- 2017年11月26日 18:26
座間9人殺害事件について相模原事件の植松被告が語った言葉
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2017年11月21日、相模原障害者殺傷事件の植松聖被告に接見した。もう3カ月以上、月に何度も接見しているのだが、この何回かは座間市で9人の遺体が見つかった事件をめぐって、植松被告と議論している。彼がこの事件についてどう言っているかについては後述しよう。
その前にまず、座間事件をめぐって何が問題になっているのか書いておきたい。
『女性自身』11月28日号の「『娘の実名報道、写真公開はやめて!』黙殺された被害者9遺族涙の嘆願書」という記事がちょっと話題になっている。座間事件の被害者遺族がマスコミの実名・顔写真報道に抗議する嘆願書を送っていたことを報じたものだ。

問題になったのは11月10日以降、9人の被害者の身元が判明したとして新聞・テレビが一斉に顔写真と名前を公開したことだ。それも新聞によっては写真をずらりと並べる異様な紙面。その後、遺族を含めた反発があったことを受けてか、再び匿名にした新聞もある。匿名報道と実名報道を続ける新聞とに分かれているのだ。
『週刊文春』11月23日号に掲載された緊急アンケート「被害者『実名』『顔写真』報道の賛否」によると「実名・顔写真」報道に反対という人が62%だ。その結果に対して同誌は、津田大介さんや江川紹子さんらの見解を載せている。江川さんや服部孝章・立教大名誉教授らは、実名報道の必要性を強調している。
ネットなどでは、相模原事件では犠牲者全員が匿名なのに、この事件ではどうして?という意見が多い。でも、むしろ相模原事件の匿名問題があったからこそマスコミは今回、一斉に実名報道に踏みきったというのが実情だろう。というのも、相模原事件の犠牲者全員がいまだに匿名という状況に対しては、疑問を呈する見方が多いからだ。特にマスコミ側にはその匿名のせいで事件の背景に迫ることができなくなっているという声が圧倒的に多いし、障害者団体や被害者家族からもこの匿名には疑問の声が出されている。
私も相模原事件の犠牲者がいまだに匿名であることにはかなり疑問を感じているのだが、一方で今回の座間事件の実名・顔写真一斉公開のしかたにいささか違和感を覚えたのも事実だ。なかには何年も前の小学校の卒業アルバムの写真が使われている被害者もいる。顔を出すこと自体が自己目的化されているような印象も受けた。
実名を出すことの必要性については日々の報道の都度考えていけばよいと思うのだが、問題なのは、『女性自身』が原文を公開していた遺族らの嘆願書にあるように、実名かどうかだけでなく「取材報道を遠慮してほしい」という遺族の声があることだろう。
「娘をこれ以上、世間のさらし者にしたくはありません」と書いている遺族もいる。家族としては当然の思いだろう。しかし、報道すること自体は大事なことで、ではどういう報道であるべきなのか。そのことをきちんと議論することが重要だろう。
実名を出さなくても伝えるべき内容は報じられる。また逆にこの間の新聞報道については、実名を報じたためか、被害者がこんなに明るい人柄で皆に愛された人だったという面ばかり強調された印象も受けた。それではなぜ容疑者との接点が生じたのかについて踏み込めていないのだ。
逆に例えば『週刊新潮』11月16日号(11月9日発売)など、かなり被害者のプライバシーに踏み込んでいるのだが、この段階では新聞も実名報道に踏みきっていないため、同誌も被害者全員の実名は出さず、顔写真にも目伏せを入れていた。
現時点で一番問題だと思うのは、その実名匿名含めた報道のあり方について、新聞などが報道する側の考え方を明らかにしていないことだ。実名と顔写真をあれだけ仰々しく公開したのに、それがいつのまにか匿名になっているという場合は、それについてどう考えているのか読者に説明くらいすべきだろう。この議論の背景には、マスコミの取材・報道に対する市民の側の不信感が存在する。「取材報道を遠慮してほしい」という遺族の声もその反映だし、相模原事件で遺族が強く匿名を求めてきたのもそのためだ。