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「災害ユートピア」と「震災ナショナリズム」

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本当に日本人固有の現象?



 しかし、それは本当に「日本人」の特質なのだろうか。この問いには二つの意味が込められている。一つは「日本人の特質」というふうに一括りにすることが本当にできるのか(そういう「日本人論」は本当に正しいのか、「日本人」には誰が含まれるのか)、もう一つは「それは日本人だけに特有の現象なのか」ということである。

 二つ目の疑問から解決していこう。答えは「ノー」である。

 ここに一冊の本がある。レベッカ・ソルニット著/高月園子訳『災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか画像を見る』(亜紀書房)である。それによると、「災害時に人はパニックに陥る」というのは誤った「常識」であって、世界中のどの災害でも利他的な行為がみられるというのである。一部引用しよう。
 地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や身も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。大惨事に直面すると、人間は利己的になり、パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという一般的なイメージがあるが、それは真実とは程遠い。二次大戦の爆撃から、洪水、竜巻、地震、大嵐にいたるまで、惨事が起きたときの世界中の人々の行動についての何十年もの綿密な社会学的調査の結果が、これを裏づけている。(10ページ)
 同書ではサンフランシスコ地震(一九〇六年四月一八日)、ハリファックス大爆発事故(一九一七年一二月六日)、ロンドン大空襲(一九四〇年九月七日)、メキシコシティ大地震(一九八五年九月一九日)、二〇〇一年の九・一一同時多発テロ、ハリケーン・カトリーナ(二〇〇五年八月二九日)といった大きな事例が詳細に検討され、その災害の中で生まれた「一般庶民の利他的な行動によって生まれたユートピア状態」が紹介されている。その中で、その利他的なコミュニティが持続して社会革命的な状態を生み出したこともあれば、九・一一のようにそのようなユートピアが(軍国主義的政府方針により)つぶされた例もある、と指摘される。

 これらの事例を見れば、東日本大震災の発生直後に日本中で生まれた相互扶助や助け合いや自発的な支援行動などは、決して日本に独特なものではなく、世界中の災害において人類がとる行動パターンであったということがわかる。

 もちろん、だからといってそれがいけないとは言わない。それどころか、常々「経済活動も社会生活もすべて利他心に基づくべきだ」と考えているわたしとしては、今回の東日本大震災で生まれた災害ユートピアをいかに今後につなげるかが必要だと思っている。

 問題は「それが日本独特の美点だ」と考えることにある。

災害ユートピアの性善説



 災害ユートピアはなぜ生まれるのか。同書によれば、もともと人々は利他的に生きたいという願いをもっている。しかし、社会の仕組みはそれを許さない。大衆が利他的であることを望まない支配層によって、利己的な社会構造が作られ、固定化されている。その枠組みが強力に破壊される「災害」によって、利他的な行動が許されるようになるというのだ。
 災害は人々の嗜好により襲う人を選んだりしない。それはわたしたちを危機的状況の中に引きずり込み、職業や支持政党に関係なく、自らが生き延び、隣人を救うために行動することを、それも自己犠牲的に、勇敢に、主導的に行動することを要求する。絶望的な状況の中にポジティブな感情が生じるのは、人々が本心では社会的なつながりや意義深い仕事を望んでいて、機を得て行動し、大きなやりがいを得るからだ。
 
 だが、わたしたちの経済や社会の仕組みそのものがそういった目標の達成を妨げている。その仕組みはイデオロギー的で、富裕層と権力層に最も都合良くできているが、すべての人々の人生を左右する哲学なのだ。それはマスコミがニュースから災害映画にいたるまで、あらゆる媒体を使って広めた型どおりの智恵として、より堅固なものとなっている。(18ページ)

 災害は普段わたしたちを閉じ込めている塀の裂け目のようなもので、そこから洪水のように流れ込んでくるものは、とてつもなく破壊的、もしくは創造的だ。ヒエラルキーや公的機関はこのような状況に対処するには力不足で、危機において失敗するのはたいていこれらだ。反対に、成功するのは市民社会のほうで、人々は利他主義や相互扶助を感情的に表現するだけでなく、挑戦を受けて立ち、創造性や機知を駆使する。この数え切れないほど多くの決断をする数え切れないほど大勢の人々の分散した力のみが、大災害には適している。(427ページ)
 この性善説ともいえる考え方は、「災害学」と呼ばれる学問の結論なのだが、大きな希望を示しているともいえる。人はきっかけさえ与えられれば利他的に行動したい生き物なのだ。そして、それが状況を変えていく新しい力となる。

 同書ではこの「災害ユートピア」が災害後にも継続し、広まっていくことで理想的な世の中になる可能性を説く。もちろん、それは夢物語的な要素も大きい。実際、東日本大震災後の災害ユートピア的状況はボランティアを当たり前とする雰囲気を生み出した一方で、原発問題などを中心にヒステリックかつ攻撃的な応酬を生んでいる側面もある。

 それはともあれ、ここで確実に言えることは、「震災後の秩序ある行動」という人類に普遍的な現象を「日本人の国民性/民族性」と結びつけるのは誤った考え方であるということである。

「震災ナショナリズム」



......以下、この続き部分の小見出しは以下のとおり。
  • 「日本人は○○だ」論の危険性
  • ステレオタイプの危険

  • 異文化理解の三つの落とし穴
  • 日本人論と反西洋
  • 震災ナショナリズムの行方
  • 補論「やさしい日本語」
(結論部分のみ、以下に掲載する)

 ......ここにも「国家」単位でものごとを判断しようという意識が強烈に働いている。そして、「チーム日本」としての団結・一体感を求める。

 それをわたしは「震災ナショナリズム」であると感じている。

 団結したり一致協力することを、わたしは悪いとは思わないし、決して否定しない。その団結や協力の範囲がなぜ「日本」であり「日本人」でなければならないのか、という点への疑問である。

 自分が関わりがあると思った人なら誰でも団結や協力をしていいし、自分は関係ないと思う人を無理に引っ張り込む必要もない(賛同者を増やすことを否定しているのではない)。言い換えれば、「がんばろう、みんな」でいいはずだ。確かにスローガンとしてのインパクトは弱いだろうが。

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