青森県下北半島の大間町に大間原子力発電所の建設の話が持ち上がってから35年。土地買収が進む中、最後まで土地を売らず、原発建設を阻止してきた故・熊谷あさ子さんと娘の小笠原厚子さん(写真左)。
5年前、あさ子さんは亡くなったが、現在も厚子さんが建設予定地内にある「あさこはうす」と名づけられたログハウスに住む。電力は太陽光や風力による発電でまかなっている。
11月25日、東京都内で厚子さんとルポライターの鎌田慧さん(写真右)の記者会見が開かれた(主催は自由報道協会)。鎌田さんは、あさ子さんと厚子さんの母娘が国策の原発建設に反対し、周囲が札束攻勢に屈する中で、軋轢(あつれき)を生じてきたことをルポした。
厚子さんは「福島第1原子力発電所で事故が起きてから、『頑張れ』と声をかけてくれる住民も現れた。しかし、それも5人ぐらい。母が生きていたときから、こちらが挨拶しても、住民に無視される。こういう関係は簡単に変わらない」と話した。
鎌田さんは「原発の建設予定地内に『あさこはうす』があるにもかかわらず、工事が始まっている(福島第1原発事故後、中断)。経済産業省が認めたからだし、マスコミが批判しないからでもある。国民の無関心が『あさこはうす』を孤立させている」と指摘した。
「福島第1原発事故後、『あさこはうす』を訪れる人が増えてきた」と厚子さんは言う。
一方、この日の記者会見に合わせるように、大間町は国などに対し、大間原発の工事の再開を要望することを発表した。