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- 2017年10月20日 11:14
中国の新しい社会主義社会
中国で5年に一度の共産党全国大会が開催されています。メディアの最大の注目は習近平総書記がどのような人事をするか、なのでしょう。これはもう少し待たねばなりませんが、個人的には習氏がどのような国家づくりをする為にどのような組織で臨むつもりなのか、そちらの方が興味深いと思っています。
この共産党大会のために中国の経済も社会も外交もこの数か月は波風立てず、表向きは実に穏やかにこの大会を迎える準備を施してきました。もしかしたら相当の「しわ寄せ」や「調整」はあるのかもしれませんが、幸いにして地球儀ベースでは経済は比較的良好に推移し、この部分はあまり気にならないように感じます。
さて、その大会初日、習氏は3時間を超える長い演説をしました。国家を語ったわけですが、その中のキーワードは「新時代の特色ある社会主義国家」であります。個人的にどうしてもこの言葉に引っかかってしまいます。何故でしょうか?
日本は世界で最も成功した社会主義国家とされます。日本型社会主義とは「総中流」や「出る杭…」といった言葉に象徴されるように強い平等を意識した国家形成になっています。様々な街のボイスを拾いあげ、弱いものが時としてフォーカスされます。過労死問題などは好例でしょう。それを救おうという巨大な民のボイスが既成概念を吹き飛ばし、責任者は頭を下げ、平穏が戻るという流れを繰り返しています。
何故これが日本で起きたか、個人的に思うのは日本には経典を伴う宗教観があまりないことが影響しているからではないか、と提起してみたいと思います。日本の宗教は神道や仏教でありますが、多くの人々が無宗教とするのは信じているようで信じる具体的に訴えるものが少ないからであります。年に一度、神社に行ってお参りに行っても神様からなにかお告げがあるわけではありません。法事に行けば坊さんから説法を聞かされることもありますが、法事がそうしばしばあるわけではありません。大仏をみても何もしゃべってくれません。
以前から時々指摘させていただいているように欧米や中東は宗教観によって大きく社会が動いてきました。ユダヤ、キリスト、イスラムだけではなく、キリスト教がカトリックとプロテスタントに分かれていること、もっと細かくギリシャ正教やロシア正教なども含めれば数多くあります。イスラムもシーア派とスンニ派を中心にこれまた多く分かれていますが、これらは宗派は教義をベースに仕切っていると考えてよいのだろうと思っています。
ところが現代の世界経済を牛耳っている東アジアはこの宗教観が薄いのであります。その中で日本は国民の監視体制のもとに「抜け駆け」しにくい体制を作り出しました。これが集落における共同体でありました。この発想は脈々と続き現代の会社の組織にもつながるし、町内会やクラブ、同窓会など各種活動にその流れを見ることができます。いわゆる所属意識です。これによりグループ内で一定の規律が生まれていると考えています。
では中国はどうか、と言えばこの国も歴史的に戦いの連続でありましたが、戦後、中国が建国され、共産主義という新しい経典をもって毛沢東氏が国家建設を推進しました。ところが10年に及ぶ文化大革命でとん挫します。訒小平氏はその行き過ぎた共産主義の反動を改革開放路線で吸収しました。
その後、時間が経っていたのは国家の成長が国民の成長を伴うものであり、論理的飛躍と国民の習熟とのギャップがあったことでその穴埋めに時間がかかったのではないでしょうか?
今般、習近平総書記が掲げた新しい社会主義は中国国民に示す経典であり、教義であります。これは宗教観が薄い東アジアの国家であるがゆえに急速に浸透しやすいとみています。よって、習氏が掲げる国家構築の方向性が正しければ圧倒的なサポートを得る可能性を私は否定しません。
日本では中国共産主義は終焉するのではないか、としばしば囁かれてきました。私はそんなことは一つも考えていません。形こそ変えるかもしれませんが、この統治スタイルは宗教的なマインドへの刷り込みだと考えています。
例えば、日本が平等主義から突然、欧米的な搾取の労使関係に変化するか、と言えば100%否定されるのと同じで、中国の人からすれば中国式の共産主義がなくなり、欧米流の資本主義国家が出来るか、と言われれば100%否定するのと同じであります。北朝鮮も一種の宗教的刷り込みが行われていると考えています。
よって私の考えとしては中国は今後、かなり堅固な体制を敷き、新たなる成長をするように感じます。習近平氏の人事とはその体制をより強靭にするための伝道師であり、牧師的役割を指すのではないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
この共産党大会のために中国の経済も社会も外交もこの数か月は波風立てず、表向きは実に穏やかにこの大会を迎える準備を施してきました。もしかしたら相当の「しわ寄せ」や「調整」はあるのかもしれませんが、幸いにして地球儀ベースでは経済は比較的良好に推移し、この部分はあまり気にならないように感じます。
さて、その大会初日、習氏は3時間を超える長い演説をしました。国家を語ったわけですが、その中のキーワードは「新時代の特色ある社会主義国家」であります。個人的にどうしてもこの言葉に引っかかってしまいます。何故でしょうか?
日本は世界で最も成功した社会主義国家とされます。日本型社会主義とは「総中流」や「出る杭…」といった言葉に象徴されるように強い平等を意識した国家形成になっています。様々な街のボイスを拾いあげ、弱いものが時としてフォーカスされます。過労死問題などは好例でしょう。それを救おうという巨大な民のボイスが既成概念を吹き飛ばし、責任者は頭を下げ、平穏が戻るという流れを繰り返しています。
何故これが日本で起きたか、個人的に思うのは日本には経典を伴う宗教観があまりないことが影響しているからではないか、と提起してみたいと思います。日本の宗教は神道や仏教でありますが、多くの人々が無宗教とするのは信じているようで信じる具体的に訴えるものが少ないからであります。年に一度、神社に行ってお参りに行っても神様からなにかお告げがあるわけではありません。法事に行けば坊さんから説法を聞かされることもありますが、法事がそうしばしばあるわけではありません。大仏をみても何もしゃべってくれません。
以前から時々指摘させていただいているように欧米や中東は宗教観によって大きく社会が動いてきました。ユダヤ、キリスト、イスラムだけではなく、キリスト教がカトリックとプロテスタントに分かれていること、もっと細かくギリシャ正教やロシア正教なども含めれば数多くあります。イスラムもシーア派とスンニ派を中心にこれまた多く分かれていますが、これらは宗派は教義をベースに仕切っていると考えてよいのだろうと思っています。
ところが現代の世界経済を牛耳っている東アジアはこの宗教観が薄いのであります。その中で日本は国民の監視体制のもとに「抜け駆け」しにくい体制を作り出しました。これが集落における共同体でありました。この発想は脈々と続き現代の会社の組織にもつながるし、町内会やクラブ、同窓会など各種活動にその流れを見ることができます。いわゆる所属意識です。これによりグループ内で一定の規律が生まれていると考えています。
では中国はどうか、と言えばこの国も歴史的に戦いの連続でありましたが、戦後、中国が建国され、共産主義という新しい経典をもって毛沢東氏が国家建設を推進しました。ところが10年に及ぶ文化大革命でとん挫します。訒小平氏はその行き過ぎた共産主義の反動を改革開放路線で吸収しました。
その後、時間が経っていたのは国家の成長が国民の成長を伴うものであり、論理的飛躍と国民の習熟とのギャップがあったことでその穴埋めに時間がかかったのではないでしょうか?
今般、習近平総書記が掲げた新しい社会主義は中国国民に示す経典であり、教義であります。これは宗教観が薄い東アジアの国家であるがゆえに急速に浸透しやすいとみています。よって、習氏が掲げる国家構築の方向性が正しければ圧倒的なサポートを得る可能性を私は否定しません。
日本では中国共産主義は終焉するのではないか、としばしば囁かれてきました。私はそんなことは一つも考えていません。形こそ変えるかもしれませんが、この統治スタイルは宗教的なマインドへの刷り込みだと考えています。
例えば、日本が平等主義から突然、欧米的な搾取の労使関係に変化するか、と言えば100%否定されるのと同じで、中国の人からすれば中国式の共産主義がなくなり、欧米流の資本主義国家が出来るか、と言われれば100%否定するのと同じであります。北朝鮮も一種の宗教的刷り込みが行われていると考えています。
よって私の考えとしては中国は今後、かなり堅固な体制を敷き、新たなる成長をするように感じます。習近平氏の人事とはその体制をより強靭にするための伝道師であり、牧師的役割を指すのではないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。



