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平和賞に女性の影あり? ノーベル賞の都市伝説3

写真)オーストリア1000シリング紙幣の肖像となった、ノーベル平和賞受賞者ベルタ・フォン・ズットナー 1966年
出典)Peace Monuments for Baroness Bertha von Suttner

林信吾(作家・ジャーナリスト)

【まとめ】 

・女性として初のノーベル平和賞受賞者はベルタ・フォン・ズットナーというオーストリア出身の女性。

・ノーベルのベルタの反戦運動に対するシンパシーが平和賞創設の動機といわれている。

ノーベル平和賞はその性格から、受賞に対する異論が多い。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。写真説明と出典しかみることが出来ない場合は、Japan In-depthのサイトでお読みください。】

最初のノーベル平和賞受賞者は、赤十字の創立者アンリ・デュナン(スイス人)と、国際仲介委員会の創立に功績があったフレデリック・パシー(フランス人)である。これを聞いて違和感を持つ人は、まずいないだろう。

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写真)アンリー・デュナン
出典)日本赤十字社

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写真)フレデリック・パシー
出典)WIKIPEDIACOMMONS

では、女性として初の受賞者は誰か、ご存じだろうか。その名をベルタ・フォン・ズットナーといい、オーストリア出身。受賞は1905年のことで、その時点での国籍はオーストリア=ハンガリー二重帝国であった。

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写真)ベルタ・フォン・ズットナー
出典)Photo by Caral Pietzner

陸軍大将・伯爵を父に持つが、若い頃から筋金入りの反戦主義者で、ナポレオン戦争後にヨーロッパの秩序を再構成しようとした列強の政治家や貴族たちの姿を題材とした反戦小説『武器を捨てよ』は、邦訳も出版されている。

 現実には、世に言うウィーン会議が招集されたものの(1814年)、利害の調整がつかず、華やかな舞踏会のみ繰り返されて、「会議は踊る。されど会議は進まず」という言葉だけが後世に残されたが。

 そもそもベルタの存在が、アルフレッド・ノーベルをしてノーベル平和賞の創立を決意させたと言われている。しかもこれは、都市伝説などでなく、結構しっかりした根拠のある話なのだ。

ノーベルが生涯独身で、しかも複数の女性からプロポーズを拒まれたことは前回述べたが、実はその一人がベルタだったのである。彼女は旧姓をキンスキーといい、前述の通りオーストリア=ハンガリー二重帝国の陸軍大将の娘であった。1876年、ノーベルが女性秘書を募集する公告を5カ国語で出したところ、5カ国語で応募してきた女性がいた。誰あろうベルタである。

 ノーベルは正規の高等教育を受けていないが、スウェーデンで一度は破産した父親が、帝政ロシアの軍需産業に食い込んで再起し財をなしたため、サンクトペテルブルクで複数の家庭教師がつく生活を送ることができ、その結果、母国語であるスウェーデン語に加えて、英仏独露の計5カ国語で流暢に会話ができるまでになっていたという。反面、学校生活を経験していない分、人と接するのが苦手な人物になったようだ。

 しかし、ベルタがノーベルのそばにいたのは、わずか数週間に過ぎなかった。かねて恋仲でありながら、結婚に反対されていた(彼女の方が7歳年上であったため)、アルトール・フォン・ズットナーという青年貴族の存在と、秘書募集の公告が実は「婚活」であったことに憤慨した、二重の理由であったと見る向きが多い。結局彼女は、ノーベルの元を去る直前、ズットナーと結婚した。

 しかしその後も、ノーベルは彼女に幾度も手紙を送っている。と言っても、彼女の反戦運動や著作活動に対する激励の文面がほとんどだった。このような、ベルタの反戦運動に対するシンパシーが、平和賞創設の動機だと見る向きも多いわけだが、当然ながら異説もある。

 前回、ノーベル賞の選考と授与は、主にスウェーデンの研究機関が行っていることを紹介したが、平和賞だけはノルウェーから授与されることになっている。

 これは、ノルウェーの歴史と関わりが深い話で、12世紀以降、王位継承を巡る内戦や、黒死病で王家の血筋が途絶える、といった不幸に見舞われ続けた同国は、1536年以降、デンマークの支配下に置かれていた。

 その後、デンマークがナポレオンの傘下に入り、これまた前述のウィーン会議を経て、1814年、スウェーデン国王がノルウェー王を兼ねる「同君連合」が形成されたのである。つまり、アルフレッド・ノーベルが平和賞の創設を遺言した時点で、ノルウェーは外交権を持つ独立国ではなかった。

 だからこそ、平和賞の選定に際して政治的な思惑が働く余地が少ないだろう、というノーベルなりの深慮遠謀であった、と見る向きと、スウェーデンとノルウェーの和解を促すべく、ノーベル賞の一部門だけ選定と授与をノルウェーに任せた、と見る向きがあるわけだが、ここまで来ると、故人の心の内までは分からない、としか言いようがない。

 ベルタが挺身した平和運動は、第一次大戦後の国際連盟設立ですっかり影が薄くなってしまったことと、ノーベル平和賞はその性格から、受賞に対する異論が多い、という事実のみ、あらためて報告させていただこう。

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