記事
- 2011年12月12日 02:18
オリンパス社の全社的内部統制と「悪い意味でのサラリーマン根性の集大成」
週末、少しずつではありますがオリンパス事件の第三者委員会報告書を読み始めておりました。今週、オリンパス社では過年度決算も訂正されるようですが、この第三者委員会報告書を読む限り、同委員会は、J-SOX(内部統制報告制度)における全社統制の評価において、かなりハイレベルなリスク評価を要求しているように思いました。今後他社において有価証券虚偽記載事件が発生した場合、この報告書が示したレベルの全社統制評価が行われないかぎり、財務報告内部統制において構築義務違反が問われる、ということも考えられますね。本来、文書提出命令によって開示されるべき、いわゆる「三点セット」の文書も精査されておりますし、なんといっても、オリンパス社は形式上はガバナンスもきちんと構成され、また財務報告に係る内部統制も、なんら問題なく有効と評価されてきたわけであります。この第三者委員会報告書が比較的高く評価されているわけですから、今後は粉飾決算事件における取締役や監査役の責任追及訴訟等において、当該報告書は格好の引用資料として活用されることになりそうです。
この報告書でも述べられ、また経済団体や日本監査役協会でもコメントが出されておりますが、「オリンパス事件の教訓は、形式的なガバナンスの仕組みよりも、むしろ取締役や監査役の倫理感、使命感やその職責を担う覚悟の問題」であり、これが最も重要である、とのこと。とくに本報告書では本件事案発生の原因分析のなかで、オリンパス社の場合は会社トップによって不正が行われることを想定したリスク管理体制がとられていなかったことに大きな問題があったとされています(報告書179頁)。「経営中心部分が腐っており、その周辺部分も汚染され、悪い意味でのサラリーマン根性の集大成ともいうべき状態」と表現されております。
たしかに報告書の事実認定部分を読み進めておりますと「これはたしかにひどいなぁ」といった感想を持つところも多々あるわけですが、これを「悪い意味でのサラリーマン根性の集大成」と言い切って、役員たるもの、高貴な倫理感のもと、「悪いことは悪い」と堂々と言わなければならない・・・というのも、とても現実離れしたものであるような印象を抱きました。そもそも「悪い意味でのサラリーマン根性」が備わっていたほうが上場会社の役員になれる確率が高いのか、低いのか、仮に高いとして、その後役員になったとたんに「役員としての倫理感」や覚悟が備わるようなものなのか、そのあたりが検証されなければ、私など気が小さいものですから、およそ「集大成」などと言い切れないなぁと。
粉飾決算が起きてしまった会社の役員だった者は運が悪かった・・・・というのと、あまり意味が変わらないような気がします。オリンパス社の元社長は「悪い」と堂々と言ったがために解職され、それだけでなく、名誉棄損や秘密漏えいによる損害賠償請求訴訟を提起する、とまで会社から公言されたわけです。この元社長はまだ、有名な監査法人の支援を受けて、「ほぼ間違いなく不正がある」との証拠を握ったから堂々と「悪い」と言えたのです。ましてや、普通の取締役や監査役が、それほど多額の報酬も専門家に払えないまま「たぶん悪いことが起きているけど、間違っていたらどうしよう」といった心理状態で「悪いことは悪い」と堂々と言えるでしょうか?それを言ったら生活ができなくなるばかりか、会社から損害賠償裁判を提起される、というのでは、どんなに高貴な倫理感をもって、どれだけ財務や法務に精通した者であったとしても、声を上げるのは無理です。「自分ひとりの意見で経営の意思決定を遅らせてしまうことを回避することこそ倫理感に基づく行動ではないか」と考える方もおられると思います。「それでもモノを言わねばならない」と言われるのであれば、今後法改正が予想されている社外取締役など、だれも怖くてできないと思います(責任限定契約の存在、D&O保険の存在、といった次元の話ではないと考えます)。
取締役の資質や倫理感、覚悟、というのはもっともだとは思いますが、それらが取締役や監査役に備わっていることと、「経営トップにモノが言える」こととはダイレクトには結び付かないわけでして、その間を結ぶ「何か」を試行錯誤しなければ問題解決にはならないと思います。モノを言わなければ高額の賠償責任を負わされる、というのもひとつの考え方ではありますが、それは社外役員制度導入の機運や、我が国の業務執行取締役中心の取締役会構成の現実(他の取締役の担当分野には関心をもたない)とは合致しないのではないでしょうか。
公益通報者保護法は労働法制のひとつであるため、取締役や監査役が保護されるわけではありませんが、やはり秘密の暴露が許容される要件を検討したり(たとえば目的の正当性、真実と信ずるについて相当な理由があること、証拠を持ち出すことについて不正競争防止法の適用がないこと、不正指摘と解職との間に時間的近接性ある場合には、解職が権利濫用となる等)、「不正」を「不正のおそれ」と広く解したり、会社の利益を守ることを目的とした緊急避難の法理を適用する等、「モノを言える環境つくり」を検討すべきではないでしょうか。
不正と推定される行為や不正調査を開始する要件などを社内規則によって形成していく、ということも考えられます。もちろん、組織によってはそんな簡単に解決するものではないといわれそうですが、この「役員の倫理感」と「現実に物を言える」ことを結び付ける何かを思考しなければ、またオリンパスと同じような事件が発覚して、同じような報告書が作られる・・・という繰り返しに終わってしまうのではないかと危惧しております。
この報告書でも述べられ、また経済団体や日本監査役協会でもコメントが出されておりますが、「オリンパス事件の教訓は、形式的なガバナンスの仕組みよりも、むしろ取締役や監査役の倫理感、使命感やその職責を担う覚悟の問題」であり、これが最も重要である、とのこと。とくに本報告書では本件事案発生の原因分析のなかで、オリンパス社の場合は会社トップによって不正が行われることを想定したリスク管理体制がとられていなかったことに大きな問題があったとされています(報告書179頁)。「経営中心部分が腐っており、その周辺部分も汚染され、悪い意味でのサラリーマン根性の集大成ともいうべき状態」と表現されております。
たしかに報告書の事実認定部分を読み進めておりますと「これはたしかにひどいなぁ」といった感想を持つところも多々あるわけですが、これを「悪い意味でのサラリーマン根性の集大成」と言い切って、役員たるもの、高貴な倫理感のもと、「悪いことは悪い」と堂々と言わなければならない・・・というのも、とても現実離れしたものであるような印象を抱きました。そもそも「悪い意味でのサラリーマン根性」が備わっていたほうが上場会社の役員になれる確率が高いのか、低いのか、仮に高いとして、その後役員になったとたんに「役員としての倫理感」や覚悟が備わるようなものなのか、そのあたりが検証されなければ、私など気が小さいものですから、およそ「集大成」などと言い切れないなぁと。
粉飾決算が起きてしまった会社の役員だった者は運が悪かった・・・・というのと、あまり意味が変わらないような気がします。オリンパス社の元社長は「悪い」と堂々と言ったがために解職され、それだけでなく、名誉棄損や秘密漏えいによる損害賠償請求訴訟を提起する、とまで会社から公言されたわけです。この元社長はまだ、有名な監査法人の支援を受けて、「ほぼ間違いなく不正がある」との証拠を握ったから堂々と「悪い」と言えたのです。ましてや、普通の取締役や監査役が、それほど多額の報酬も専門家に払えないまま「たぶん悪いことが起きているけど、間違っていたらどうしよう」といった心理状態で「悪いことは悪い」と堂々と言えるでしょうか?それを言ったら生活ができなくなるばかりか、会社から損害賠償裁判を提起される、というのでは、どんなに高貴な倫理感をもって、どれだけ財務や法務に精通した者であったとしても、声を上げるのは無理です。「自分ひとりの意見で経営の意思決定を遅らせてしまうことを回避することこそ倫理感に基づく行動ではないか」と考える方もおられると思います。「それでもモノを言わねばならない」と言われるのであれば、今後法改正が予想されている社外取締役など、だれも怖くてできないと思います(責任限定契約の存在、D&O保険の存在、といった次元の話ではないと考えます)。
取締役の資質や倫理感、覚悟、というのはもっともだとは思いますが、それらが取締役や監査役に備わっていることと、「経営トップにモノが言える」こととはダイレクトには結び付かないわけでして、その間を結ぶ「何か」を試行錯誤しなければ問題解決にはならないと思います。モノを言わなければ高額の賠償責任を負わされる、というのもひとつの考え方ではありますが、それは社外役員制度導入の機運や、我が国の業務執行取締役中心の取締役会構成の現実(他の取締役の担当分野には関心をもたない)とは合致しないのではないでしょうか。
公益通報者保護法は労働法制のひとつであるため、取締役や監査役が保護されるわけではありませんが、やはり秘密の暴露が許容される要件を検討したり(たとえば目的の正当性、真実と信ずるについて相当な理由があること、証拠を持ち出すことについて不正競争防止法の適用がないこと、不正指摘と解職との間に時間的近接性ある場合には、解職が権利濫用となる等)、「不正」を「不正のおそれ」と広く解したり、会社の利益を守ることを目的とした緊急避難の法理を適用する等、「モノを言える環境つくり」を検討すべきではないでしょうか。
不正と推定される行為や不正調査を開始する要件などを社内規則によって形成していく、ということも考えられます。もちろん、組織によってはそんな簡単に解決するものではないといわれそうですが、この「役員の倫理感」と「現実に物を言える」ことを結び付ける何かを思考しなければ、またオリンパスと同じような事件が発覚して、同じような報告書が作られる・・・という繰り返しに終わってしまうのではないかと危惧しております。



