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生活困窮者は誰のために「自立」するのか

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2011年8月10日の「私たちの声をきいてください!生活保護利用者デモ」の様子

生活困窮者は誰のために「自立」するのか

現在、生活保護制度と生活困窮者自立支援制度の見直しに向けた議論がおこなわれています。 

今年の5月から「生活困窮者自立支援及び生活保護部会」という厚労省の社会保障審議会が開催されていて、そこで、研究者やNPO等の事業者などが委員となり、今後の生活保護制度や生活困窮者自立支援制度についてのあり方について話しています。

生活困窮者自立支援及び生活保護部会

厚労省の発表資料によれば、ここでの議論をベースに来年の国会に生活保護法と生活困窮者自立支援法の改正案を提出する予定であるとのこと。 

生活保護制度は現在、約215万人が利用しており(厚労省被保護者調査)、この改正は日本の貧困対策や社会保障政策においても大きな影響があるものです。

この審議会の議論について、僕も過去に下記の記事を書いています。

生活保護家庭の子どもの大学進学ダメ問題は解決に向かうのか 審議会の議論がダメなので整理します(大西連) - Y!ニュース

正直、論点が多いのですべてを書くことは困難で、かつ、まだ具体的な改正案等は公開されていないのですが、ここまでの議論で気になった点について書きたいと思います。

両制度の改正の方向性が明らかに

昨日(11月16日)、第10回目の審議会が開催され、両制度に対する「見直しの視点」「見直しの視点のための論点整理」が公表されました。

僕は残念ながら山形に出張に来ていて傍聴等はできなかったのですが、資料が以下に公開されています。

生活困窮者自立支援制度及び生活保護制度の見直しの視点

生活困窮者自立支援制度及び生活保護制度の見直しに関する論点整理

この2つのペーパーはあくまで現段階の案なのですが(一つ目が概要版、二つ目が詳細版といったところでしょうか)、改正のおおまかな方向性はここで記載されているものになると考えてもいいと思います。 

※この審議会での委員の発言等により何らかの修正や変更が加えられる可能性はあります。

ここでの記載はあくまで理念的な内容にとどまっていて、まだ具体的な法案修正案や運用についての変更案がでているわけではありませんが、理念の部分はとても重要なので見ていきたいと思います。

どのような視点にたって見直すのか

概要版をみると、主な論点が、5点示されています。

・「地域共生社会の実現」という視点に立って制度を設計することが必要
・「早期の予防的な支援」を心がけることが必要
・「貧困の連鎖を防ぐ」という視点に立って支援を行うことが必要
・「高齢の生活困窮者に着目した支援」という視点も重要
・「信頼による支え合い」が実現するような制度を目指すことが必要

もちろん、この字面だけを見ているとまあ必要だよね、くらいの感想だと思うのですが、文言を見ていると違和感があります。

語感の良い言葉に見え隠れするパターナリズム

たとえば、「地域共生社会の実現」について言えば、

制度の見直しを進めるに当たっては、「支え手」「受け手」といった関係を超えて、生活困窮者、生活保護受給者等の誰もが役割を持ち、支え合いながら自分らしく活躍できる「地域共生社会の実現」という視点に立って制度を設計する

とあります。『「支え手」「受け手」といった関係を超えて』とは何でしょうか。 

生活保護制度などは、法律的には権利性が認められていながら、水際作戦の事例のように、実際には、生活保護利用者と役所(福祉事務所)の担当者は対等ではありません。ある種の生殺与奪の権を役所側の担当者が持ってしまっている実態があります。

【SYNODOS】生活保護の水際作戦事例を検証する/大西連

また、生活困窮者自立支援制度では、プラン作成と言って相談に来た人の支援計画を立てるのですが、そのプランは基本的に行政の担当者(もしくは委託業者の担当者)が作成します。 

これは、介護・障害分野などでの「当事者主権」という考え方が反映されていないものです。要するに対等ではないということです。(介護や障害分野などでは「ケアプラン」をサービスを利用する自分自身で作成することも可能な仕組みになっています)

それを対等にしていく、「当事者主権」をベースにする、ということならわかるのですが、ここでは、そういう文脈ではありません。むしろ、非常にパターナリズムに陥りがちです。 

※パターナリズムとは、支援者が当事者の利益のためにと当事者の意思や価値観を重視せずに支援する、介入すること。

そもそも、生活保護の文脈などでは、行政側の担当者は「指導」をする立場でもありますので、そこには明確な「差」があるわけです。そこを手放すことは制度の性質上、現状ではできないわけですから、支援者(支え手)の権威性を維持したまま都合よく当事者(受け手)と『「支え手」「受け手」といった関係を超えて』という言葉を使うのはナンセンスと思います。

もちろん、ホームレス支援の現場などでは、例えば、炊き出しに並んでいた人がカレーを作る側になったとか、夜回りで声をかけられている側だった人がかける側になったとか、そういうストーリーはたくさんあります。

しかし、それもいろいろ批判があってピアサポート(当事者同士の支えあい)という側面もありつつも、ちょっと意地悪な言い方をすると当事者と支援者という明確な「壁」があるなかで支援側に「移った(あがった)」だけである、という見方もできます。 

「共同炊事」のように、最初から支援者や当事者と別れずに一緒に作って一緒に食べる、という方法を大切にするグループや活動があることを忘れてはいけないでしょう。

そして、『「支え手」「受け手」といった関係を超えて』は、結果的にそのような状態になることはあっても、最初からそれを「見込んで(当てにして)」というものではない、ということは特記しておきたいです。

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