- 2011年12月17日 10:49
永遠に未完のプロジェクト
民主党の前原誠司政調会長は12日午前、都内で講演し、政府が事業継続の是非を検討中の八ツ場ダム(群馬県長野原町)に関し「国土交通省が抵抗しているが、大きなダムには砂がたまるし、コンクリートを補修しないといけない。維持管理のことを考えているのか」と述べ、党方針に反して建設を進めようとする同省を名指しで批判した。
前原氏は「どこでゲリラ豪雨が降るかは分からない。利根川や荒川や江戸川が決壊しないよう、堤防を強化するのにおカネを使うことが大事なのではないか」と、ダムの必要性に疑義を呈した。
前回に引き続き前原が登場です。冗談は枝野だけにしてくれよと思うところですが、民主党も人材が豊富です。それはさておきどこでゲリラ豪雨が降るかわからないのは確かですし、ダム建設続行より堤防強化という発想はアリなのかも知れませんけれど、前原の思いつきではなく専門家の分析はどうなのかと気になります。素人の提言でも「そういう視点からの考慮も必要ですね」位には言えますが、実際にそれは妥当なのかどうかは別問題ですから。個人の感想なのか、専門家と熟議した上でまとめ上げた方針なのか、影響力の強い政治家の発言であるだけに、その辺は問われるべきでしょう。
いずれにせよ、ダム建設が継続されるのか中止されるのか、どちらに転んでも「従来型」の政治の域を出ないであろうと予測します。ここでの「従来型」とは、十数年来続く小泉的な政治手法を念頭に置いているわけですが、つまりどちらの陣営(継続派/中止派)の主張が通るにせよ、勝った方が「正義」として賞賛され、敗れた方は「悪」として誹謗の対象となるであろうと言うことです。双方とも対立陣営に既得権益者なり何なりとレッテルを貼りたがっている人は少なくないのではないでしょうか。これで主張の「通らなかった」側の人々にも損をさせないよう手厚い補償なりで上手いこと調整がなされるようであれば「変化」を感じさせるところですが、民主党にそれを期待するのは無理ですね。元より、建設中止を掲げながらダラダラ継続という可能性もありますし。
そして今回の前原発言の最大のツッコミどころは、「国土交通省が抵抗している」との行です。え、そうなの?
八ッ場ダム関係1都5県、建設継続求め緊急声明(読売新聞)政府が建設継続の是非を検討している八ッ場ダム(群馬県長野原町)について、民主党の前原政調会長が「本体工事に入ることは容認できない」と建設に反対する発言をしたことを受け、関係する利根川流域の1都5県(東京、埼玉、群馬、栃木、千葉、茨城)は9日、共同で、前田国土交通相に建設継続の決断を求める緊急声明を出した。 埼玉県の上田清司知事が呼びかけた。
声明文では、「国交省関東地方整備局による検証は科学的・合理的に行われ、建設継続は妥当と結論づけている。苦渋の選択でダム建設を受け入れた地元にとって、これ以上の時間をかけることは許されない」として、早期の建設再開を求めた。
冒頭で引用した前原発言は12日、そして1都5県の知事による共同声明は9日のことです。わずか3日前のことすら覚えていられないほど、前原は頭が悪いのでしょうか。それとも政治には疎いので共同声明のことなど知らなかったのでしょうか。勉強不足も良いところです。とりあえず確かなことは、八ツ場ダム建設中止に抵抗しているのは国土交通省だけではないと言うことです。地域住民や地元業者の中にも中止に反対している人はいますし、1都5県の選挙によって多数の支持を得てきた知事たちもまた中止に異を唱えているわけです。前原と同程度には信用ならない知事もいる点はさておくにしても、一応は有権者の信を得た政治家が中止に反対していることは無視すべきではありません。
それでも前原が「国土交通省が抵抗している」と語ったのは、官僚との対立構造をアピールしたかったからでしょうか。民主党政府と住民が対立しているのではない、民主党政府と首都圏の知事が対立しているのではない、すなわち政治家同士で対立しているのではない、あくまで反対しているのは国土交通省すなわち官僚なのだと、そう見せかけたがっているように見えます。何しろ相手が官僚であるならば、それだけで自分の正しさを喧伝できますから。つまり世間一般では官僚こそ諸悪の根源であり、官僚の決めることは何もかもが間違っているみたいに言われているわけです。そうした官僚が相手であれば論拠に乏しくとも頭ごなしに否定することが世間的には通用してしまいますし、官僚を否定すればするほど自分は国民の側に立っていると装うことができるのです。
自説に反対している相手が地域住民であったり、別の政治家であったならば事態は難しくなります。もちろん反対派住民や政治家に既得権益者とのレッテルを貼り、その意見を考慮するに値しないものとして退けるのは近年の政治における王道であるにせよ、最も与しやすい相手が官僚(公務員)であることは言うまでもないでしょう。民主党の掲げる八ツ場ダム建設中止に反対しているのが官僚であると国民に思い込ませることができれば、その支持を取り付けるのも簡単です。あれは官僚連中が進めたがっていることなのだ、その官僚と戦うのが民主党なのだ、これからは政治主導なのだと、そういう姿勢をアピールして支持を集めてきたのが民主党なのですから。
しかるに「そうあるべき」と世論調査では答える人が多い政治主導ですが、一方で政治主導が実現できていないと回答する人が目立つのもまた事実です。この辺りに「政治主導」という概念の本質が表れているようにも思います。結局のところ政治主導とは、永遠に達成されない未完の課題であり続けるのです。もし政治主導が実現されたならば、責任を問われるのはこれまでと違って主導しているはずの政治家となります。しかるに政治家に責任を負わせてしまっては官僚を諸悪の根源としてきた民主党のテーゼは崩壊してしまう、政治主導という看板は終焉を迎えてしまうわけです。そうではなく、「こうなったのも官僚が悪いのだ、だから官僚支配を打ち破って政治主導にしなければならないのだ」と言い続けること、これこそが政治主導の本質なのではないでしょうか。
だから政治主導は望まれるだけであり、永遠に実現されることなく掲げられ続けるのです。そしてそのためには、官僚との対立もまた続ける必要があります。政治家と政治家、住民と政治家の対立からは目をそらし、官僚と政治家の対立にこそ注目させる、そして官僚が政治に抗っている、妨害をしているとの構図を演出し続けることでこそ、政治主導は延命を図られるわけです。同時に、政治家の責任逃れも、ですね。「国土交通省が抵抗している」「要するに官僚連中のせいなのだ」と唱えれば、自己(=民主党政権)を正当化するのは簡単かも知れません。しかし現実には官僚「以外」の人々も抵抗しています。果たしていつまで政治主導という茶番を続けるのか、政治家の問題でもあることに前原(及び民主党政権)は向き合えるのか、八ツ場ダムは試金石となることでしょう。



