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この本がスゴい!2017(後)

1/2

『旅をする木』
星野道夫
文春文庫

リンク先を見る 星野道夫のエッセイ。さらりとした筆致なのに、いつまでも心に残りつづける。

 いい本を教えあうサイト[シミルボン]で、「これ読んでいないなんて、人生損している」「この本を読まずに死んだらもったいない」という本を募集したところ、これが一番だった。

 なぜなら、幸せとは何か、知らずに死んだらもったいないことが、よく分かるから。このエッセイに触れているあいだの濃密なひとときは、得難い経験だから。アラスカの自然を、そこで暮らす人たち込みで淡々とつづった、遠い友人からの手紙のように読めるから。

 星野が語る場所と、わたしが生活するあくせくとした日常は、別の時間感覚が流れていることは分かる。だけど、面白いのは、そことわたしの居場所が、空間続きなところ。いわゆる「地続き」の延長だと思ってもらえばいい。大陸が離れていても、時間も違っていても、空間的につながっているのだ。

 ただそれに気付きさえすれば、「あくせくした日常」からふっと目を離し、心をそちらに放すことができる。沈む夕陽を見たり、山嶺を眺めたりしなくても、いつでも心は自由になれるという、あたりまえのことが分かるのだ。そして、これが触ることのできる幸福だと言っていい。

 幸福とは、いま生きていることをありありと実感することであり、それを、読み手の世界の延長上にある、異なる世界での生き様を見せることで伝えてくれるから。世界と「わたし」がつながっていることを、これほど端的に伝えてくれる一冊は珍しい。

 「読まずに死んだらもったいない」一番はこれだけど、ベスト5はこちらをどうぞ[読まずに死んだらもったいない]。これは、プロデュースしてくれたカトケンさんのおかげ。良い出会いをありがとうございます。

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『性食考』
赤坂憲雄
岩波書店
レビュー : [食う寝る殺す『性食考』]

リンク先を見る 食べること、セックスすること、殺すこと。これらは独立しているのではなく、互いに交わり重なり合っている。「食べちゃいたいほど、愛してる」という台詞を起点に、古事記と神話、祭りと儀礼、人類学と民俗学と文学を横断しながら、人の欲の深淵を覗き見る。ぞくぞくするほど面白い。

 著者は民俗学者。引き出しを沢山もっており、バタイユやレヴィ=ストロース、デズモンド・モリスや柳田國男などを次々と引きながら、性と食にまつわるさまざまな観点を示してくれる。おかげで、わたしの引き出しも次々と開かれることとなり、読めば読むほど思い出す読書と相成った。

 たとえば、入口の「食べちゃいたいほど、愛してる」は、センダック『かいじゅうたちのいるところ』から引いてくる。いたずら小僧のマックスが、罰として寝室へ追いやられるところから始まる夢と空想と「かいじゅうたち」の物語。その愛のメッセージを引いてくる。

 そして、食と愛が、実に近しいところにあることを示す。たとえば、人間行動学の『マンウォッチング』にある、食べるための唇とシンボルとしての唇の話である。つまりこうだ。直立歩行するヒトにとって、雌が成熟し発情しているかどうかを示すディスプレイ部位が、お尻や陰唇から、おっぱいや唇に成り代わったという話だ。甘噛みにも示されるように、愛情表現のキスとは、摂食行為の代替なのだ。

 さらに、古代中国の伝説を集めた『捜神記』から、ペニスをむさぼり喰らう、もう一つの秘められた口の話から、有歯女陰(ヴァギナ・デンタタ)の事例を世界中に探す。「女に飢える」や「性欲の渇き」という言葉や、愛の行為としての「甘噛み」、そしてキスなど、食べることと愛することは、重なり合っている。レヴィ=ストロースは「狂牛病の教訓」のなかで、世界のすべての言語がセックスを摂食行為になぞらえている、と書いていたという。やっていることは即ち、肉を喰らう肉であるため、文化を問わずそういう隠喩をまとうのだろう。

 種の保存行為としての食と性は、わたしたちの視床下部に隣り合っているだけでなく、文化の中にも、驚くほど交わりあっている。あたりまえのように感じていた行為や文化も、実はもっとプリミティブな動機があったことに気付かされる一冊。

『虚数の情緒』
吉田武
東海大学出版会
レビュー : [『虚数の情緒』はスゴ本]

 一言なら鈍器。二言なら前代未聞の独学書。中学の数学レベルから、電卓を片手に、虚数を軸として世界をどこまで知ることができるかを追求した一冊。

画像を見る

リンク先を見る 「スゴ本」とは凄い本のこと。知識や見解のみならず、思考や人生をアップデートするような凄い本を指す。ページは1000を超え、重さは1kgを超え、中味は数学物理学文学哲学野球と多岐に渡る。中高生のとき出合っていたら、間違いなく人生を変えるスゴ本になっていただろう。

 ざっと見渡しても、自然数、整数、小数、有理数と無理数、無理数、素数、虚数、複素数、三角関数、指数、関数と方程式、確率、微分と積分、オイラーの公式、力学、振動、電磁気学、サイクロイド、フーリエ級数、フーコーの振り子、波動方程式、マックスウェルの方程式、シュレーディンガー方程式、相対性理論、量子力学、場の量子論を展開し、文学、音楽、天文学、哲学、野球に応用する、膨大な知識と情熱が、みっちり詰め込まれている。

 それも、教科書的な解説とは180度ちがう。日本の知力と品性を憂い、勉学の喜びを熱く語り、あらゆることに疑問を持ち、学び考えよと説く。「本書を疑い、自分自身を疑え」とまで言い切る。大上段な振りかぶりと、時折はさむオヤジギャグが鼻につくが、これほどエネルギッシュな独学書は初めてだ。

 電卓を叩いて表を作り、手計算で項をまとめ式変形をする。そんな実際的な計算を続けていくうち、虚数という存在や輪郭が、次第次第に明瞭なものとなり、手で触れるぐらいの近しいものとなってくるという仕掛け。数学と天文学と物理学の歴史を振り返りながら、人類が世界をどのように抽象化していったかを、きわめて具体的な計算によって炙り出す。それが、本書の狙いなのだ。

 ど真ん中が圧巻だ。全数学の合流点として、自然対数eの虚数乗を求め、虚数単位を指数で表す。虚数の虚数乗を求め、幾何学との関係を探り、三角関数を経てオイラーの公式につなげる。人類の至宝とも呼ばれるオイラーの公式eiπ=-1を、電卓で捻じ伏せるところなんて凄まじい。

 本書は、404 Blog Not Found の小飼弾さんの[伝われ、i - 書評 - 虚数の情緒]で俄然読む気になり、挑戦と挫折を繰り返し、よしおかさんの[虚数の情緒読了:バーチャル読書会やりたい]でブーストして、ようやく最後まで行けた。小飼さん、よしおかさん、ありがとうございます。こんなすごい本にめぐりあい、知る喜び(と苦しみ?)を味わうことができ、本当に感謝しています!

『神は数学者か』
マリオ・リヴィオ
ハヤカワ・ノンフィクション文庫
レビュー : [『神は数学者か』はスゴ本]

リンク先を見る 科学の本質を、数学という断面で斬った一冊。

 刺激的なタイトルとは裏腹に、数学の本質について慎重に答えようとする。すなわち、数学とは「発見」されたものか、それとも「発明」されたものかという疑問に対し、数学と科学の歴史を振り返りながら接近する。

 まず、数学は「発見」されるものという立場から。人は世界を観察し、そこから一定の規則を見いだしてきた。抽象化された規則を記述するための言語が、「数学」である。惑星の運動に関するケプラーの法則や、ニュートンの力学方程式は、物体の運動を正確に示すことができる。人類の身長と体重、株式指数の年間利益率も正規分布に従う。世界の諸現象に対し、不条理なほど超越的にあてはまるのが、数学なのである。

 さらに、数学に対しプラトンのイデア論を挙げたり、「神は数学する」「宇宙とは数学そのものだ」と結論づける論者も登場する。こうした人々にとって、数学とはミケランジェロの「大理石の中のヴィーナス」や漱石の「仁王像を彫る運慶」のようなものかもしれない。数学は不変かつ究極的な存在であり、それは大理石という世界の中に埋まっている「美」ともいえるだろう。

 次に、数学は「発明」されたものとする考え方。非ユークリッド幾何学が誕生する経緯が象徴的だ。きっかけは、ユークリッドの第5公理を他の公理に置き換えるための試みだったという。しかし、その試みがことごとく失敗したため、幾何学者は公理の「正しさ」を疑い始め、別の公理体系を考え始める。そして、空間を記述する数学として、ユークリッド幾何学が唯一でないことに気づき、「非ユークリッド幾何学」を構築してしまう。

 世界を記述する唯一で必然の体系が、「ルールの一つ」だと認識されると、数学は、様々なルールを「選ぶ」ことで演繹体系を作り上げるというゲームのようなものになる。かつて、ユークリッド幾何学は自然界そのものだった。しかし、別のルール(公理)を選ぶことで別の幾何学を構築できるというのであれば、数学は世界から見つけ出すものではなく、人が決めた約束事にすぎなくなる。

 すなわち、数学は、ア・プリオリな直観でも実験的な事実でもなく、人の想像力が作り出した巧妙な発明なのだ。もし「神は数学する」とすれば、神はどの数学を選んだのか? と反問できる。

 さらに、マイケル・アティヤやジョージ・レイコフを引きながら、人が物質世界の要素を理想化・抽象化することで、数学を構築したという主張を紹介する。

 たとえば、「数を数える」という行為は自然なものに見えるし、「自然」数("natural" number)なんて、原始的な概念に思えるが、それはあくまで人にとっての話。不連続な量が発生する世界に身体を持つ存在にとって「自然」な行為なのである。「人は数学をどのように理解しているのか」に着眼すると、人が世界をどのように理解しているかが見えてくる。

 人は世界を理解する際に、モデル化・数式化するのに便利な言語として、数学というツールを選択的に用いている。微積分や確率・統計、幾何学といった数学的ツールは、適当に選ばれたのではなく、実験や観測の結果をモデリングできるよう、試行錯誤を重ね、意図的に選ばれている。その時代のパラダイムに適う数学が、「発見」されたり「発明」されてきたのが、科学の歴史だとも言える。

 だから、自然科学(特に物理学)が数学的に「正しい」のは、あたりまえのことかもしれぬ。ある意味、科学者たちは数学で解決できそう問題を選び出し、研究してきたのだから。そして、知りえない世界を発見するために、新たな数学を発明していくのだから。

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