当時、米国では黒人をブラックというのは差別語だと規定し、アフリカン・アメリカンと呼べ、とぼくら研修医に教えていた。彼女は「黒い肌を黒と言って何が悪い。それをタブーとする態度が、それこそ差別である」と憤っていた。そのとおりだと僕も思った。

日本語で黄色人種は単なる人種の分類だが、英語でイエローは差別を暗示するから、「Asian」と言わねばならない。イエローが悪いからではなく、黄色人種差別があるからイエローがタブーになるのだ。順序を逆にしてはならない。

我々が目指すべきは、黒が差別を暗示しない社会を目指すことだ。黒色のノーマライゼーションである。なぜ黒塗りが差別を暗示しない文化圏で、差別のタブーの文化を押し広げようとするのか。逆ではないか。未来の、我々の子孫が黒い顔を見てもなにも差別の観念を持たないような社会を目指すこと。白塗りはいいけど、黒塗りはだめ。「黒」と口にしてはダメ、という社会を乗り越えることこそが、差別を乗り越えるゴールである。

繰り返すが、差別克服には過程というものが必要だ。「黒」が差別をインプライする英語圏でいきなり全てをノーマライズせよ、と主張しているのではない。英語圏に出かけていって、わざわざ黒塗りを見せるような無配慮なことをせよ、と乱暴を言っているのでもない。申し上げたいのは、差別のインプリケーションは、広げるのではなく、無くす方向にもっていくのがあるべき姿であるということだ。タブーを拡散していくなど、ゴールを見失った態度である。

過去の解説や現状説明で本件を取り扱ってはならない。未来へのビジョンこそが必要なのである。そして、日本の諸々の議論の多くはビジョンを欠いている。しばしばあるのは、現状の説明だけなのである。

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