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映画『新地町の漁師たち』が描く「もう1つの福島」 - 寺島英弥

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映画『新地町の漁師たち』の試験操業の場面の小野さん(筆者提供、以下同)

 2011年3月11日の津波の後、がれきを残して集落が消えた福島県新地町釣師 (つるし)浜漁港。その朝の風景を、自転車に乗った撮影者のビデオカメラが写していく――。

 こんなふうに始まるドキュメンタリー映画『新地町の漁師たち』の画面には、やがて岸壁に集った男たちの所在なげな姿が現れ、「どこから来たんだ?」と、撮影者に問いかけてくる。彼らの方言丸出しの語りから、漁船群を津波から守ったにもかかわらず、再び海に出せなくなってしまったという現実が紡ぎ出されていく。

 炉心溶融、放射性物質拡散の大事故が起きた東京電力福島第1原子力発電所から北に約50キロ。新地町は避難指示区域からは遠く外れたが、思いもよらない状況が漁師たちを巻き込んだ。原発事故からひと月後、東電が原発構内から海に大量放出した汚染水が原因の漁の全面自粛(同県浜通りの全域)と、海の復興を執拗に阻み続けることになる「風評」だ。そんな苦境からの彼らの長き闘いを、映画は記録していく。

映画監督と漁師の出会い

「2011年7月だった。新地町に来たのは3回目で、お金がなく、新地町のDIYの店で1万円の自転車を買って浜をぐるぐる回り、ビデオカメラを手に取材していた」

 映画冒頭のシーンを、東京在住の映画監督、山田徹さん(33)はこう語る。漁港の岸壁で漁師たちと出会い、声を掛けたところ、「話は船主会長に聞け」と言われた。しばらく待っていると、小野春雄さん(65)がやって来た。釣師浜の祖父の代からの漁師で、3人の息子や弟常吉さんと、2隻の船で漁をしていた。

 3.11の直後、相馬双葉漁協新地支部(54人)の仲間は、一斉に出航して沖に向かい、船を無事に守った。だが常吉さんの船は遅れて津波にのまれ、山田監督が撮影を開始した同じ7月に、南隣の相馬市の港で遺体となって見つかった。山田監督は撮影の前日、被災を免れた常吉さんの高台の家の前で、遅い葬儀の花輪を見ている。

「漁ができなくて、津波で漁場に流されたがれきの撤去を、俺たちの漁船を使ってやっていた。あの日、岸壁で呼ばれて、山田さんに『何しに来たんだ?』と尋ねると、『写真を撮りたい』と言われ、『現状を知りたいので、がれき撤去の船に乗せてもらっていいですか?』 と頼まれた。それが出会いだった。まさか映画を作るなんて思っていなかった」

「それから何度も釣師浜に通ってきたが、働かないで大丈夫か? と心配し、アルバイトでお金を作っていると聞いて、フリーターなのかとも思ったよ」

 小野さんは、若い映画作家との遭遇をこう振り返った。

 山田監督は自由学園出身で、渋谷の「映画美学校」でドキュメンタリー作りを1年間学んだ後、「自由工房」に入って羽田澄子監督に師事。映画『遙かなるふるさと旅順・大連』の製作に演出助手で参加した。「ドキュメンタリーの自由さに惹かれた」と言うが、 作品の公開直前に起きた東日本大震災を契機に、自らで映画を撮ろうと志した。

 しかし、 陸前高田、南三陸町、石巻、南相馬、飯舘村、双葉町など広大な被災地の中で、なぜ「知られざる被災地」の新地町を選んだか? この問いに、山田監督は福島在住の詩人、和合亮一さんの名を挙げた。

 震災、原発事故の直後からツイッターで発信し続けた和合さんが、2011年4月24日にツイートした詩では、津波で破壊されたJR新地駅舎の惨状、落ちていたレコード、無人のホームにいたはずの「人影」、折れ曲がったレールなどが描かれていた。

「東北に縁もゆかりもなかったが、 その詩が自分を新地町につないだ」(山田監督)

 翌5月の連休に友人と高速バスに乗り、 初めて新地町を訪れた。1人のボランティアとして釣師浜の風景を眺め、半壊した家の泥かきをした。2度目は6月、町の津波犠牲者94人の合同慰霊祭があると知り、初めてビデオカメラを携えていった。少しずつ地元の人を知り、3度目の7月に、漁師たちとの出会いが待っていたのだった。

生の言葉が紡ぐ現実

「原発(事故)さえなければ、みんな船が(漁に)出た」「みんな(漁の再開を)待ってるんだ。これだけの船が残ったんだもの、船方(漁船乗り)は」「再開をみんな準備してるんだ」

 冒頭のシーンに続いて、岸壁の漁師たちから語られる言葉だ。

 漁の全面自粛という、浜の歴史にない理不尽な事態を、彼らはいまだ受け入れられずにいる。山田監督が同乗した漁船からの、沖合での映像に映るのは、海中から引き揚げられる「ぼろ網」(津波で流された漁網)の山。そこで行われていたのは、震災の遺物を掃除する漁だった。

 2011年11月、翌12年1月のモニタリング調査(放射性物質の測定の漁)の場面では、大きなカレイが網に掛かる。

「普通なら20万円クラスでないの。サンプルだから売れないが」「震災前はこんなに獲れることはなかった。獲らないんだから、増えるのは当たり前だ」

 獲りたくても獲れぬ悔しさが言葉ににじむが、現実はあまりにも残酷だ。

 福島第1原発近くの海から放射性物質を多く含んだ魚が揚がったという話題に、漁師たちは岸壁で、こんな会話も交わす。「海によどみがあって、放射性物質があるそうだ」「あれを見ると、生きてるうちに魚を捕れない」「夢も希望もない」「復興応援をもらっても、何にもならない」「これから一生、50年、100年掛かるか分からない」「大丈夫だ、生きていないから」。

 これらの言葉は、ビデオカメラの存在を意識しない漁師たちの、ありのままの会話だ。マスメディアのようにマイクを向けてインタビューしたり、文字で要領よくまとめたりしたものでもない。当時の震災報道に強くにじんだ「他者目線」あるいは「東京目線」のニュースとはまるで異なる、浜の方言丸出しで語られる生の現実が砲弾のように、映画を観る者に降り注ぐ。言葉を変えれば、観客は漁師たちの立ち話の輪に居合わせるような感覚になる。

「現地で過ごして分かったのは、震災直後のテレビや新聞が流していたのは、情報として『切り取った生々しさ』でしかないということ。大切なものを伝えていなかった」と、山田監督 は言う。それは和合さんの詩に感じたという「震災前と震災後」の断層であり、それでも 流れ続ける「時間」だった。それらをくまなく伝えることで、初めて漁師たちが何を奪われてしまったのかが、分かる。

「それから月1、2回は東京から釣師浜に通うようになったが、2年目の2012年初めから秋にかけて、撮影の足が遠のいた。何を表現したらいいのか分からなくなり、悩んだから」(山田監督)

 津波のがれきの引き揚げとモニタリングの漁しか、当時の漁師たちには仕事がなく、「何を映画にするべきなのか。そこにはないのか、と思った」。それは、漁師たちの迷いと焦りの時間でもあったろう。小野春雄さんもこう振り返る。

「以前は寝る時間も惜しいほどに働いて、魚を獲った。が、震災後のあの当時、何をしたらいいか、先がどうなるか、さっぱり分からなかった。原発事故の放射能もどのくらい怖いものなのかも分からなかったんだ」

「拍子抜け」に触発

 双方にとって見えない「壁」の時間にも、転機が訪れる。山田監督にとってはそれが、2012年11月3 日に行われる予定だった、釣師浜の安波津野(あんばつの)神社と地元に伝わる「安波祭」だった。

「浜下り」という古くからの民俗行事が、福島県浜通りにある。里の暮らしを守る神は、春先に田に下りて豊作の神となり、秋には海に入って潮を浴び、力を再生して帰るという循環の物語を持つのだが、新地町の「安波祭」は、浜の人々が大漁と航海安全を祈願する神事だ。

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釣師浜漁港に再建された安波津野神社に祈る小野さん(11月8日)

 地元で「あんばさま」と呼ばれる神社の神輿が集落を練り歩き、クライマックスでは漁師たちが神輿とともに海に入り、潮垢離(しおごり)をする。かつては毎年行われていたが、担ぎ手が少なくなり、今では5年に1度の祭りとなっていた。ちょうど2011年11月3日が「安波祭」開催の年になっていたが、「見に行こう」と釣師浜を再訪した山田監督は、拍子抜けする。「小野さんら漁師が神社にお参りして祈願をし、お神酒をいただいておしまいだった」。

 250戸以上が立ち並んだ釣師浜などの集落は、ことごとく流され、住民は仮設住宅などに離散していた。生業である漁そのものに再開の見通しが立たず、「安波祭」は中止となったのだ。

 映画の中のその日は、とりわけ印象深い場面だ。人けのない集落跡は枯れ草色に沈んでいる。安波津野神社の仮社の前にたたずみ、目を閉じた男たちからは、無念の思いがにじむ。海の潮で生気を取り戻すはずの神も陸にとどまるほかなく、「恵みの海から切り離された」人々の状況を、残酷なまでに象徴していた。山田監督はこの後、「祭りの意味をもっと知りたい、漁師たちの震災前の姿を知りたい」と新たなインスピレーションを得て、釣師浜に再び通い詰めるようになった。

イメージの変化

 漁師たちが待ち焦がれた漁は2012年8月、度重ねてのモニタリング検査でも放射性物質が検出されず、かつ安全が確実な魚種に限る――との条件で、ごく少量の「試験操業、試験流通」という形で始まった。

 監督機関である​福島県地域漁業復興協議会の下、相馬​双葉漁協による漁の第1弾は、タコと2種のツブ貝だった。それから少しずつ、試験操業の対象魚種は広がった。

 翌13年4月には、名産の「春告げ魚」であるコウナゴも加わり、山田監督は小野さんの「観音丸」に同乗して、試験操業の模様を撮影した。

「船の上での仕事の集中力、眼光の鋭さ、 荒々しさ。初めて見るような彼らに驚き、新鮮な感動を覚えた。本当の姿を見た思いだった。それまで接してきた漁師たちへの、いわばネガティブなイメージがすっかり払拭された」(山田監督)

 そのイメージの変化とは何だったのか。「他者の目」だった山田監督の視点も、このあたりから変わっていく。

 岸壁で釣り糸を垂らしたり、野球のまねごとに興じたりする漁師たちの日常も、映画は映し出す。

「釣りやパチンコに行って、昼寝をして……。時間を持てあましたような漁師たちに、なぜ前向きに生きられないのか? お金(補償金)をもらっているからか? と、初めは悲観的な見方をしていた」と、山田監督は述懐する。

 しかし、気楽に見えた彼らの会話は衝撃的に響く。「昼寝するしかない」「頭がおかしくなる、人間おかしくなる」「人間、いろんな欲があるから働く。それが生きてる実感だべ」「欲しなくなったら、何が面白くて生きてる?」「漁業者に賠償金を払ってるからいいべ、とはならない。何もいいこともうれしいこともない」「のほほんとして、『きょうも1日終わった』という毎日の何が面白くて生きてるのか?」――。

 山田監督は言う。

「試験操業の撮影を境に『この人たちは魚を獲るのが好きなのだ』『自分の体を張って生きている』『それらを奪う残酷さこそ原発事故の罪なのだ』と知った」

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