- 2017年10月31日 10:14
男尊女卑的な文化が痴漢を生み出す? 「痴漢本」著者×と、被害告白女性との対談(中)
2/2被害女性の視点はどこからくるのか
アーヤ:視点を変えていいですか?読んで驚いたのは、斉藤さんは被害に遭った女性の目線をわかってくれていることです。痴漢された女性がその場で声をあげられない心境とか、女性に声を上げることを求めるべきではありませんとか。「言ってくれて、ありがとう!」と思う部分が随所にありました。どこからそういう視点ができたのでしょうか。

斉藤:私の専門は加害者臨床です。男性ですから、自分の中にも彼らと同様、加害者性があると思っています。「弱い人をいじめることで優越感を感じる」「他者を排除してでも自分だけは安全は守りたい」。
そうした発想は、気づきたくないですが、多かれ少なかれ人間が普遍的に持っている思考ではないでしょうか。加害者といわれる人と長年関わっていると、時々無意識のうちに吸い寄せられることがあります。
しかしそうであっても、彼らの話を聴きながらも、被害者はどう感じるのだろうというフィルターを通して聞かないといけません。このあたりは天秤のようにバランスが難しく、訓練しないと継続できません。
これをダブルクライエント構造といって、「常に加害者の背景には被害者がいて、彼らの言動や振る舞いを被害者が聞いたら、どう感じるのか」を意識しながら彼らに向き合います。そのためにも、被害者の声や被害者支援者との継続的な対話は、臨床家としてやっていかないとバランスが保てなくなるのです。
痴漢の視点と、被害者の視点。必要なバランス
アーヤ:加害者にもそこそこ寄り添わないといけない。しかし寄り添いすぎると、加害者性にひっぱられてしまうと。
斉藤:相手が加害者であっても、基本的な信頼関係をつくらなければいけません。ただ、彼らの現状に共感するという類の問題ではありません。彼らを、「取り返しのつかないことをした存在として対応するとともに、変化の際の痛みは尊重する」という別次元の「共感力」が必要です。このあたりの感覚は通常の心理臨床にはなく非常にバランスが難しいのです。
アーヤ:加害者に対する嫌悪感も持っているように感じました。
斉藤:バランス感覚が大事だと思います。先ほども触れましたが、被害当事者や被害者支援をしている方と対話をすることで自分自身の加害者臨床の感覚をアップデートしていきます。すると、嫌悪感を隠さずにいられなくなります。一方で、自分自身でも彼らとそれほど変わりない加害者性を持っている。そこでの揺れはもちろんあります。
アーヤ:痴漢にあった女性側に求められることは多いと思っていましたが、私は、被害にあったときは、言えなかった。当時は、言えないことの自責の念はありませんでした。あのとき私が言わなかったことで「次の被害者がうまれてしまったかもしれない」と思うところまで意識できませんでした。今振り返ると、あのとき言えたかな?と思い、どこに責任を求めていいかわからない。やり場のない怒りでもやもやしていました。
臨床家ではない素の自分には「男尊女卑」的な部分もある
斉藤:そういう自分は、素ではありません。被害者の声を聞いて、もともとの自分の考えをアップデートし加工をしたものです。素の自分で書いたならここまで書けません。
アーヤ:斉藤さんの中に、いろんな斉藤さんがいるんですね。
斉藤:インストールし続けないと、バランス感覚が保てなくなる。
渋井:本の内容は、臨床家としての自分ということですね。
斉藤:素の自分は、もっと男尊女卑的な部分が強いと思います。私は滋賀県の田舎育ちで、「女、子どもは表に出てくるな」「女は男をたてて当然」という環境で育ちました。女性たちもその状況に対して、暗に「良し」としている。
祖父母の世代もそうしてきており、その流れは脈々と受け継がれている。これは男尊女卑の世代間連鎖といっても過言ではないですね。自分の中では、自然に男尊女卑の考え方の中で育ち、自然と学習している。
渋井:素の自分が出てしまう場面は?
斉藤:臨床の中ではコントロールしているためないです。でも、最近の若い男性スタッフがぜんぜんダメなんですよ(笑)。指導しているときなんかは、体育会系な感じがもろに出る。「男はこう強くあるべき」「男は稼ぐべきである」という、古い発想が根強くある。「男らしさ」を誇張する態度がでますね。
渋井:大学生のときに事務のアルバイトをしていたのですが、手が空いたので、女性の社員たちにお茶を入れたんです。すると、びっくりされました。「男の人にお茶を入れてもらったのは初めてだ」と。
斉藤:お茶を出すのは、自分よりも下に位置する人がする仕事だということなんでしょうね。この話は酒井順子さんの「男尊女子」(集英社)という本にそのエピソードが書いてありました。なぜ、女性がお茶を入れるのか。男性のケアは女性がするのもだという発想の女性がいまだに多い。
「男性はみんな痴漢の可能性がある」と思ったほうがいい?
アーヤ:世の中の男女観が変わることで、痴漢が減る可能性があるんでしょうか?
斉藤:減ると思います。痴漢する人は、女性を下に見ています。「触ってもいいもの」と思っていますから。対等な人間だったら、合意を得ずに(体に)侵入しない。
「減るものではない」という言葉ひとつを取っても、減るのは「もの」でしょ?完全にものとして見ている表現です。男尊女卑ってことばの使い方にもあらわれますよね。
渋井:本を読むと、「痴漢側が見える世界はこうだ」とわかります。そうなると日常がどう見えますか?
アーヤ:日常が怖くなります。本を読んでいて思ったのは、”あえて”なのかもしれませんが、登場する人たちの人物像がない。具体的な顔、イメージ像がない。仮面をかぶった人の状態で思い浮かんでくる。そのため、誰が仮面に合致するのかわからない。ここまで(電車で)来る時も、(乗客との距離が)近いので、ちょっとイライラしました(笑
斉藤:この際ですから、「男性はみんな痴漢の可能性がある」と思ったほうが、シンプルでややこしくないと思います。
アーヤ:恋人の関係性でも似たことはあると思います。初めて付き合った人は、人としてすごく好きでしたが、性行為をするのがどうしても嫌だったんです。軟禁状態に遭ったトラウマもあると思うし、親が婚前交渉に厳しかったので、そのプレッシャーもあったと思います。
でも相手から「恋人なら性行為をするのが当たり前でしょ」みたいなことを言われて…。初めてのお付き合いだったから、彼の言うことが正しいのかもしれないと思って、受け止めようと頑張った反面、もしも自分の感情に正直に、性行為を拒否したら、自分自身を彼に受け入れてもらえないのかもしれないという恐怖心を抱いてしまって...。恋人の関係における支配的な意識って、実は多いんじゃないかなと思います。
渋井:以前傍聴した裁判の話ですが、被告人の男には「僕のことを好きなら何をしてもかまわない」という考えがありました。一緒に飲んでいた女性に睡眠薬を飲ませて、レイプをしようと思ったというものでした。恋人というのもあるけど、好きな人なら、というのもあります。被告人は、以前にも同じことをしていた。一回目は示談だったためか、許してくれたと思い、二回目も許してくれると思ったのかもしれない。恋人ならなおさら、でしょうね。
女性にも加害者性はあるのか?
斉藤:今回の「男が痴漢になる理由」(イーストプレス)は男性の加害者性がメインです。でも、取材を受けていると、女性にもあると聞きました。女性の加害者性はどういうことなんでしょうか?
アーヤ:「高価な物は男性に買ってもらう」「食事の支払いは男性側が当たり前」といった意識とかでしょうか。
斉藤:それって加害者性なんでしょうか?ぱっと浮かぶのは、母親の児童虐待は加害者性でしょうか。しかし、男性みたいに具体的に出てこない。渋井さん、女性の加害者性ってわかります?
渋井:僕は女性に痴漢されたことあります。おばさんと女子高生と。満員電車ではないので、おそらく、女子高生は、僕の反応を見て、逆に騒げば、被害者になることができると考えて、何も反応できませんでした。
斉藤:女性がする痴漢も支配なんですか?
渋井:騒いでしまえば、加害者に見られてしまう、環境操作型ですよね。もしくは、お金をもらいたいと思ったりしてる。そう、いろいろ想像すると、女子高生が下車するまで動けなかったんです。
(続く)




