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幼児、児童虐待の罪が軽すぎる 病んだ社会の黙認は許されない

 幼児、児童虐待が止まりません。連日のように幼児虐待が報じられています。
 昔からあったという次元では済まない次元のものです。核家族化により、人の目が届かなくなるだけでなく、暴力を平気で振るえる人たちがあまりに多くなってきています。日本社会の病理です。
 この事件はどうしてこの幼児を救えなかったのか、非常に残念な事件です。

夏に風呂入らず・顔にあざ SOSあったのに 4歳殺害」(朝日新聞2017年12月25日)
「箕面市教育委員会は25日、記者会見し、歩夢ちゃんは5月に弟と市立保育所に入ったが、当初は1週間ほど通ってこなかったため、自宅を訪問したと明らかにした。7月ごろには、兄弟が風呂に入らず、あまり服も着替えていないことに保育所職員が気づき、8月には本格的に家庭訪問を開始。11月中旬から兄弟が姿を見せなくなり、12月上旬に職員が兄弟に自宅で面会すると、弟のほおにあざがあった。麻衣容疑者は「階段から落ちた」と説明し、弟も「落ちた」と話したという」

 この事件では、殺人罪で立件されています。

4歳児死亡、3容疑者「日頃から暴力」 あざ数十カ所」(朝日新聞2017年12月)
「大阪府箕面市の集合住宅の一室で男児(4)に暴行を加えて殺害したとして、大阪府警は25日、いずれも住人で、母親の無職T容疑者(26)と交際相手の無職M容疑者(24)、知人の無職O容疑者(20)を殺人容疑で逮捕し、発表した。男児には全身に数十カ所のあざがあり、3人は「日頃から暴力を振るっていた」と供述。府警は激しい虐待が繰り返されたとみている。」

 幼児に対して、暴行を加えれば死の危険があることは容易に予測できることであり、それにもかかわらず敢えて暴行を加えるわけですから、殺人の故意が認められて当然なのです。
 多くの事件では、幼児に死の結果が生じると「傷害致死」で立件されることがほとんどでしたが、何故、このような機械的、形式的な処理しかしないのか憤りばかりを感じていました。
虐待する親に親としての資格なし 幼児の頭を殴って死亡させても傷害致死にしかならない怪

 このような事件であれば傷害致死です。

「楽しいことが…ごめんね」 父、しつけで突発的に 10万人に1人難病の長男暴行死」(千葉日報2017年11月26日)
「公判に出廷した長男の担当医師によると、長男は左側頭部という普通無い場所に太い静脈があり、他の部分に守られないその付近の出血による急性硬膜下血腫の可能性がある。また血小板の数が少なく、血が止まりにくい体質だった。」

 今回、殺人罪で立件されたことは、暴行の激しさからみれば当然といえば当然なのですが、このまま殺人罪で起訴されるのかどうかも検察庁の姿勢が問われます。
 以前、私は、こういった虐待をする親には親になる資格など永遠にないという意見を述べたところ、極端という批判を受けました。

 当然のことながら幼児虐待は殺人であり、そしてまた殺人の中でも最も悪質なものだと私は思っています。比較ですが、強盗殺人が自分の欲望のために人の生命を奪うものとして悪質とされ、強盗殺人の量刑は死刑または無期懲役とされいます。

 幼児を撲殺する行為の悪質さは、これに負けず劣らずであり、むしろ虐待して喜んでいる姿は強盗が利得のために殺人を犯すよりも悪質であるとさえ言えます。絶対に抵抗することがない幼児、児童を一方的になぶり殺すということを想像してみてください。

 私は量刑に関しては立法的に重罰化を規定すべきではないかと考えています。死に至らない虐待行為に対しても通常の暴行、傷害の罪よりも厳罰化することですし、死に至らしめた場合の厳罰化です。

 以前、裁判員裁判で、児童虐待による両親による傷害致死事件で求刑10年に対してどちらにも15年の判決が下されたことがありました。社会問題であり重罰で望む必要があるというのが量刑理由でした。気持ちはとてもよくわかります。
 しかし、それを感情レベルだけで量刑を決めてしまうことは問題がありすぎます。

裁判員の暴走への歯止めになる? 最高裁 量刑不当を是正

 幼児、児童の虐待に対して重罰化のための立法化は必須です。
 親としての資格がないことはもちろん、強盗殺人に負けず劣らず極悪な犯罪行為に対して社会が厳罰をもって臨むのは当然のことでしょう。

 犯罪被害者の声ということが言われることがありますが、多分に生きている人の報復感情ばかりが強調されており、私は違和感しかないのですが、むしろその被害者の声すら代弁してくれる人がいないのが幼児、児童虐待です。

 要は代弁してくれる人がいるかいないかの問題ではなく、その犯罪類型をどのように社会が評価するのかという問題なのです。

虐待

 もちろん重罰化だけでは幼児、児童の生命身体の安全は守られません。
 この子の生命を守れなかった行政は「猛省」するだけでは足りません。むしろ、何故、救えなかったのか、救うためにはどのような手段があれば救うことができたのか、という検証こそ重要です。

 もちろんのこと、精神的に追い詰められた状態に陥り、虐待してしまったというのであればそれは情状の一事情ということにはなるのでしょうが、そういった観点から量刑で考慮すれば足りますし、本来、行政に気軽に相談できるところを設けて未然に防ぐべき事案です。

 行政による見落としは、何度も繰り返されています。行政の判断が誤った場合(保護しなくてもいい事案で保護した場合など)の免責条項なども法制化し、行政職員が萎縮しないようにすることも不可欠です。

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