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選択式夫婦別姓議論と「日本人の姓/名字」の歴史

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一方、豊臣秀吉は事情が異なる。もともと藤吉郎という名前自体が(形骸化しているとしても)藤原系という名乗りである。かつて木下藤吉郎と言っていた時代には藤原姓を名乗っていた。やがて「羽柴」という「名字」を名乗るようになる。羽柴という地名はないので、丹羽と柴田という二人の名字から一字ずつとったという説が有力だ(私は井沢元彦氏の「端柴売り」説には賛同しない)。

そして、意外なことに「豊臣」は名字ではなく新しい「姓」であった。源・平・藤原・橘と並ぶ新しい豊臣という姓だったのである。だから、信長・秀吉・家康の姓は平・豊臣・源、名字でいえば織田・羽柴・徳川ということになる。

ちなみに、「姓氏には"〜の"をつけ、名字にはつけない」という説がある(岡野友彦)。みなもと-の-よりとも、たいら-の-まさかど、ふじわら-の-みちなが、とくれば、「とよとみ-の-ひでよし」と読むべきだというのである。一方「藤原紀香」が「ふじわら-の-のりか」でないのは、それが姓としてではなく明治以降の苗字として扱われているからだという。

「明治以前の一般庶民は姓/苗字を持っていなかった」はウソ

さて、江戸時代に入ると「名字」は「苗字」と呼ばれるようになる。この苗字についての誤った「常識」が根強く広まっている。

「江戸時代の庶民は苗字を持っていなかった(だから明治維新の時にみんな新しく苗字を作った)」と学校などで教わって、そのように思い込んでいる人も少なくないようだ。しかし、これは最近の研究でそうではないことが明らかになってきている。

奥富敬之『日本人の名前の歴史』のまとめ(167-168ページ)によれば、事実は以下のとおりである。
  1. 江戸時代の一般庶民は、水呑百姓など最下層にいたるまで、全員が苗字を持っていた。
  2. しかし一般庶民は、私的な場合にのみ苗字を名乗ったが(私称)、公的な場合には名乗らなかった(非公称)。
  3. 知行所を持つ石取りの武士だけが、一般庶民の苗字公称を免許する権限を持っていた。
  4. 苗字公称という特権を持つ者は、極力、この特権が他人にも与えられることを阻止しようとしたので、一般農民の間で苗字呼称の自粛ということが徹底し、結果的に幕藩体制下での身分秩序の維持に貢献することになった。
  5. 町人の世界では、「伊勢屋」とか「駿河屋」などの屋号が、結局は苗字の代用の役を果たしていた。
庶民は苗字(名字)を持っていた(さらに姓も持っていた)。しかし、それを公には名乗らなかっただけなのだ。つまり、苗字を名乗ることを「自粛」してきたのである。一方、金に困った武士が金を借りた商人に対して苗字帯刀の権利を許すことで借金の肩代わりにするような例もあった。もちろん、長くこの自粛が続く中で代々の苗字を忘れた例もなかったわけではないようだ。

いずれにせよ、庶民は苗字を「持っていなかった」のではなく「名乗らないよう自粛していた」わけである。

明治の大改革による姓と苗字の混乱

明治維新というのは、それまでの伝統とは異なることを始めており、明治以前と以後では大きな伝統の「断層」がある(断絶まではいかないが、大きなズレが生じる)。明治以後の「新伝統」は一般に「日本古来の伝統」と錯覚されがちだが、150年〜100年程度の歴史しか持たない「浅い伝統」を日本古来のものとするのは一種の「伝統偽装」にほかならない。初詣、神前結婚式、年賀状......いずれも明治以後の風習である。

そして、現在の日本人の名前の制度も明治以後の新伝統である。また、その背景にある「戸籍」も、言葉自体は中国由来の律令制以来のものであるが、中身の実態はそれまでの戸籍とはまったく異なる。むしろ、ナポレオン民法典やプロイセンの法にならった西洋起源のものであり、その目的は徴税や徴兵の準備として全国民の名簿を作ることにあった。
  • 明治三年(1870)9月4日:太政官布達「今より平民の苗字、差し許さること」(※まだ強制ではない)
  • 明治四年(1871)4月4日:戸籍法制定
  • 明治五年(1872)1月29日:戸口調査開始、同年「壬申戸籍」作成。苗字・屋号・名前の改称が禁じられ、同一家族の苗字を同一とさせたが、妻が夫の苗字ではなく実家の苗字で届けている例も多数。苗字なしの登録者もある。
  • 明治六年(1873)1月10日:徴兵令。
  • 明治八年(1875)2月:太政官布達「自今、必ず苗字を相唱うべし。もっとも祖先の苗字、不分明のむきは、あらたに苗字を設くべし」
    • 同年12月:太政官布達(婚姻、養子縁組、離婚、離縁などを届け出る際に苗字を新設してもよい)
  • 明治九年(1876)3月:太政官指令「婦女、人に嫁するも、なほ所生の氏を用ゆべき事、但し夫の家を相続したる上は、夫家の氏を称すべき事」(つまり「強制的夫婦別姓」)
    • 同年8月3日:父と子は同じ苗字でなければならない
    • 同年5月9日/翌年2月9日:家族の苗字は戸主の苗字と同じでなければならない
  • 明治三十一年(1898)6月21日:民法と改正戸籍法公布。女性は結婚すると夫の苗字を名乗らねばならなくなった(「強制的夫婦同姓」)。
要するに、今のように姓と苗字/名字の区別をなくした上での「強制的夫婦同苗字」制は、旧民法が公布された明治後期の1898年からわずか110年ほどの極めて短い歴史しか持っていないのだ。

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