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父親であり夫 宇仁田ゆみ『うさぎドロップ』

ネタバレがありますので注意してください。


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2011年12月5日付の「民医連新聞」のコーナー「この一冊を読んでみた」で宇仁田ゆみ『うさぎドロップ』(祥伝社)を紹介した。

『うさぎドロップ』は、祖父の葬儀にいった30の独身男・ダイキチが、祖父の子であるというりんを引き取って育てる話である。6歳で引き取られたりんが高校生になってからのいわば「第二部」的な話が、5巻からはじまり、9巻で完結する。


「育ての親と結婚する」という結論への嫌悪

『うさぎドロップ』の結末が気持ち悪いというのがつれあいの感想である。つれあいは、このマンガについて常々この種の結論が出されることを「最悪」と評していた。なぜなら、りんが父親役であるダイキチのことを好きになってしまい、ダイキチも結局その気持ちを受け入れて結婚を約束してしまうからだ。

つれあいとの会話。

「りんは、一度家族をすべて失い、その後ダイキチに引き取られながら、また家族を失うようなモンだよ。結局だれも家族になれなかった」

「ダイキチは父親から夫になるじゃん」

「それはオトコになるってことでしょう。オトコなんて家族じゃないよ」

えーと。今あなたの目の前で会話している人間の立場は一体……?



リンク先を見る世の中に「父の娘」を嫌悪する意見というものはある。主にフェミニストの側から。



「父の娘」の物語を、父にとってのみならず、娘の側からも甘美な物語として描いたのは、第一三八回直木賞を受賞した桜庭一樹の『私の男』〔2007〕である。あまりにもスキャンダラスな内容だったために一部の審査員が授賞をためらったと伝えられる桜庭の作品は、二〇代シングルの男が災害で身内を失った親族の娘、その実、事情があってそれと名のることができない自分の娘をひきとって、男手ひとつで育て上げ、思春期に入った娘と性関係を結ぶという、現代の「紫の上」物語である。

……「あまりにスキャンダラスな」というのは、(男が多いはずの)審査員にとって、「あまりにわかりやすすぎるために認めるのがこわい」欲望を、図星でさし示されたからだと思えるし、「一樹」という男性名とまぎわらしい(というより女性作家が男性に性転換したような)ペンネームも、男性に同一化したカモフラージュのように思える。

……この物語は「父の娘」の視点から書かれている。タイトルが『私の男』であって、『オレの娘』でないことが示唆的だ。「父の娘」の物語が「父」たちに受け入れられているための条件は、それをほかならぬ「娘」が望んだ、というシナリオになっていることだからだ。「ボクは悪くない、なぜならあの子が誘惑したから」と。(上野千鶴子『女ぎらい』p.165、強調は引用者)


リンク先を見る『私の男』を実際に読むと、『うさぎドロップ』とは似ても似つかぬ物語と思うのだが、こうまとめられるとそっくりである。


リンク先を見るもうひとつ。北原みのりは、浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』の映画において、広末涼子が父親役の高倉健と「キスしちゃった」とうれしそうに騒ぐシーンに鼻白み、

つまり父親たちは娘たちと、つながりたがっている(場合もある)。そのことへ、私たちの社会は、ものすごく寛容である、ということ。(北原『フェミの嫌われ方』p.108)

と書いている。

まあ、うちのつれあい以外にこの流れでうさぎドロップ』を見ているやつなんかいないかもしれない。アマゾンのカスタマーズレビューには「つれあい派」がうようよいるけどね。

http://amzn.to/rBfvzg

ぼくはこの流れでは見ない。

育児のマンガとして

ぼくは『うさぎドロップ』の第一部というか、前半部分についてレビューを書いたことがある。

宇仁田ゆみ『うさぎドロップ』 - 紙屋研究所 リンク先を見る

何も育児に関心をもたなかった男が育児に出会うことのリアルな感覚が描かれていて、そのことにいたく感じ入った。「民医連新聞」でもそのことに焦点をあてて書かせてもらった。

学校のおはじきに名前を貼るときの苦労や、受けた予防接種を知らない男親への母親たちの呆れ返った顔、髪がうまく結べない男親の苦闘……といったトリビャルな描写にくわえ、育児と労働のあつれきのような問題の描き方がそれだ。

りんを引き取ったあとにダイキチは職場の第一線の部署をはずれる。そのことについて後輩から、子育ては労働=「自己実現」の犠牲ではないか、という問いをつきつけられる。それに対し、りんが小学校にあがってからの最後のシーンにおいて、歯がぬけかわる時期に前歯が文字通り「間抜け」になっているところを見たダイキチが、

これ…やっぱ

犠牲とかと

ちょっと違うような…

と思い直すのが「第一部」のいわば結論である。コマからはみだすように、太い描線で、間抜けな歯をみせて笑うりんの顔は、りんの顔として普遍的に可笑しいが、同時に育児をしている人間にとっては、こういう子どもの笑顔の瞬間は必ずあると確信させるものだ。育児の喜びの瞬間を知悉している宇仁田でこそ描けるコマであり、(「第一部」の)結論であろう。「第一部」を読む限り、これはどこまでも育児のマンガである、と思った。

そのように子どもを育てることのリアルを知りつくしている宇仁田が、「父親(役)であったオトコと娘が結ばれる」ことの違和感を知らないはずはない。むしろ誰よりもよく知っているはずである。りんは最終的にはダイキチとは血がつながっていないことが明らかになるが、それは単に法的な問題をクリアしたにすぎない。

にもかかわらずこの展開をもってきたのはなぜか。

「育児の実績ある父親をパートナーにしたい」

リンク先を見るそれは、自分をもっともうまく育ててくれたという得難い実績のある父親を、ふたたび得難い育児のパートナーにしたい、という驚くべき欲望ではないのか。

ダイキチという人間は、スーパーマンではない。しかし、おそらく宇仁田にとって、というかある種の人間にとって、「父親」としてベストな存在として描かれていることは疑いない。ベストな「父親」というのは、娘からみた父という意味でもあるし、妻からみて育児をする父という両方の意味がそこにある。

ダイキチは、たとえばりんの実母の正子にはどうにも感情的な反感をもってしまうが、それは何ら人間的欠陥ではなく、むしろ人間くささをしめす、ダイキチを立体的に浮かび上がらせる味付けでしかない。それ以外のほとんどすべてにおいて、娘との絶妙な距離感を保ちながら親としての愛情を表現する。

以下は正子が、物陰からダイキチ・りんの親子姿をみて、幼少のりんをひきとっていた宋一(ダイキチの祖父)と比較するセリフである。


ベタベタするでもなく

つき放すでもなく

りんとの距離感が

宋一さんそっくり!!(3巻p.190)

男のぼくであっても、ダイキチを家族やパートナーにすることは実にいいだろうなあと容易に想像できる。

ぼくはずいぶん前に榛野なな恵『ピエタ』を評した時、その物語に出てくる、ともに暮らす少女二人の関係について、「恋人」であり「母子」であり「友人」であり「同志」であると榛野が書いたのに注目したことがある。そこでは共同体が欲望されているのだ、と。

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/pieta.html

同じように、『うさぎドロップ』では、「父親」であるダイキチが求められている。「父親」とは自分を最も良い形で育ててくれた実績をもつ父という意味でもあり、その実績にかんがみこれからも育児を献身的にしてくれるであろう夫という両方の意味である。

そこに性的なニュアンスはほとんどない。皆無とはいわないが、すでに告白を終えたりんが、高校を卒業した日にダイキチに抱きつくのは(9巻p.193)、「父親への娘のハグ」ほどの意味しかない。

9巻のラストで、りんが

うん

こども産みたい

ダイキチの

というのは、それだけ抜き出せばなんという唐突さかと思う。父であったあなたとセックスしたい、という表現ではないか、とあわてるが、しかしその前後にある、

ダイキチはね

わたしが将来こども産んだら

ちゃんと一緒に育ててくれるってことも

わかってるから…


わたし

そういうひとがいいの(9巻p.210)

そしたらね

絶対その子のことを幸せにするの

わたしみたいにね(同p.211-212)

というセリフは、まさにダイキチが良好な育児の実績をもつ父であるからこそ自分の育児のパートナーにしたいという直截な表現である。ここでは、子どもを産むプロセスとしてのセックスはほぼ捨象され、育児という幸福をあなたとともに体験したいというまったく違ったニュアンスに変換されるのだ。

ああ、まったく。

父親は家族なのだ。

夫も家族なのだ。

なぜ父親を夫にしてはいけないのだろう!

そこには女にフラついた経歴があるコウキ(りんの幼なじみ)のような「リスク」もない。

宇仁田は本作のなかで「イレギュラーな家族」のあり方を何度もとりあげる(ちなみに、宇仁田の子育てに関する描写はいたるところで「政治的正しさ」に満ちているが、それを子育てや家族における「政治的正しさ」として一切押しつけがましくなく、物語に馴染んでスムーズに提示する力において宇仁田ほど優れた漫画家は他にいまい)。そうした敏感さをもつ宇仁田だからこそ、ぼくは大いに信頼して、ダイキチのりんの「結婚」さえ、ぼくはひとつの家族像として受けとめることができるのだ。

りんが、

わたし……

ずっとここにいたい


スーパーに行ったり

ダイキチのご飯

作ったり

一緒に食べたり…


他に望むことはないよ…(9巻p.83-84)

と自分の感情を表現するのは、父親であることと、夫であるということが区分されずに、そこが居心地のいい家庭であることだけがシームレスにとらえられていることの証左である。共同体が欲望されている。

リンク先を見る『高杉さんちのおべんとう』の中学生少女くるりも、長じればきっとこんなだよ!



ホームベースがなければ生きていけない

リンク先を見る宮台真司は『宮台教授の就活原論』(太田出版)のなかで、「ホームベースがなければ生きていけない」と論じている。


…「仕事での自己実現」という固定観念は危険です。むしろ仕事がどうあろうが、自分が自分でいられることが大切です。その意味で感情的安全を保証された帰還場所であるホームベースが大切です。それがあって初めて継続的にチャレンジできます。(宮台p.77-78)

人間というのはホームベースがなければ元気が出ない存在で、それがなければ神経症的になって、最後には潰れてしまいます。(同p.77)

として「ホームベースがなければ生きていけない」ことを強調する。

…仕事かホームベース(家庭)かという二項図式ではありません。仕事と家庭の二項が互いに触媒し合う相補性に注目しなければなりません。

OECD諸国のワークライフバランスを研究する渥美由喜氏によれば、男性正社員の育児休暇取得日数と、仕事のパフォーマンスとの間には、意外な関係があります。西ヨーロッパ諸国の統計データによると、四〇歳代に入る頃を分水嶺に、相互の関係が逆転するのだそうです。

若い頃は、育児休暇を取得せずに家庭を犠牲にして仕事をする人のパフォーマンス水準が高いのだけれど、中高年になると、育児休暇を取得しなかった人ほど、仕事のパフォーマンスが落ち、最終的には育児休暇を多く取得した人のほうが生涯賃金も高くなる。(同p.78)

むろん、このホームベースは、

家庭かもしれないし地域かもしれないし、趣味のサークルかもしれないし、何か別のものかもしれません。それは先験的には言えないものです。(同p.77)

と付け加えているが。

宮台は上野千鶴子の『おひとりさまの老後』を「違うなという印象を持ちました」(宮台p.81)として、一定の意義は認めつつも、絆コストの支払い=性別非対称による拘束という図式ばかりじゃないよと述べ、

でも、家族の外にある労働市場が過剰流動的になり、仕事が感情的安全を支えるものから程遠くなるにつれて、自分の幸せのために、ライフスタイルの自由の一部断念を必要とするソーシャルスタイルに向けて敢えて自己拘束することが、課題になってきました。

これからは、女性も男性も、ホームベースとバトルフィールドの行き来を繰り返さなければ、バトルも継続できないし、幸せにもなれません。(同p.81)

と「おひとりさまの老後」を批判する、というか危惧する。

宮台はこれまで、

ポストモダンが、共同性の不可能を刻印する一方、グローバル化が、共同性を不可避に要求する。どう構えるか(同p.4)

というテーマを論じてきたのだが、ポストモダンという設定自身が(多くは)ほぼ虚妄だと感じるぼくにとっては、まさに「グローバル化」というか資本主義の進展が不可避的に共同性を要求すると感じている。

『うさぎドロップ』が、父親でありながら夫を求めたのは偶然ではない。

視点を逆転させても同じである。

りんは、理想的な娘であると同時に、理想的な妻でもあるだろう。「有能」なパートナーと居心地のいい家庭をつくるという、新自由主義の時代に垂涎すべき欲望がここには横たわっている。そういう意味では「第二部」の結論においても、『うさぎドロップ』はどこまでも育児マンガであったのだ。

いや、ただね、ぼくの場合は、りんに対して「そして性的パートナーとしてもね」という視線が微量(ただちに健康には影響ないレベル)に入っていることも正直に書いておこう。これは自分の誤読の「愉しみ」である。なんだ、やっぱり上野や北原の言う通りではないか、とかいうツッコミは野暮ってことで、ひとつよしなに。(今4歳のぼくの娘が、後日思春期になってこのエントリを読み、モニタの前で吐く、とかいう安い設定もありえます。)

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