- 2017年11月03日 11:15
指導死の当事者が教師を続けてもいいのか
画像を見る朝日新聞の社説(10月29日付)。見出しは「指導死 教室を地獄にしない」。
■「いじめ」と並ぶ現代社会の重い病
「指導死」という言葉をご存じだろうか。教師の叱責で子供が自殺に追い込まれることをそう呼ぶそうだ。10月29日付の朝日新聞の第1社説のタイトルにもなっている。なんとも嫌な言葉である。本来、教師の指導によって児童や生徒は大きく育ち、未来に向かって羽ばたく。それが真逆の死につながるのだから信じられない。
どうしてこんな悲劇が生まれるのだろうか。かつて教師は「3歩下がって師の影を踏まない」と尊敬される存在だった。教師の資質が落ちたのか。それとも子供たちが変化したのか。いずれにしても「いじめ」と並ぶ現代社会の重い病であることには間違いない。
■朝日の見出しは「教室を地獄にしない」
朝日社説は「子どもたちの可能性を伸ばすべき学校が、逆に未来を奪う。そんな過ちを、これ以上くり返してはならない」と書き出し、「教師のいきすぎた指導が生徒を死に追いやる。遺族たちはそれを『指導死』と呼ぶ」とつなげていく。
見出しは「教室を地獄にしない」である。まるでホラー映画のような強烈さだが、その実態は映画よりも恐ろしい。朝日社説は調査報告書をもとに、教室が地獄と化した実態をこうつづっている。
「福井県の中学校で今年3月、2年生の男子生徒が自死した。宿題の提出や生徒会活動の準備の遅れを、何度も強く叱られた末のことだった」
「周囲が身震いするほど大声でどなる。副会長としてがんばっていた生徒会活動を『辞めてもいいよ』と突き放す。担任と副担任の双方が叱責一辺倒で、励まし役がいなかった。生徒は逃げ場を失った。どれだけ自尊心を踏みにじられ、無力感にさいなまれただろう」
沙鴎一歩にも似たような経験がある。福井の中学生と同じ中学2年のときだった。担任の教師から叱責を度々受け、その教師と対立した。当時のことを思い出すと、福井の中学生が逃げ場を失った苦しみはどれほどのものだったかと思う。
■いじめと同じ構造だが、加害者が「教師」
このあと朝日社説は「こうしたゆがみは、この学校特有の問題ではない」と大きく展開していく。そのうえで「『指導死』親の会などによると、この約30年間で、報道で確認できるだけで未遂9件を含めて約70件の指導死があり、いくつかの共通点があるという」と指摘する。
「本人に事実を確かめたり、言い分を聞いたりする手続きを踏まない。長い時間拘束する。複数で取り囲んで問い詰める。冤罪を生む取調室さながらだ。大半は、身体ではなく言葉による心への暴力だ。それは、教師ならだれでも加害者になりうることを物語る」
「冤罪を生む取調室」「言葉による心への暴力」……。これはいじめの構造と同じである。違うのは「教師が加害者」という点だろう。
■若い教師や学生に対する教育が必要だ
どうすれば「指導死」を無くせるのか。朝日社説は「文部科学省や各教育委員会は教員研修などを通じて、他の学校や地域にも事例を周知し、教訓の共有を図るべきだ」と訴えている。
しかし問題の根底は教師の質にあるのではないか。まずは指導死を招いた教師に教育の場から離れてもらうことだ。辞めてもらうしかない。
そして若い教師やこれから教師になろうとする学生に、指導死が生まれる背景をしっかり伝えることだ。起きてしまった事実から目を背けてはいけない。朝日社説がいうように「教師ならだれでも加害者になりうる」のだ。
ただし今回の朝日社説には「問題の教師を外す」という主張はみられなかった。子供を守るためには、現場から離れてもらうしかないはずだ。その点はとても残念である。
■毎日の社説は「一般論」で情けない
他紙でも「指導死」は社説のテーマになっている。たとえば10月25日付の毎日新聞の社説は次のように書き始める。
「福井県池田町で、自殺した中学2年の男子生徒に関する調査報告書が公表された。『担任と副担任の厳しい叱責にさらされ続け孤立感、絶望感を深めた』。弁護士らの調査委員会は自殺の原因をこう結論付けた」
朝日社説と同じく、この中学校での指導死の実態を書いた後、毎日社説はこう主張する。
「担任と副担任の双方から厳しく叱責されれば、生徒は逃げ場がない。いじめ同然であり、責任は重大だ」
「問題はこれだけではない。校長や教頭は2人の叱責を目撃するなどして知っていたのに改善に動かなかった。管理職として詳しく調査し、対処する必要があった」
正論ではあるが、朝日社説と同じところが欠けている。どうして問題の教師を教育現場から外すべきだ、と主張しないのか。若い教師や教師を目指す学生に対する確かな教育の必要性も訴えていない。
最後のまとめも情けない。新聞社説によくある一般論で終わっている。
「教師が生徒と信頼関係を築き、学校は組織的に問題解決に取り組むのは当然のことだ。一方で生徒指導に明確な基準はなく、過剰な叱責でも教師は正当化しがちだと一般的に指摘されている。子供に精神的な負荷を与えない指導のあり方について議論を深めるべきだ」
■「生徒を追い詰めて教師か」と産経
産経新聞の社説(10月25日付)の見出しは「生徒を追い詰めて教師か」だ。「そんな教師はクビにすべきだ」と考える沙鴎一歩には、納得できる見出しである。
産経社説は「教師に追い詰められた子供はどんな思いで過ごし、死を選んだのか。考えるだけで胸が痛む」と書き出し、「これが教育か。それで教師か」と言い切る。少々、感傷的ではあるが、まあ許容範囲内だろう。
中盤で「『僕だけ強く怒られる。どうしたらいいかわからない』。生徒は泣きながら家族に話している」と書く。
生徒の生の声を取り上げるのもいい。社説の訴えに説得力がともなうからである。次に産経社説はこう書く。
「担任は、生徒に期待していたなどと調査委に答えている。考え違いもはなはだしい。激しいだけの叱責は言葉の暴力でしかない」
「報告書は、ほとんどの教員に叱責についての問題意識がなかったとしている。事なかれ主義ではないというなら、生徒の気持ちへの感受性をあまりに欠いている」
その通りだ。
■教師教育のあり方を検証すべきだ
ただ産経社説も後半部分で一般論を展開し、主張自体が弱くなっているのが気になる。
「『指導死』という概念が提唱されている。教師の叱責や体罰で子供が自殺することを指す。大阪市の市立高で平成24年、部活動の顧問から体罰を受けた男子生徒が自殺した際も、注目された。社会に定着している概念とは、まだいいがたい。指導死で調査委が設けられるのも一部という。厳しい叱責に問題意識を持たない教員がいるのも、だからだろう」
この最後の「だからだろう」もよく分からない。この前にあった単語が消えてしまったのだろうか。
続けて産経社説は「しかしそもそも、自分の言葉に震える子供の心に気付かないようなら、教師の資格などない」と強調する。
産経社説は教師の質の問題を指摘する。それはいいのだが、教師の質をどのように上げればいいのかという提案がない。
教師教育のあり方を検証し、若い教師や教師を目指す学生に対する教育を充実させていかなければ、指導死はなくならない。
(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)
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