- 2017年11月07日 14:21
自由を求めるヒーローか、人類共通の敵か――海賊から世界史を読む / 『海賊の世界史』著者、桃井治郎氏インタビュー
1/2「わたしは小さい舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝と呼ばれるだけです」と、ある海賊がアレキサンダー大王に答えたという逸話がある。じっさい海賊は決して自明な存在ではない。海賊の歴史を紐解くとき、そこに現れるのはたんなる掠奪者をこえた多彩な存在のあり方なのだ。海賊とは何なのか? 『海賊の世界史』の著者、桃井治郎氏にお話を伺った。(聞き手・構成 / 芹沢一也)
――桃井先生はどのような研究をなさっているのですか?
これまで、北西アフリカのマグレブ地域を主なフィールドに、国際関係論と平和学の観点から研究してきました。具体的な研究テーマとしては、19世紀初頭の北アフリカとヨーロッパの国際関係史、それから現代のテロリズム問題についてです。海賊史については、19世紀初頭のバルバリア海賊の終焉期の研究から始めました。
――バルバリア海賊、ですか。
はい。19世紀初頭の北アフリカは、モロッコを除き、オスマン帝国領でした。オスマン帝国アルジェ領、チュニス領、トリポリ領ですが、これら諸領を本拠地としてイスラームによるバルバリア海賊が活動し、キリスト教徒に対して掠奪行為を働いていたんですね。ヨーロッパ主要国はバルバリア海賊の活動を抑えるために、18世紀末に北アフリカ諸領と和平条約を取り交わしています。
一方、19世紀初頭のヨーロッパでは、ナポレオン戦争の終結後、ウィーン体制と呼ばれる大国の協調体制が構築されました。そのウィーン体制のもと、ヨーロッパの大国が北アフリカのバルバリア海賊を廃絶するとの決議を行ったんですね。そして実際に、その決議を通告するために、英仏艦隊が北アフリカ諸領に派遣されました。その外交をめぐる政治過程が大変興味深く、博士論文のテーマとして選んだのが、海賊史の研究を始めたきっかけです。
――もともと海賊史にご関心があったんですね。それがなぜ現代のテロリズムの問題に?
現代のテロリズム問題については、2013年1月にアルジェリアで発生した天然ガス施設襲撃事件、一般にアルジェリア人質事件と呼ばれているものですが、この事件以降、本格的に関心を持ちました。
私は、2008年から2011年までの3年間、在アルジェリア日本国大使館で専門調査員として勤務したのですが、そのときにお世話になった方もこの事件で犠牲になったこともあって、自分なりにテロリズムの問題を考えてみたいと思い、研究を始めました。
――それが『アルジェリア人質事件の深層』(新評論)に結実したわけですね。
そうなります。19世紀の海賊史と現代のテロリズム問題という別々のように見える研究テーマなのですが、どちらも国際社会のアウトサイダー、アウトローとしての問題性が含まれているという点では共通していますね。その点を意識しながら研究を進めています。
――そんな桃井先生が、今回、19世紀を超えて、海賊の「世界史」を書かれようと思った理由は何でしょうか?
海賊というのは、匪賊、つまり集団的に略奪などを行う賊ですので、歴史的に見れば小さな存在です。また、逆賊としての要素もあるので、正史には現れない存在だと思っていました。ですが、それだけに、消え去った歴史、あるいは実現しなかった歴史を探る上で、海賊の存在は面白いのではないかと考えたんです。そこで、海賊の視点から世界史を再読してみようと思い立ちました。
実際に海賊について調べ始めると、「人類共通の敵」として歴史に大きな影響を及ぼした海賊や、あるいは、時代によっては国家の英雄として扱われた海賊も存在し、一筋縄ではいかないことに気がつきました。むしろ、海賊がそれぞれの時代にどのような存在であったのかを探ることで、その時代の特徴が見えてくるのではないかと考えるようになりました。
――一言で海賊といっても、歴史を通じてつねに同じように捉えられていたわけではないのですね。
ええ。たとえば、ギリシア神話においては、アキレウスやオデュッセウスといった英雄たちが自らの海賊行為を誇らしげに語っていますし、ヘロドトスの『歴史』においても、海賊行為は悪業としては見なされていません。むしろ、偉業をなしとげる力を持った英雄による行為として描かれています。
しかし、古代ローマの時代になると、海賊はパクス・ロマーナを脅かす存在となります。哲学者のキケロは、「海賊は人類共通の敵」と表現しています。さらに中世には、イスラーム世界とキリスト教世界の対立の中で、お互いに対する海賊行為は正当化されました。さきほどのバルバリア海賊もその一形態です。
また、大航海時代には、イングランドやフランスは、スペイン帝国に対抗するため、スペインに対する掠奪行為を黙認し、ときには奨励します。しかし、近代になり、海洋の自由、商業活動の自由が求められるようになると、海賊行為はふたたび「人類共通の敵」となり、鎮圧の対象となっていきます。先ほど述べたバルバリア海賊の終焉過程も、この文脈上にあります。
こうした国際秩序は現代にも引き継がれていますが、ソマリア海賊に見られるように、近代の主権国家体制のほころびとして、現代にふたたび海賊が現れる事態になっています。
――そうしたなかで、先生がもっとも強い印象を持った海賊は誰でしょうか?
一人選ぶとしたら、「バルバロッサ兄弟」として知られたハイルッディンでしょうか。彼は1475年、エーゲ海のレスボス島で生まれたのですが、生家は裕福ではなかったと言われています。その後、兄のウルージとともに海賊業を始め、海賊の首領となったウルージとともにチュニスやアルジェに根拠地を移しました。ウルージはアルジェの統治者を殺害し、アルジェの支配者となるのですが、海賊討伐のために派遣されたスペイン軍に敗れ、命を落とします。
ウルージの跡を継いで、アルジェの支配者になったハイルッディンは、オスマン帝国に助力を求めました。以後、アルジェはオスマン帝国アルジェ領となり、ハイルッディンはアルジェ領の総督の地位を得ました。
――海賊ってけっこう公的な地位に出世するんですよね。ハイルッディンも総督になったわけですね。
そうです。さらには、海戦の経験が豊かなハイルッディンは、オスマン帝国のスルタンであるスレイマン1世に見込まれ、オスマン帝国海軍の大提督に指名されることになります。つまり、一介の海賊からオスマン帝国海軍のトップに大出世を果たしたのです。
ハイルッディンはオスマン帝国海軍を率い、ヨーロッパ神聖同盟の艦隊とプレヴェザの海戦(1538年)を戦いました。プレヴェザの海戦は、ヨーロッパ艦隊の総司令官アンドレア・ドーリアの撤退もあり、最終的な決着はつかなかったのですが、いずれにせよ、その後の世界史の行方を左右するヨーロッパとオスマン帝国の衝突において、海賊が大きな役割を果たしたことになります。
ハイルッディンはたしかに海賊出身なのですが、その生涯は波乱に満ちており、歴史に与えた影響という点から見ても、16世紀イングランドの海賊フランシス・ドレークと並ぶような人物だと思います。
――ドレークもイギリスでは英雄です。
ドレークは、中南米やカリブ海地域のスペイン領やスペイン船を掠奪して回った海賊ですが、当時のエリザベス女王は、ドレークの海賊行為の遠征に対して、裏側では資金援助をしていました。
ドレークが掠奪品を満載にしてイングランドのプリマス港に戻ると、その利益の一部はエリザベス女王にも渡りました。言うなればエリザベス女王は、ドレークの海賊行為に投資をしていたことになります。エリザベス女王としては、新世界の富を独占するスペインへの対抗意識もあったのでしょう。




