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“虐待の連鎖”を防ぐためには、保護者支援が欠かせない。特に要対協の対象から外れた未熟な親たちのケアは最重要 - 「賢人論。」第51回田中俊英氏(中編)

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賢人論。今回のゲストは、「officeドーナツトーク」代表・田中俊英氏。大学で学び直した臨床哲学の知見を活かし、さまざまな問題に苦しむ子ども・若者たちの支援に日夜飛び回っている。中編では、田中氏がドーナツトークを立ち上げた経緯や、子ども・若者支援に対する思いを伺った。「自分なりの”キャッチャー・イン・ザ・ライ“(サリンジャー)をつくりたかった」と田中氏は語る。

取材・文/佐藤 舜(編集部) 撮影/公家勇人

自分なりの“キャッチャー・イン・ザ・ライ”をつくりたかった

みんなの介護 前編「日本の残業が増えたのは、第3の居場所=サードプレイスを欲しているからかもしれない」では「officeドーナツトーク」の活動内容とビジョンについてお聞きしました。今後は、どのように活動を広げていく予定なのでしょうか?

田中 今、まさにそれを考えているところです。ミッションの寿命は6~7年。今使っているミッションをつくったのは5年前なので、これはあと2~3年しか保たない。子ども・若者支援に関してはやりきった感が自分の中でありますので、これをある程度のところまで完結させていく、ということを今後の目標にしていきたいと思います。私も53歳ですし、自分の人生に区切りを付けるという意味でも。

あとは、「ローカリティ」の中でどれだけ子ども・若者を支援できるか。都会と地方では、登校支援ひとつとっても、やり方に20年ほどの差があるんですよ。

スーパーバイザーとして地方に行くと感じることなんですが、福祉に対してすごく高い意識を持っている方が多い。でもそれをどうやって都心部でやっているような形にもっていけばいいかわからないそうなんです。ですから、地域の特色に合わせ、彼らの支援活動のお手伝いをしていきたいです。

みんなの介護 そもそも、田中さんが「officeドーナツトーク」を設立した経緯はどんなものだったのでしょうか?

田中 私自身、高校のときにすごく人生に迷った時期があって。17歳~19歳のとき、人生で最もつらかった。その頃出会ったのが、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』という本。最後、主人公のホールデン・コールフィールドが「ライ麦畑で遊んでいる子どもたちが崖の下に落ちそうになったら、すかさず走っていって受け止める者」になりたいと言ったのに、すごく共感した。それが当時の自分を支えていたストーリーでした。

サリンジャーの言う“キャッチャー・イン・ザ・ライ”になりたくて、最初は教師を目指していたんですが、教育実習で行った学校では体罰も行われていましたし、自分がやりたいこと・すべきことは学校教育というシステムの中ではできないと悟った。それで自分なりの“キャッチャー・イン・ザ・ライ”をつくりたいと思ったんです。

余談ですが、実は当時もうひとつ憧れていたものがあって。それは「ロッキン・オン・ジャパン」の初代編集長・渋谷陽一。それで、1980年代当時に旬だった介護・医療問題を扱った雑誌を自分たちで立ち上げ、出版していました。社会福祉に関わる前、大学を出てから30代までの話です。


自分が当事者として苦しんだ問題に取り組みたかった

みんなの介護 出版の仕事を辞め、社会福祉の道へ行かれたのはなぜですか?

田中 介護・医療関係者を中心にあちこち取材に行っていたんですが、「そうやって霞を食べて生きていくのか」って必ずいつも説教されていた記憶があります。当時はそれで生きていけていたんですが、30代のとき、これを人間の一生の仕事にしていいのかどうかと悩み、壁にぶつかってしまった。それをきっかけに大学で哲学を学び直し、学んだことを活かして社会福祉へ転向しました。

いざ自分が支援者として活動しようとなったときには、自分が最も関心があり、自分自身も当事者だった思春期の問題に取り組みたいと思っていました。当時、まだ「不登校」ではなく「登校拒否」という言葉が使われていたし、「社会的引きこもり」という概念も出ていない頃。子ども・若者問題についてまだきちんと理解が進んでいませんでした。

みんなの介護 それで参加したのが「淡路プラッツ」というNPOだった。

田中 7~8年前、私自身がそのNPOで働きすぎて、脳出血で倒れてしまったんです。10日くらい意識をなくしていたのですが、職場の近所に病院があったので幸い、後遺症も残らなかったのですが。とはいえその出来事は個人的な転換期になりました。

意識が戻ったとき、主治医の先生が「生かされた命なのだから、人のために貢献する仕事をしなさい」とおっしゃってくれました。いや、まさにその社会福祉の仕事を頑張りすぎた結果、倒れたんですけれど…、という思いは置いておくとして(笑)。

10年間「淡路プラッツ」の経営に携わった中で、引きこもり支援に関してはある程度やりきった感覚があったので、これからはその中ではできなかったことをやろうと思い、「ドーナツトーク」を立ち上げました。リーマンショックの前後くらいからでしょうか、当時は社会構造が変わり、下流層の増加が社会問題になりつつあったので、その領域に本気で取り組みたいと思いました。

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