この「好意」をよりよい形にしていくために、いろいろと考えてきたことをまとめてみたい。
※なお、アフィリエイト関連で仲良くさせていただいているあびるさんが「お願いタイガー! - 福祉施設への寄付マッチングサイト」というサイトを開設した。興味深い試みだと思うので同時に紹介させていただく。
タイガーマスク運動のよいところ
タイガーマスク運動は、「児童福祉施設」への寄付を匿名で行なうというものである。匿名である以上、それは「売名」のためではあり得ない。直接的に感謝されることや見返りを受け取ることを想定していない点において、それはかなり純粋な慈善行為といえる(自己満足の問題については後述する)。
そして、児童福祉施設というのは基本的に厳しい財政状況にある。したがって、この慈善行為は困っている人たち(児童)への助けとなっている。困っている人に対して役に立つ慈善行為を行なうことは、非常によいことだ。
つまり、
- 見返りを求めない純粋な好意による
- 困っている人に対して役に立つ内容である
(某宗教政党は選挙演説で「自分たちが汗水垂らして働いて稼いだ金を、働いていない連中にばらまかれるのは許せない」と主張していたが、私は、自分が汗水垂らして働いて稼いだ金が生活に困っている人の足しになるのなら、それこそ嬉しいことだと考えている。)
タイガーマスク運動の限界
一方で、この運動についてあえて問題点/限界を考えてみたい。
まずは「ランドセル」の問題。ランドセルの寄贈は確かに効果が大きい。というのもランドセルは単価が高いので、それを寄贈してもらえれば浮いた予算で別のものが買える(新一年生のみならず他の年齢の子供たちにもメリットがある)ということにはなる。
しかし、皮肉なことだが、タイガーマスク運動のニュースの直後のCMで「ランドセルは選びたいなぁ!」と流れたときにはさすがにぶっ飛んだ。好意だから無にはできないのだが、ランドセルを選べない子供たちに「もらえるだけマシ」と言うのはつらいところだ。
これは「本当に必要なもの」を考えるべきだということである。実際、タイガーマスク運動もしばらくすると、施設に「寄付をしたいがどういうものがよいか」を尋ねる電話があったり、あるいは何でも買える現金や商品券が送られてくる例も増えてきたようだ。これは施設側にとってもありがたいことだろう。
これはたとえば地震などの被災地でも同様で、「現地で実際に不足しているものを、現地ボランティアなどに確認した上で送る」というのがベスト、次いで「必要なものが何でも買える現金類」による寄付というのが「役立つ寄付」ということになる。もちろん、物品や金銭に余裕がない場合にせめて「励ましの声」を届けるというのもありだが、ただ現地でどう受け取られるかは考えた上で行動しないと、「海外の被災地に千羽鶴を送って喜ばれなかった」というような結末になってしまう。千羽鶴を折った人たちの好意は疑えない。しかし、本当に役立つものは何だろうと考えるところまでやって初めて、好意が実を結ぶのである。