- 2017年11月02日 11:00
体罰後に自殺した生徒の先輩らが語る学校・部活の体質―シンポジウム「きょうだいらが語る『指導死』」より(上)
2/2愛知県・刈谷工業野球部パワハラ自殺 亡き兄や両親への思いを語る
部活の体罰は一校の努力でなくすこともできるが、本質的には多忙な教員、部活動で名を売る学校、地域社会の期待、勝利至上主義など、個々の問題ではない面も大きい。愛知県立刈谷工業高校の野球部顧問によるパワハラ自殺にも同じことが言える。11年6月、同校の野球部に所属する山田恭平さん(当時16)が自殺した。このことについて、妹さん(現在、高校3年生)が話をした。
同部では体罰や暴言が常態化していた。恭平さんへの暴言はあったが、体罰はない。ただ、体罰のあるムードを嫌っていた。小学1年生から野球をしていたが、6年生のときに、怒鳴るコーチが就任したことを理由に、少年野球をやめたことがある。恭平さんは怒鳴られていないが、他の部員が怒鳴られているのを見るのが辛く、続けられなかった。
今では児童虐待の「心理的虐待」の中に「面前DV」が含まれている。本人が暴力を受けなくても、暴力を受けたのと似たようなトラウマとなる。家庭内ではDVだろうが、野球での指導でも同じような心理状態になる可能性がある。また、共感性羞恥、あるいは観察者羞恥という言葉がある。他人が恥をかく(かいているように見える)場面で、自身が羞恥心を覚えることをいう。恭平さんの中にもこうした心理状態があったのかもしれない。
恭平さんは高校の野球部でも、小学校の頃と同じ思いをしていた。そのためか、1年生の3月ごろから、母親に「たるんでるとか、そういう理由で殴る」「止められないのも嫌だ」などと言っていた。そのため、担任と母親に退部の相談をした。しかし、監督は「逃げているだけだ」と退部を認めなかった。
そんな時、5月のテスト期間中、5人の部員が部室横でトランプをしていたことを知った、副部長が数日後に、その5人に体罰を行った。それを恭平さんは目撃。帰宅後、「すげー、嫌なものを見た」と母親に言った。さらに、5月下旬には2軍監督から「ユニフォームを脱げ!消えろ!」と怒鳴られ、以後、練習には行かなくなっていた。
6月6日、副部長がキャプテンを通じて恭平さんを呼び出した。体罰を予感したのか、恭平さんは友人に<ビンタ、タイキック、グーパンチ覚悟>とメールを出した。ただ、翌日の呼び出しには応じなかった。その二日後、廃車置場で見つかった。妹は当時小学6年生だった。
「人の死を理解できなかった」が、遺体を見て「初めてもう話せないんだと思った」

自殺前日の夜、妹は恭平さんの部屋に物を借りに行った。その時に交わした何気ない会話が最後になった。その後、恭平さんは帰宅しないことで、妹は「両親は慌てていたが、事態がつかめないでいたが、なんとも思っていなかった。むしろ、兄がいなくなればイライラすることがなくなる」と感じていた。
10日、妹が学校から帰宅すると、警察が家に来ていた。母親から「恭平くん、死んじゃった」と言われて、妹は「へえ、そうなんだ」としか言えなかった。妹は「人の死を理解できなかった」と言い、両親が泣いているのを見て、「人はあんなに泣けるんだ」と思っていた。そして、兄の遺体を見て、「このとき初めて、もう話せないんだと思った」と言葉を詰まらせた。
部活での過剰な配慮 「大事な部員としてではなく、かわいそうな子として扱われた」
妹はその後、地域の中学校に通う。そこでは過剰な配慮をされる。「私が入っていた部活の顧問は他の部員と同じように怒ってはくれなかったし、無断欠席をしても理由を聞かれなかった。怒られない私は、大事な部員としてではなく、かわいそうな子として扱われた」と、大人の過剰な優しさを嫌がった。と同時に、顧問に対して「2年間も気を遣わせて申し訳なかった」との思いも語った。
中2になると「何もかもがめんどくさい」と不登校だった。自殺が話題になり、いじめで首吊り自殺をした子どもの話を読んで、感想を書くという配慮のない授業が行われた。「そのとき、『自殺はダメだと思いました』と書きました。なんでそう書いたのかはわからない。そもそもそんなものを読みたくなかったし、感想文を書きたくなかった。自殺に関わりたくない一心で逃げていた」。
恭平さんの死後、部活の保護者が家に来て、「殴られるのはあたり前」という話をしていったという。自殺した恭平さんや母親を責めていた。それを見て妹は「大人への尊敬はなくなった」と同時に、「死ぬほど怒れたと思うのに、冷静に向き合った母と、弱音を吐かずに仕事に向かった父。この頃から二人を尊敬するようになった。両親の対応こそ、あるべき大人の対応だと思った」と、両親への思いも述べた。
妹は死にたいと感じたことがあると話してもいた。「人と話すのは難しい。自分自身を好きになれないし、大人には相談できない。このまま辛いだけの人生ならずっと死にたいと思っている」との気持ちも明かしつつも、「でも、私には大切な人がいる。悲しいとき、欲しい答えが必ずしも返ってくるわけではない。その人の存在だけで救われている」とも、大切な人、つまり母親の存在が大きいことも話していた。
(続く)



