- 2017年10月16日 09:52
ネットの炎上火力が強くなった話と、ネットが狭くなった話
2/2過剰な繋がりが、インターネットを“狭く”した
と同時に、過剰な繋がりによってインターネットは“狭く”なりました。
10年以上前、インターネットを語る言葉として「ネットは広大だわ……」というものがありました。実際、過去のネットユーザーは、回線のスピードが遅かったことも相まって、本当に長い時間をかけてハイパーリンクをたどる旅を続けていました。
それとは対照的に、現在のネットユーザーの情報収集に「長旅」という体感はありません。
極端なことを言えば、自分のSNSのアカウントを開きっぱなしにしているだけでも、ちょっとした情報収集になってしまうのです。あるいは、検索エンジンに検索ワードを入力して、ものの数分で情報収集を“終えてしまったつもりになる”こともしばしばです。
どちらの場合も、実際にはネットの情報環境の手近なところを撫でたに過ぎないのですが、だとしても、ものの数分で目的の情報に辿り着いた気分になってしまえば、「長旅」という体感は伴いません。そのぶん、インターネットの体感は“狭い”と感じられるようになります。
東海道五十三次を徒歩で行いていたものが、新幹線で移動するようになったことで「東京と京都は近くなった」と体感するのと似たことが、インターネットという情報環境でも起こっているのではないでしょうか。
付け加えると、「日本語圏のネットのどこに行っても、似たようなネット文化になってきた」のも、ネットが“狭く”体感されるようになった要因なのかもしれません。
かつてのウェブサイトは、ハイパーリンクの細い糸で繋がりあっていたので、繋がり合わない者同士が出会うことは比較的少なく、お互いにローカルルールを墨守しながら、独自のローカルカルチャーを形成する傾向がありました。
現在でも、ジャンルや思想信条によってはそういった傾向がみられないこともありません。しかし、現在進行形で起こっているのは、かつてはそれぞれにローカルルールを守っていた、いや、ローカルルールに守られていたローカルカルチャー同士が、さまざまに繋がりあうようになったことによって衝突や混淆を繰り返し、より共通したルールやカルチャーにまとまっていく、そんなプロセスではないでしょうか。
たとえば2017年において、twitter、はてなブックマーク、アメブロ、匿名掲示板の言い回しやスラングは、どのぐらい違っているでしょうか? 10年前は、もっとそれぞれがそれぞれにに、ローカルカルチャー然としていたのではなかったでしょうか?
東京にいようが京都にいようが、同じような人がいて、同じような店が立ち並び、同じようなモノが売られていれば、遠くまで旅に来たという感覚は薄まります。それと同様に、ネットのどこに行っても、同じようなネットスラングが使われ、同じようなコンテンツが並んでいれば、遠いところに繋がったという感覚は薄まってしまうわけで、これもひとえに、(国内の)ネットがあまりにも繋がり過ぎてしまった結果のように思われるのです。
本当は広大なインターネットを、“狭い世間”と体感する
なお、実際のインターネットはwwwの内側も外側も拡大の一途をたどっていて、手の届かないところには知らない情報がたくさん眠っています。
しかし、検索エンジンに頼ったネットライフや、フォロワーから情報が運ばれてくるネットライフに慣れきってしまった私達には、そのような手の届かないインターネットの彼方を意識したり体感したりする機会がありません。
だから一連の話は、インターネットが「本当に」狭くなったと主張するものではありません。
そうではなく、インターネットが“狭い世間”と体感されるようになった、という話です。そして、その“狭い世間”という体感を生んでいるのは、個別のウェブサイトやアカウントというより、それらを繋げている現状のネットの仕組み――リツイートやシェア、検索エンジン、まとめサイト、キュレーションサイト、等々――なんじゃないか、といった話です。
こうやって考えると、繋がり過ぎるのも良し悪しですよね。
飽きてきたので、今日はこのへんで。
- シロクマ(はてなid;p_shirokuma)
- オタク精神科医がメディアや社会についての分析を語る



