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もし日本で戦争が起きてしまったら、僕は戦争のコピーを書くのだろうか

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 もし日本で戦争が起きてしまったら、戦争のコピーを書くのだろうか。

 著者の馬場さんは、率直に「書くだろう」と述べています。そして、だからこそ、「そんな時代を迎えないためには、戦争をおこさないことしかない。」と言います。

 私は、どうだろうか。

 一生活者としては、できればやりたくはない。けれども、職業人としてはどうなのだろう。「書かない」と言いたいし、葛藤もするのじゃないか、とも思います。でも、生活者として、勤め人として、断れるかどうかは、わかりません。もしかすると、これは正義である、もしくは、こういう考え方もあり得ると簡単に納得し、職業人として新しい広告を追い求めるのかもしれません。けれども、少し違う考え方も、あり得るんじゃないか、と思っています。

 2007年9月に、私は「消費者金融のマス広告は是か非か。」というエントリを書きました。あれから、少し時間が経ちました。馬場さんと20年下の世代の広告人である私は、少し違う結論が導きだせる気もしています。この問題は、なんとなく大げさかもしれませんが、世代が乗り越える課題だと思っています。

 その鍵は、前述のアドバタイジング、プロパガンダの違い、そして、アドバタイジングの社会性、言い換えれば、社会的表現としてのアドバタイジングの限界。簡単に言えば、社会的なコンセンサスを根拠にしながら、邪悪なインサイトは描いてはならない、という社会の一部である企業表現としての広告の範囲を、広告制作者自身が、自ら問い直すことなんだろうと思います。

 要するに、広告の再定義の問題のような気がします。その意味では、今言われているような、PPPなどの小さな問題も、じつは地続きなんだろうと思うのです。

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 私たちの世代は、戦争を知りません。馬場さんの世代も戦争を知らない世代であるけれど、より戦争が感覚的につかめない世代であることは間違いはないでしょう。戦争とは、社会のコンセンサスが戦争イコール正義である状態なのだから、上記の考えは、もしかするとまったく無効になってしまうのかもしれません。その意味では、馬場さんが言う「戦争をおこさないことしかない」という結論は、正しいのでしょう。

 でも、そうであるからこそ、私たち下の世代は、そうなる前に考えていかなといけないのではないかと思います。馬場さんと違う結論を導きださなければいけないのではないか。遠くを見通して、小さなこと、些細なことにも注意深く耳を傾けながら、新しい広告の倫理をつくっていくしかないのだろうと思います。世の中に必要とされなければ、広告で飯を食うことさえできないのだから。それが、一生活者としての広告人の視点のように思います。少し、青臭いけれど。

 だからこそ、この『戦争と広告』のあとがきに書かれている馬場さんの言葉を、結論としては受け止めませんでした。それが、広告人の先輩が届けてくれたこのという誠実な仕事に対しての、後輩広告人がとるべき正しい態度なのだろうと思っています。

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