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米国「UNESCO脱退」と「イラン核合意見直し」の背景にあるパレスチナ問題:「和解」はなるか

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パレスチナ「和解」合意の成立を喜ぶガザ市民(2017.10.12)(写真:ロイター/アフロ)

 10月12日、米国政府は国連教育科学文化機関(UNESCO)が「政治的に偏っている」と批判したうえで脱退を宣言。それに続いて、翌13日には2015年12月のイラン核合意を「国益に合わない」と批判し、米国独自の制裁を再開するかを議会に審議することを求めました

 「UNESCO脱退」と「イラン核合意の見直し」はもちろん別々の問題です。しかし、それぞれをつなぐ糸も見受けられます。

 米国の二つの方針が打ち出したのと時を同じくして、10月12日に中東最大の火種であるパレスチナで、それまで対立していた二つの勢力、ファタハとハマスの間で和解が成立し、パレスチナ統一政府への期待が高まりました。これはトランプ政権が二つの強気の方針を打ち出したことに、少なからず影響しているとみられます。

UNESCO脱退

 まず、米国の二つの新たな方針について確認します。

 国連はもともと第二次世界大戦後に米国が中心になって発足しました。しかし、多くの開発途上国が加盟するにつれ、国連機関が米国の意思とかけ離れた決定をすることも珍しくなくなりました。そのため、米国は分担金を最も拠出しながらも、多くの国連機関と良好といえない関係があります。それはとりわけ、パレスチナとイスラエルの間のパレスチナ問題に関して、パレスチナを支持する開発途上国の多くが発言力をもつUNESCOなどで鮮明でした

 実際、今回の米国によるUNESCO脱退は、近年のUNESCOが「反イスラエル的」な決定を繰り返してきたことを理由としています。2012年、パレスチナにあるユダヤ教、キリスト教、イスラームそれぞれの聖地であるイェルサレムの「神殿の丘」をアラビア語のみで表記した他、2017年にはパレスチナ自治区ヘブロン旧市街が世界遺産に認定された際にユダヤ教との関係について言及されませんでした

 これら「反イスラエル的」な決定には、イスラエルだけでなく、一貫して同国を支援してきた米国の、特に共和党支持者の間からは強い批判があり、分担金の凍結を含めた対応を求める声があがっていました。今回の決定により、2018年12月に米国はUNESCOを正式に脱退した後、オブザーバー参加する予定です。

イラン核合意の見直し

 一方、イランの核開発をめぐり、2015年12月に米国をはじめとする関係国は「平和利用に限定した核開発」を認めることに合意。1979年のイスラーム革命以来、敵対してきたイランと欧米諸国の間で歴史的な合意が結ばれたことは、中東における緊張を和らげるものと期待されました。

 しかし、このオバマ政権の方針には、イランと敵対するイスラエルやサウジアラビアなど、米国にとって古くからの友好国から反発が噴出。中東における米国の同盟関係を揺るがすことになりました。

 2017年5月、トランプ氏は大統領としての初めての外遊でサウジアラビアを訪問し、経済・安全保障面での協力を強化する方針を打ち出しました。さらに、係争地イェルサレムに在イスラエル・米国大使館を置くことに積極的で、歴代の米国政権のなかでもとりわけイスラエル寄りでもあります。そのため、イランにはかねてから厳しい態度で臨むとみられていました。

 ただし、核合意の見直しに関しては、イスラエルやサウジからは好意的な反応があがっているものの、イランやこれを支援するロシアだけでなく、核合意に加わった英仏独の各国政府からも反対の声があがっています。こうしてみたとき、「UNESCO脱退」と同様、「イラン核合意の見直し」に関しても、米国がイスラエルとの関係を何より優先し、これと対立するものに厳しい態度で臨む点で共通しているといえます。

ファタハとハマス

 ただし、米国がパレスチナ問題において一貫してイスラエルを支持し、イランと敵対してきたことは、今になって始まったことではありません。「UNESCO脱退」と「イラン核合意の見直し」が立て続けにこの時期に発表されたことは、パレスチナにおける変化に関係しているとみられます。

 トランプ政権がUNESCO脱退を表明した10月12日、パレスチナの二大勢力、ファタハとハマスが和解の合意に達しました。この合意は、パレスチナ問題にとって大きな意味があります。

 パレスチナの地は1947年の国連決議でユダヤ人とアラブ人(パレスチナ人)に分割することが決定されました。しかし、その後も両者はパレスチナの領有をめぐってたびたび衝突。1967年の第三次中東戦争でイスラエルは、パレスチナ人のものと国連決議で定められていたヨルダン河西岸とガザ地区を含むパレスチナ全土を占領するに至りました。

 これに対して、当初パレスチナ抵抗運動の主流派だったのがファタハでした。ファタハは1960年代にイスラエルへの攻撃を本格化させ、イスラエルや米国から「テロリスト」に指定されました。

 しかし、周辺国の協力が乏しかったこともあり、武装闘争の限界からファタハはイスラエルを国家として承認し、国連決議の枠内でのパレスチナ国家の樹立を目指す方針に転換。1993年のオスロ合意で、ファタハのアラファト議長(当時)は「現実路線」を決定づけました。これによって、ファタハが主流を占めるパレスチナ暫定自治政府は、米国をはじめ各国から承認・支援されることになったのです。

 ところが、ファタハの「現実化」は多くのパレスチナ人の不満を呼び、「イスラエル打倒」と「パレスチナ全土での国家樹立」を叫ぶイスラーム組織、ハマスの台頭を促しました。ファタハとハマスは、同じくパレスチナ人の抵抗運動でありながら、世俗派とイスラーム派という違いだけでなく、方針においても大きく異なるライバルとして対峙することになったのです。

対立の本格化

 それまでに生まれていた両者の対立は、2006年以降に本格化しました。

 2005年、イスラエルのシャロン首相(当時)はパレスチナとの合意に基づき、第三次中東戦争で占領していた土地のうちガザ地区から撤退。翌2006年、パレスチナ自治議会選挙が行われた結果、ハマスが第一党に躍進したのです

 2006年、ガザ地区でファタハ支持者とハマス支持者が衝突。翌2007年にはファタハがガザ地区から事実上追い出されました。その結果、ヨルダン河西岸地区に拠点をもつパレスチナ暫定自治政府の中心を占めるファタハと、ガザ地区を実効支配するハマスが林立することになったのです。

 パレスチナ人同士の対立は、関係国にも影響を及ぼしました。その時点で既に、イスラエルだけでなく、米国をはじめとする欧米諸国は、イスラエルへの攻撃を続けるハマスを「テロ組織」に指定していました。

 そのハマスが選挙で躍進したことは、各国の緊張を高め、なかでもガザ地区と隣接するイスラエルやエジプトは同地区を軍事的に包囲し、ヒトやモノの出入りをできなくしたのです。これに合わせて、アッバス議長率いる暫定自治政府もガザ地区への燃料搬入を規制し、その結果ガザ地区では深刻な電力不足に陥ることになりました

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