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「親日」の印象が薄いフィリピンが神風特攻隊を賞賛する理由


【タルラック州バンバン村で行われた神風特攻隊慰霊祭(平成12年10月)

 世界は日本をどう見ているか。ジャーナリストの井上和彦氏は以前紹介した親日国・台湾とは違い、日本に対し決して良い感情を抱いているとは思えぬフィリピンを訪れ、衝撃を受ける。

 * * *
「フィリピンにも“英雄”はたくさんいます。ですから私たちは神風特攻隊という日本の““英雄”をたいへん尊敬しています」

 少し時間を遡るが、2000年(平成12年)10月25日、ルソン島タルラック州バンバン村で行われた神風特攻隊の慰霊祭に参加していた地元サン・ロック高校の女子学生たちから自国の“英雄”と同様に称える言葉が飛び出した。そして引率の男性教師は、「こうした歴史教育を通して、子供たちに国を守ることの大切さを知ってほしいのです」と語った。驚くべきことに、フィリピンで神風特別攻撃隊が称賛され、尊敬を集めていたのである。

 この慰霊祭が終了し、日本からやってきた慰霊団のバスが村を去ろうとしたとき、前方から濛々と立ちあがる砂埃と共に「日の丸」とフィリピン国旗を振る子供たちの一団が押し寄せてきた。慰霊団の人々はこの衝撃的な光景に胸を詰まらせ、そして頬を濡らした。
 手作りの日章旗をその小さな手に握り締めた子供たちの行列は延々と続いたのである。いったいこれはどういうことなのか……。

 大東亜戦争で日米の決戦場となったフィリピンでは一般市民に多くの死傷者を出した。そんな歴史からこの国の対日感情は決して良いとはいえないだろうと思い込んでいただけに、私はその光景に衝撃を受けた。

 その秘密はフィリピンの被侵略の歴史にあった。


【マバラカットの東飛行場跡の神風特攻隊慰霊碑に立つ特攻隊員の銅像。平成29年2月に行われた慰霊祭にて】

 フィリピンは16世紀から300年以上にわたってスペインの植民地でありつづけた。そもそもフィリピンという国名が、スペイン国王フェリペ二世に因んでつけられたものである。こうしたことからフィリピンにはスペイン風の建物があちこちに遺されており、“アジア”離れした雰囲気を醸し出している。

 だが1898年、太平洋に進出してきた新興の覇権主義国家アメリカとの米西戦争の結果、今度はアメリカがフィリピンの支配者となる。独立運動家エミリオ・アギナルドが独立を宣言したにもかかわらず、アメリカはスペインに代わって宗主国に収まったのだ。

 こうした歴史を知る年配者の対米感情は複雑なものがある。地元のマリオ・ピネダ氏は、フィリピン人は白人国家間の覇権争いの犠牲者だと言ってこう話した。

「アメリカはフィリピンを徹底的に弾圧しました。アメリカの国旗に頭を下げない人々は皆グアム島に送られたんですよ。グアム島の人口の30%がフィリピン系である理由にはこうした歴史的背景があります」

 さらにピネダ氏はこう語るのだった。

「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。これは日本の“教育”の成果です。ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、人々は鉛筆すら作ることができなかったのですよ。アメリカが自分たちの作ったものを一方的にフィリピンに売りつけたからでした」


【ダニエル・ディゾン画伯と氏の手による「敷島隊」の肖像画】

 自由・平等・民主主義を謳いながら一方でアメリカは植民地フィリピンに対して愚民化政策を行ったのだ。だからこそ同じ黄色人種の日本人が、それまでの支配者であった白人を打ち負かした大東亜戦争に共感した人が多かったのだろう。なるほど特攻隊の慰霊祭で知り合った当時70歳のダニエル・ディゾン画伯(故人)はこんな話をしてくれた。

「いまから35年前に私は神風特攻隊の本を読んで涙がとまらなかった。こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。同じアジア人としてこのような“英雄”がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを誇りに思っています」

◆白人への抵抗だった神風

 実はこのディゾン画伯が、1974年(昭和49年)に当時のマバラカット市長に進言したことがきっかけで神風特攻隊の慰霊碑が建立されたのである。ところがその慰霊碑はピナツボ火山の噴火で喪失したため、近年、さらに立派な慰霊碑が再建されたのだった。ディゾン画伯は、Kamikaze Memorial Society of Philippines(フィリピン・カミカゼ記念協会)の会長となり、特攻隊を顕彰するとともに自宅に「カミカゼ・ミュージアム」を設けていた。彼はこう語った。

「私はヨーロッパ・アメリカ・中国・フィリピンの歴史を様々な角度から検証してみました。その結果、なぜ日本が立ちあがり、戦争に打って出たのかがよくわかったのです。そして日本が、欧米列強の植民地支配に甘んじていたアジアを叱責した理由も理解できたのです」

 そして彼は語気を強めた。

「当時、白人は有色人種を見下していました。それに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきとして戦争に突入していったのです。神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の抵抗だったといえましょう」

 16世紀初頭、フィリピンに上陸してきたフェルディナンド・マゼランを倒した英雄・ラプラプ王にはじまり、アメリカに抵抗して日本に助けを求めたフィリピン独立運動の父・アギナルド将軍(初代大統領)など、フィリピン人が400年もの間、白人の侵略と戦い続けてきた歴史があったのだ。

 こうした歴史が対日感情に影響しているのだろう。

 大東亜戦争における日本人戦没者のおよそ4分の1がフィリピンで亡くなり、2016年(平成28年)に天皇皇后両陛下が訪問された戦没者墓地をはじめ各地に慰霊碑が建立されている。

 また大東亜戦争後の“復讐裁判”だったマニラ軍事裁判で処刑された山下奉文(ともゆき)大将と本間雅晴中将の終焉の地もきちんと整備されている。ロスバニョスにある山下大将の終焉の地は、なんと「YAMASHITA ST.」(山下通り)と名付けられ、慰霊碑の近くには大きな鳥居と墓標などが建ち、いまも地元の人々によってきれいに整備されている。また本間中将が銃殺刑に処せられた場所にも大きな円形の慰霊碑がある。「戦犯」という汚名を着せられ処刑された日本軍人の慰霊碑がこうして守られていることからも、フィリピン人の対日感情と大東亜戦争に対する評価を窺い知れよう。

 両将に死刑判決を下したマニラ軍事裁判で、山下将軍の弁護人であった米国人フランク・リールは著書『山下裁判』(日本教文社刊)で次のように記している(旧字は新字にあらためた)。

「祖国を愛するアメリカ人は、何人もこの点に関する検事側の記録を、拭うことのできない痛切な羞恥の感覚無しに、読むことができないからである」「我々は不正で、偽善的で、復讐心があった」

 フィリピンの人々はこのことを知っているのかもしれない。ディゾン画伯は、私が氏の自宅を去るとき、両手を固く結んで私にこう託したのだった。

「神風特攻隊をはじめ、先の大戦で亡くなった多くの日本軍人をどうか敬っていただきたい。これは私から日本の若者たちへのメッセージです……」

【PROFILE】井上和彦●1963年生まれ。法政大学社会学部卒。軍事・安全保障・国際政治問題を中心に執筆活動を行う。著書に『大東亜戦争秘録 日本軍はこんなに強かった!』(双葉社)、『撃墜王は生きている!』(小学館文庫)など。

※SAPIO2017年11・12月号

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