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- 2017年11月23日 18:03
不貞の妻を殴るのはやむを得ないという弁護士の解説 女性差別感が満載ではないか 不倫暴行死裁判員裁判判決
先般、当ブログでも紹介した不倫暴行死に対する執行猶予判決事件ですが、この判決はやはりどうにも解せない判決でした。
「裁判員裁判の怪 不倫した妻を殴ることは理解できる?」
こちらでも転載して紹介して頂きました。
「裁判員制度はいらないインコのウェブ大運動」
そこではこのようなご指摘も受けました。
「どうも「女性差別の匂いがする判決」なんだよね。不倫も浮気も法律では「不貞行為」。
夫(男)が他の女と情を通じたって? 男が浮気するのは仕方ない、よくある話だ。
妻(女)が他の男と情を通じたって? 不倫するような女はけしからん。夫をこけにしたんだから殴られて当然。
そんな意識が根底にないか?」
するどい指摘です。私もなるほどと思いました。
それに比べ、次の弁護士ドットコムの記事は小野智彦弁護士の解説ですが、首をかしげたくなります。
「死なせても執行猶予、どんなとき? 傷害致死事件の判決で「激しい怒り、理解できる」」(弁護士ドットコム)
まさに私が意訳したように、「不倫に対して殴ってしまったのはよくなかったけれど、不倫したやつがわるいんだしね、結果として死んでしまったのは残念だったけれど、まっ、死ぬとは思っていなかったんだから仕方ないよね」そのものではないですか。
どんな場面であろうと、無抵抗の相手を殴っているわけです。挑発されたとか、相手が先に手を出したとかいうものではありません。
無抵抗であるというだけでなく、不貞が発覚という立場の置かれ、抵抗できないという状況に置かれ、まさに文字通りの無抵抗の相手に暴力を振るうということの是非なのです。
また不貞行為で暴力がやむを得ないというのであれば、逆に妻が不貞に至ったことがやむを得なかったのかどうかも審理しなければアンバランスです。
小野弁護士の見解は、被害者側の事情というとき、それを全く抽象化してしまい、暴力行為を「正当化」している点で大いに問題なのです。
この事件において妻が不貞をしたというだけの事情で暴力行為において情状として量刑を考慮したとすれば、それは批判の対象でしかなく、情状であろうと擁護するという発想がおかしいと言わざるを得ません。
「裁判員裁判の怪 不倫した妻を殴ることは理解できる?」
こちらでも転載して紹介して頂きました。
「裁判員制度はいらないインコのウェブ大運動」
そこではこのようなご指摘も受けました。
「どうも「女性差別の匂いがする判決」なんだよね。不倫も浮気も法律では「不貞行為」。
夫(男)が他の女と情を通じたって? 男が浮気するのは仕方ない、よくある話だ。
妻(女)が他の男と情を通じたって? 不倫するような女はけしからん。夫をこけにしたんだから殴られて当然。
そんな意識が根底にないか?」
するどい指摘です。私もなるほどと思いました。
それに比べ、次の弁護士ドットコムの記事は小野智彦弁護士の解説ですが、首をかしげたくなります。
「死なせても執行猶予、どんなとき? 傷害致死事件の判決で「激しい怒り、理解できる」」(弁護士ドットコム)
「配偶者が不倫し、それが発覚した場合、激怒するのは責められるものではありません。怒りを通り越して手が出るというのも、褒められたものではありませんが、ある程度やむをえないものだと思います。殴られても仕方ないのだそうです。情状面でという意味合いで用いられているというこは承知の上で、敢えて言いますが、ちょっとおかしくありませんか、と声を大にして言いたい。
その意味では、殴られても仕方ない面があると認定したのかもしれません。殴る蹴るには理由があって、その発端が被害者にあるケースも多々あります。」
まさに私が意訳したように、「不倫に対して殴ってしまったのはよくなかったけれど、不倫したやつがわるいんだしね、結果として死んでしまったのは残念だったけれど、まっ、死ぬとは思っていなかったんだから仕方ないよね」そのものではないですか。
どんな場面であろうと、無抵抗の相手を殴っているわけです。挑発されたとか、相手が先に手を出したとかいうものではありません。
無抵抗であるというだけでなく、不貞が発覚という立場の置かれ、抵抗できないという状況に置かれ、まさに文字通りの無抵抗の相手に暴力を振るうということの是非なのです。
また不貞行為で暴力がやむを得ないというのであれば、逆に妻が不貞に至ったことがやむを得なかったのかどうかも審理しなければアンバランスです。
カッとなって暴力を振るう人間って普段から同様の行動を取っていると思うんだよね
小野弁護士の見解は、被害者側の事情というとき、それを全く抽象化してしまい、暴力行為を「正当化」している点で大いに問題なのです。
この事件において妻が不貞をしたというだけの事情で暴力行為において情状として量刑を考慮したとすれば、それは批判の対象でしかなく、情状であろうと擁護するという発想がおかしいと言わざるを得ません。



