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「広告は性格の良い人がやるものではない」について考えてみました。

 リファラで気付いたのですが、Googleで「広告は性格の良い人がやるものではない」を検索すると、このブログの「「タイプ別性格判断」というものをやってみたのですが」という記事がトップに表示されるようです。ちなみに、当該エントリにはその答えは書かれていません。

 それにしても、どういう事情でこんなワードで検索をしたんでしょうね。何か嫌なことでもあったのでしょうか。

 若い広告クリエーターで、上司ができる人かつ性格が悪くて、その上司に自分の企画が通らなくて、そのうえ「君、広告向いてないんじゃないの?辞めれば?」みたいなことを言われて、「あのCDむかつく。性格最悪。だいたい広告なんて性格が悪くないとできないんじゃねえ?きっとそうだ。そうに違いない。」みたいなことなんでしょうかねえ。

 ともあれ、「広告は性格の良い人がやるものではない」というフレーズは妙に気になります。どうなんでしょうね。そんな気もしますし、そうじゃない気もします。でも、「広告は性格が良い人がやるものである」とはちょっと言えないような。

 例えば、純粋にピュアアートが好きで、自分でも絵やらイラストを描いていて、自分なりの美やら価値観を純度の高いかたちで持っていて、そんな自分の能力を広告で活かしていきたいと思っている人がいたとして、その人が広告制作の現場に入ってきたとしたら、たぶんしんどいことになるんじゃないかな、と思います。純粋な人ほどしんどいことになりがち。

 なぜしんどいかというと、広告っていうのは、企業のコミュニケーション活動の一環だから。つまり、原則的にはそこに自分の美や価値観が入り込むすきまがないんですよね。広告制作では、自分の美や価値観、もっと言えば、普遍的な美よりも、広告というものが上位概念に位置していて、あらゆる美は、広告にめいっぱい利用するものとしてあります。ある意味でさみしい考え方かもしれないけれど、広告主はパトロンじゃないから、しょうがないことですよね。

 入り込む隙間があったとすれば、それはたまたま自分の美や価値観がその目的に合致した場合だけ。で、このたまたまの合致が幸福かって言えば、そうとも言えないんだろうなあ、とも思うんです。若くてまだ世の中に名前が出ていない人なら、それは世の中に出るチャンスにもなるでしょうけど、ある程度名前が出ている人なら、自分の芸術が広告に利用されているという苦悩が出始めます。と考えると、若くて名前が出ていない人であっても同じことが、本当は言えるわけで、そう思わなくて済むのは、その人の人生の過程で、たまたま広告に利用されるメリットが勝っていたというだけのこと。

 これは広告だけでなく商業芸術すべてに言えるし、ピュアアートであっても少なからず同じとこが言えるんでしょうけど、その中でも広告は、そんなジレンマが鋭く出てくるものではあるのでしょう。

 だからと言って、自分の美や価値観を一切持たない人が広告でうまく生きていけるのかというとそうでもなくて、そういう人のほとんどは、単に技術のない人として、現場では使いものにならない人になってしまうんだろうなとも思います。

 自分の美や価値観を持っていなければ広告クリエイターとして有能にはなれないけれど、その意識を純化すればするほど、今度は自分の美や価値観と広告との間で引き裂かれてしまう。この矛盾をしなやかに受け流して、その時その時でうまく立ち回っていくことが「性格が悪い」というのなら、きっと「広告は性格の良い人がやるものではない」というのは正解なんでしょうね。

 私はそのあたりをどう考えているのか。

 うーん、どうなんだろう。なんとなくは、その「性格の悪さ」を引き受けるというか、まあしゃあないわなあ、という感じではあるかなあ。私はキャリア的にもディレクションワークをすることが多いのですが、今まで何度か「それはわかる。わかるけど、今、それは関係ないから。非情かもしれないけれど、この広告にそれは一切いらないんです。あなたの価値を否定しているわけじゃないけど、今は、それはいらない。わかってください。」みたいな思いを持ったことがありました。

 私はもともとがCIプランナーだし、表現者としての思いに鈍感な部分もあるのかもしれませんが、それでも、若い頃、自分の価値を否定された気分になったことが一度もないと言えば嘘になります。その時からいくらかの時が経って、若い時の自分に言うとすれば、それは表現者としてのあなたを否定してロボットになれ、ということではなくて、自己表現としての技術と同じくらい、いや、もしかするとそれ以上、広告の表現技術の世界って奥が深いし、繊細なんだよ、ということなんだろうと思います。

 それに、社会と密接に関係するコミュニケーション・アートとして広告を捉えれば、これほど奥の深いものはないと思うし、世の中の変わり目で、今までの広告手法が通用しにくくなって来ている今だからこそ、その技術の磨きがいがあるとも思うんです。

 広告は、基本、作り手の立場で言えば、匿名表現です。コミュニケーションの主体は、企業、あるいはブランド、商品だから。でも、だからこその社会性や社会的意義もあったりして、きっと「広告は性格の良い人がやるものではない」というのは、そのまま、「性格が良い」人ばかりでは世の中は回らないのよ、という意味で、その表現がより大きな社会性を担っているからだ、とも言えるんじゃないかな、なんてことも考えたりします。

 Googleで「広告は性格の良い人がやるものではない」と検索した方がどんな方かはわかりませんが、これが私の答えです。ちゃんとした答えになっているかどうか、自信はないけれど。ではでは。

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