- 2017年10月19日 19:07
ガラパゴス化した憲法論議を超えて / 篠田英朗 / 国際政治学
2/2集団的自衛権違憲論は団塊の世代のイデオロギーである
歴史的に見れば、集団的自衛権違憲論は団塊の世代が成人した頃に形成された。1960年代末よりも以前の日本に、集団的自衛権それ自体が違憲になるという観念はなかった。2015年の安保法制をめぐる喧噪の中で、たとえば阪田雅裕・元内閣法制局長官らが、1954年の下田武三(当時外務省条約局長)の発言を根拠にして、1950年代にも集団的自衛権違憲論が政府見解だったという主張を行った。しかしこれは詭弁である。
確かに下田は、1954年に、条約局内の議論として、日本国憲法下で集団的自衛権を行使できるかに疑いがあるという見方を紹介したことがある。しかし、そのとき下田は、はっきりと、その見解は「政府統一見解ではない」と述べていた。実際に、この下田の答弁には、質疑応答の相手方であった社会党議員である穂積七郎のほうが驚き、「集団的自衛権という観念は、もうすでに今までに日本の憲法下においても取入れられておるわけです。そうなると、・・・すでに憲法のわくを越えるものだというように考えますが」、と質問したくらいであった。下田の推論は、ドイツ国法学の影響下にあった東大法学部憲法学の伝統そのままの「国内的類推」を振りかざす観念論的なものであった。1960年代末までの時代に、政府が正式に集団的自衛権を違憲だと見なした経緯はない。
そもそも1951年に日米安全保障条約が締結されたとき、吉田茂の下で、日本側で交渉を担当した西村熊雄・条約局長は、条約締結の根拠になり得るのは国連憲章51条、つまり集団的自衛権しかない、と確信していた。そのため条約の前文に、「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」と、51条の集団的自衛権を参照する文章が明記されたのである。
ではなぜ、1972年に内閣法制局は集団的自衛権を違憲だとする文書を作成したのか。それは1960年代末からの政治情勢の結果だった。左右の対立が激化した1960年安保闘争後の日本では、池田勇人・佐藤栄作政権下の高度経済成長(軽武装アメリカ依存安全保障政策)が、国民融和のための既定路線として確立した。その後の1972年に首相に就任した田中角栄は、「国対政治」の権化のような存在で、当時は、談合政治が常態化していった時代であった。
そのような時代の風潮の結晶が、不可能と言われながら密約に密約を重ねて達成された「沖縄返還」である。返還前の沖縄では、連日、ベトナムに向けて米軍の爆撃機が飛び立っていた。沖縄の戦略的重要性を考えれば、返還は不可能だ、というのが、当時の多くの人々の共通見解だった。しかももし返還されてしまえば、安保条約の事前協議制にもとづいて、日本はベトナム戦争に沖縄基地を米軍が活用することに同意を示さなければならない。自国領土内の軍事基地を貸した上で使用方法にも同意すれば、国際法上の集団的自衛権の行使に該当する。つまり日本がベトナム戦争の当事者になる困った事態が生まれる。それを考えれば、むしろ返還してもらわない方がいい、という意見も根強かったのである。
佐藤栄作は、秘密裏に、事前協議制度の骨抜きを前提にした「基地の自由使用」の「密約」をアメリカのニクソン政権との間で交わし、沖縄返還を達成した。自民党が不人気になると日本の共産化という最悪の事態が起こるかもしれないという、冷戦体制特有のアメリカの見解を引き続き逆手にとり、日本政府のアメリカのベトナム戦争への支持を表明して歓心を得ながら、集団的自衛権は憲法が禁止しているので日本はそれを行使できない(現実には行使している状態が発生しているとしても)、などという言い訳を、堂々と展開することにしたのである。憲法9条を、現実を都合よく取り繕うための言い訳に利用することにして、日本の冷戦体制/高度経済成長時代の外交政策は固まった。
このような特定の時代環境の不自然な条件を前提にした外交政策は、環境が変われば、変質を迫られることは間違いない。冷戦終焉後、集団的自衛権違憲論が、くりかえし危機にさらされたのは、当然のことだった。不変の真理としての集団的自衛権違憲論が、気まぐれな見直しを求められたのではない。その場限りの言い逃れで作り出された集団的自衛権違憲論が、時代の流れとともに、耐久性の欠如を露呈したにすぎないのだ。
安保闘争後の高度経済成長後の日本で育ち、1960年代末以降の日本の政策を恒久的なものとして錯覚しがちな団塊の世代は、日本社会の人口構成において、際立った突出を見せる世代だ。団塊世代の行動のパターンは、団塊世代向けのメディアや政党の存続を説明するのには、大きな意味を持つ要素である。
しかし団塊の世代の世界観が、永遠不変の真理だということではない。一年、二年では変わらない事も、10年、20年では、次第に変わっていかざるをえないのである。
憲法9条の持つ意味
拙著『ほんとうの憲法』では、国際法と調和するものとして存在している憲法のあり方を、憲法学者の介入的な解釈が施される前の「素直な」解釈によって見えてくる憲法の本来の姿として、描き出した。
国際法が憲法に優越するとか、英語は憲法の正文ではない、とか、そういったことは、全く関係がない。本来の日本国憲法は、国際法に調和するものとして存在している。第二次世界大戦の惨禍は、日本が国際法秩序を守らなかったことによって発生した、というのが憲法起草に関わった人々の共通理解であった。彼らにとって、日本を平和主義国家にするということは、日本を国際法を守る国にするということであった。9条の意図は、国際法を守らせることにある。国連憲章を批准していなかった被占領国であったため、本来は憲章を守っていれば不要であった9条を、あえて国内憲法に挿入したのだ。
そうした憲法の姿は、現在70年余の憲法学者たちの解釈論の積み重ねによって見えなくなってしまっている。そこで、解釈を確定させるために3項を挿入するということであれば、望ましいところがあると私は考えている。
本当は、9条が全面削除されても、国際法を遵守していれば、憲法が目的とすることを達成することができる。余計な衒学的議論を巻き起こさなくて済むのであれば、全面削除で良い。ただし、9条には憲法が達成しようとした目的を宣明した機能がある。国際協調主義を進めながら平和国家になるという目的を明らかにした「前文」の一部のようなものとして、国際法遵守の精神を謳ったのが9条である。
それを重視して、条項を残した上で、解釈を確定させる3項を挿入するのであれば、それはそれで納得できる。憲法解釈の方向性を確定させてようやく、本格的な政策論争を促進することができる。ちなみに私は拙著『ほんとうの憲法』の中で、「前二項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない」、という文言を提案した。これは9条の機能が、日本が国際法を遵守する平和国家となることにある点を、明示したものだ。ちなみに現行の政府解釈においても、自衛隊は憲法上の「戦力」ではないが、国際法上の「軍隊」である。
いずれにせよ、希望だ、立憲だ、といった大げさな旗を掲げて、「私/俺だけが立憲主義だ」、といったことで争おうとする政治家が多すぎる。そんなものは政策論ではない。「自分たちだけが立憲主義者だ、アベ首相は立憲主義者ではない」、といったレベルのことをずっと熱弁していて、それで政治家としての自分の人生が浪費されているような徒労感は誰も感じないのだろうか。
そのような態度を団塊の世代にアピールしながら、政治家自身は、高揚感を感じているのかもしれない。しかし、実は、多くの有権者のほうは、むしろ徒労感だけを感じているといった事態が、発生していないだろうか。
団塊の世代のノスタルジアではなく、若者の未来を議論するための政策論争を期待したい。
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篠田英朗(しのだ・ひであき)
国際政治学
ロンドン大学(London School of Economics and Political Science)大学院修了(国際関係学Ph.D.)。広島大学平和科学研究センター准教授などをへて、現在、東京外国語大学総合国際学研究院教授。ケンブリッジ大学、コロンビア大学客員研究員を歴任。主要著書に、『ほんとうの憲法』(ちくま新書、2017年)、『集団的自衛権の思想史』(風行社、2016年=第18回読売・吉野作造賞)、『国際紛争を読み解く五つの視座──現代世界の「戦争の構造」』(講談社、2015年)、『平和構築入門──その思想と方法を問う』(ちくま新書、2013年)、『「国家主権」という思想──国際立憲主義への軌跡』(勁草書房、2012年=サントリー学芸賞)、『国際社会の秩序』(東京大学出版会、2007年)、『平和構築と法の支配──国際平和活動の理論的・機能的分析』(創文社、2003年=大佛次郎論壇賞[韓国語訳版2008年])、Re-examining Sovereignty: From Classical Theory to the Global Age(Macmillan, 2000[中国語訳版、商務印書館、2004年])など。



