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宮本亜門 生まれ変わっても学校へ戻らない

 今回、お話をうかがったのは演出家・宮本亜門さん。高校生のときに不登校、ひきこもりをした宮本さんに当時の心境をうかがった。

――宮本亜門さんも不登校だと聞きましたが、当時の状況を教えてください。

 そもそも幼稚園から集団生活が苦手でした。学校へ行かなくなったのは高校2年生からで、ずっと苦しんでいました。次の人生があったとしても、学校には戻りたくないですね。

 僕が生まれ育ったのは、銀座の新橋演舞場のすぐ前にある喫茶店です。街には、いつもどこからともなく三味線や小唄が聞こえてきて、人力車に乗った芸者さんが来たりする、言わば大人の雰囲気に満ちた場所でした。そんななかで、和物に興味を持った僕は、学校に行っても誰とも話が合いませんでした。

 まわりがテレビで見たお笑いや、話題にしていることに興味がない。だからみんなのなかにいると孤独を感じる一方で、仲間外れになるのが恐くて、適度にニコニコしながすごしていました。でも、そういう自分がきらいでした。そんな矛盾が自分自身を否定し、ついには自殺未遂をしたこともあります。

悪循環から抜け出せない

 そして約1年間、ひきこもったわけです。当時は本当につらかった。「学校へ行ってほしい」という両親や周囲の気持ちもわかるけど、行けない。そのうち、学校が怖くなり、同世代の眼が怖くなり、街を歩いただけでぞっとしてくる。生きていても、ただ不安が募るばかりで、何が自分に起きているのか、うまく説明できない。社会のレールに乗れない自分が悪いんだと思い、それを感じている自分がまた切なくなる。そんな悪循環から抜け出せなかったんです。「学校だけが人生じゃないはずだ」と思いたくて道を探すんですが、答えが見つからない。僕が、ひきこもりをしたのはそれが理由でした。

――40年以上前のお話ですが、いまの10代も同じようなことを話してくれます。

 僕はひきこもりの先駆者世代だから(笑)。ひきこもって数カ月してからNHKで「登校拒否症」についての番組を観たことがあります。

 NHKが初めて登校拒否について報道したものだと思います。少なくとも「登校拒否症」という言葉があるのを僕が知ったのはそのときでした。番組内容はあまり覚えていませんが、「登校拒否症」という言葉に、不登校が病気だと決めつけられたようなショックを受け、わけもわからずに泣いてしまったのを覚えています。

――テレビで初めて不登校について知るぐらい、認知度が低かったんですね。

 そうです。その後、いろいろあって慶應義塾大学病院の精神科医のところへ行ったとき、先生が僕の話にすごく興味を示してくれましたから、めずらしかったんだと思います。何を話しても「君の話はおもしろいね」と。僕自身が「これは言ってはダメかな」とか「否定されるかな」と思う話でも「おもしろいねー」の連発で(笑)。精神科医という立場の人だし、僕も最初はあまり話したくなかったのですが、リラックスさせてくれる方で、そんなやりとりのなかで心がどんどん軽くなっていきました。

 「明日もいらっしゃい」と楽しげに送り出してくれるので、つい通ってしまいました。途中からはインターンの人も交えて話をし、どんどん自分が解放されていきました。

憧れさえ感じる あのときの自分

――では、宮本さんにとって不登校、ひきこもりのときに支えになったのは精神科医だったんでしょうか?

 僕にとって一番、心の支えになったのは音楽と写真集です。もちろん精神科医との出会いは大きなものでしたが、まず支えになったのは音楽です。家にあるレコードは10枚だけ。それを何百回も聞き直したんです。すると聞くたびに音楽が毎回ちがって聞こえました。あるときは歌声が、あるときは音の重なりが、自分のなかに入って来てバーンと広がる。自分のなかで音があふれかえり、勝手に音楽が視覚化してカラフルなイメージが湧いてくる。頭のなかで花火が上がったり、荒波が押し寄せたり、人が踊りだしたり……。いつのまにか興奮して鳥肌まで立ってきて、気がついたらベットの上で飛び跳ねている。そうすると表にいた母親が心配して「どうしたの? 大丈夫?」って(笑)。

 最高に幸せな時間でした。残念ながらあのころほど研ぎ澄まされた感覚、ピュアな思いを持つことはできません。今では憧れさえ感じています。あのときに感じた「喜びと興奮」をどうしても誰かに伝えたいという思いが、演出家を目指す土台になったのですから。

日本刀を手に父から追いまわされ

――宮本さんが不登校だったとき、ご両親はどんな反応だったのでしょうか。

 そりゃあもう、たいへん驚きました。父は慶応大学出身で慶応が大好き。僕の子守唄は慶応大学の校歌です(笑)。母はとってもエネルギッシュな人でした。肝硬変を患って入退院をくり返し、私が21歳のときに亡くなるんですが、一瞬もムダにせずイキイキと一回かぎりの人生を生きていました。私は母に憧れる一方で、こんなにイキイキとは生きられないんじゃないか、と思ってました。

 両親は、若いころに駆け落ちをして喫茶店を始め、本当にエネルギッシュに生きていました。正直に言って家庭内は金銭面や浮気などで、グチャグチャでしたが、僕は心のどこかで親に対して憧れを抱いていたんです。

 でも、そんなエネルギッシュな生き方をしてきた両親でさえ僕が学校へ行かないことを認めたくなかった。僕は何度も「どうして学校に行かなきゃいけないの?」と聞きましたが「みんなも行ってる、そういうものなの!」という答えしか返ってこなかったです。ほかのことならば優しく説明してくれる親なのに学校だけは譲らない。あるとき、酔っぱらった父が暴れだして、宮本家の家宝である日本刀を持って追いかけてきたこともあります。僕が逃げまわってトイレに隠れると、そのトイレの扉にグサグサと日本刀を突き刺し、あげく刀が折れてしまった。僕も家族もそういう状態でした。

答えを焦らず 愛情を注いでほしい

――本紙読者の多くが親や祖父母が多いです。親や周囲の人は、どう接していったらいいと思いますか?

 僕が今でも感謝しているのが、混乱と葛藤のなかでも、つねにあきらめず彼らなりの愛情を僕に注ぎ続けてくれたことです。もちろん僕とは考え方はちがいますが、両親の愛情がなかったとしたら不登校やひきこもりから立ち直れなかったかもしれません。

 親の方には申し訳ないのですが、すぐの答えは求めないでほしいんです。本人は疲れはて、どうしたらいいのかわからないはずです。苦しいんです。本人が一番、自分で自分を否定し続けているのですから。なので親の方には、わが子がみんなと同じようにできないからと言って否定しないでほしい。ほかの子とわが子を比べないで、その子だけの個性を大切に見てあげてほしいんです。

 もちろん私が出会った精神科医は、なんでも話を聞いてくれました。その反応はありがたかったんですが、親にこれを求めるのも酷だと思います。だから焦らず、あきらめない。いつか風穴が空いて光が差し込みます。そのときまでガマンして愛情を注ぎ続けてほしいと思っています。もちろん、不登校やひきこもりには、無数のバリエーションがあって「これが絶対」とは言いません。あくまで僕の場合は、という話です。

――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂)

不登校経験者による宮本亜門さんへのインタビューはこちら


(みやもと・あもん)演出家。1958年東京生まれ。ミュージカル、オペラ、歌舞伎など、ジャンルを越える演出家として国内外で幅広い作品を手がける。2004年、ニューヨークのオン・ブロードウェイにて、東洋人初の演出家としてミュージカル「太平洋序曲」を上演。同作はアメリカの演劇界で最も権威ある「トニー賞」で4部門ノミネート。



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