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哲学的想像力の滞留――東浩紀『一般意志2.0』

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一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

  • 作者: 東浩紀
  • 出版社/メーカー: 講談社


  • 東浩紀『一般意志2.0--ルソー、フロイト、グーグル』(講談社、2011年)を強いて言えば、公共哲学の本と言えるだろう。表題の通り、本書は、グーグルに象徴されるような高度に発達した情報技術環境に刻まれる行動履歴が人々のフロイト的な無意識(本当の望み)を統計的に可視化することを通じて、かつてジャン・ジャック・ルソーが『社会契約論』の中で示したような「一般意志」の新たな形態と言えるものが現れ得るのであり、またそうした「一般意志2.0」こそが従来的な政治過程を規律する原理になり得ると主張する。著者は「政治」(過程/イメージ)の刷新を志しているが、考えられているのは、狭い意味での政治にとらわれない未来社会像そのものである。

    一般意志とは主権者の意志を意味するが、個々人の私的利害のような「特殊意志」を集積して得られる「全体意志」とは区別され、人々に共通の利益を示すもので、定義上誤ることがないとされる。著者はルソーの「二次創作」により、一般意志は理性的な熟慮と討議を通じてではなく、コミュニケーションなしに導かれると読むべきであることを主張し、そこから個々人の勝手なつぶやきが政治空間を規制する「ツイッター民主主義」を正当化するのである。政治システムに直接かかわる範囲で本書の主張を短く要約するなら、あらゆる政治過程(「熟議」)を公開した上で、それを見た人のコメントがニコニコ動画やツイッターのハッシュタグのようにリアルタイムで当の政治的アクターたち(政治家や官僚)の目に触れるようにすることにより、場の空気としての「みんなの均された望み」が議論の方向性を大まかに統御することができるのではないか、ということに尽きる。

    ルソーやホッブズ、ロックらについての著者独特の解釈がどこまで妥当であるのかは、重要ではないだろう。実際のところ、先の主張を導き出すためにルソーは必要ない。本書の立場をより一般的な文脈に接続するなら、情報技術を通じて未組織大衆による利益政治の規律を可能にしようとするものだと言える。したがってそれは、流動性が高まった現代社会における利害伝達経路の再編を図ろうとする「ステークホルダー・デモクラシー」の一部として解釈することもできる*1。「当事者の専横は、非当事者の欲望によって自ずと限界づけられる」(162頁)という期待は、狭く濃いステークホルダーの議論に広く薄いステークホルダーへの応答性を確保しようとするものだと言えるだろう。 そのように解釈できるということは、著者の議論が結局それなりに穏当なところに落ち着いたということであり、それ自体は十分な評価を与えられるべきであると同時に、最早その議論に刺激的な部分は見出しにくいということでもある。私は本書の基本的な主張に賛成するものである。それゆえにこそ、本書の元となった連載を一通り読み終えたときに私が感じたのは、失望であった。回が進むほど同じ内容が繰り返され、想像力の枯渇を感じさせた。そして部分的な加筆が為された本書においても事情は基本的に変わらず、「具体的な実装や制度論は、読者のみなさんの想像力に委ね」られることとなった(4頁)。

    むろん改めてまとまった形で読んでみると、有益な発見がないではない。ツイッター民主主義が、無意識レベルでの選好を自動的に集計して最適な均衡を図ろうとする純粋に功利主義的な立場ではなく、無意識を政治アリーナ上で可視化することそのものを重視するという意味で、あくまでも民主主義を志向していることが明確にされた点は、著者の立場自体を理解する上では重要である。こうした議論を積極的にフォローしてこなかった人々にとって、本書は大いに刺激的であろうし、便宜に適うと思われる。 さて著者は、国家や企業の「外部者」が、いかなる決定権も持たないにもかかわらず、その国や企業内部の人々に大きな影響を与え得ることを指して、新しいタイプの政治と呼んでいる。そして、コミュニケーションを重視する政治観と対立を重視する政治観の双方を退け、政治の概念を「ある特定の共同体への所属を前提とする活動という意味から解き放つ必要がある」と語る(249頁)。だが、既存の境界線を越えた政治の可能性については(ステークホルダーという言葉がそれであるように)最近30年程の間にかなり頻繁に語られ続けてきた。それにもかかわらず政治が最終的には必ず境界線と結び付き、(排除を含む)コミュニケーションを帰結するものであることは、既に明らかと言ってよい。著者は無意識を数えると言う。では、無意識を数えられる主体はどのようにして定まるのだろうか。そこには既に対立が、政治の分断線が横たわっているのである*2。

    一般意志は「数学的な存在」であり、それは「人間の秩序にではなくモノの秩序に属する」と言われる(67頁)。繰り返し示される「数学」に対する著者の信頼は奇妙なほどだが、人々の行動履歴さえあれば、そこから人々の本当の望みが自動的に生成されるという意味で、本書の議論はこの信頼に大きく支えられている。しかし言うまでもないことだが、数学は人間が作り出した論理体系であって自然そのものではない。それは人工的な秩序に属する。数学が幾つもの規約と仮定から出発するように、誰のどこまでのデータを集め、どのように均衡させて可視化するかといった「一般意志2.0」のシステムを設計・運営するのは、人でしかない。実は著者自身が、一般意志は「そこに共同体がある限り」存在すると書いてしまっている(67頁)。「数学的存在としての一般意志」が「友敵の分断線を決して作らない」(78頁)のは、それが分断の後の共同体でしか立ち現れないからではないだろうか。

    著者は「主権は一般意志に宿っている」とするが(50頁)、逆である。一般意志があるから主権があるのではなく、主権という具体的な(定義上、至高かつ単一不可分とされる)統治権力が存在するからこそ、その行使を左右する一般意志の所在や成り立ち、内容が問題とされるのである。従来の一般意志概念を実在しない「抽象的な理念」としか捉えていない点で、著者の感覚には決定的に貧しい部分がある(それを私は「政治学的想像力」と呼んだことがある)*3。非凡な哲学的想像力の成果である本書が50年後、100年後にどう評価されるのか、私は知らない。ここに記したのは、同時代の読者たる私自身の個人的な感想である。

    参考



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    社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者: ジャン=ジャックルソー,Jean‐Jacques Rousseau,中山元
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • *1:ステークホルダー・デモクラシーについては、拙著「ステークホルダー・デモクラシーの可能性」(政策空間、2010年9月29日)を参照。そこで私は、こうした立場をステークホルダー・デモクラシーの「数理的解釈」と呼んだ。

    *2:リチャード・ローティの議論を持ち出すことは、何の解決にもなっていない(13章)。想像力を規制するものは共同体への帰属であり、情念の成立は理性の働きを通じて可能になる。例えば、以下を参照。

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    感情と法―現代アメリカ社会の政治的リベラリズム

  • 作者: マーサヌスバウム,Martha C. Nussbaum,河野哲也
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会

  • *3:一般意志が主権に基礎付けられるのではなく、むしろ主権の観念が誤って一般意志に還元されてしまうために、権力は道具主義的にしか理解されなくなる。権力がそれ自体として存在する動かしがたいものとして認識されておらず、道具主義的にしか理解されないから、政治の概念が簡単に刷新できるものと思われてしまう。この政治学的想像力の貧困が著者個人の問題なのか、現代の日本社会の問題なのかは、検討の余地があるかもしれない。

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