- 2017年10月04日 08:23
こちらは「サンデー毎日」没原稿
2/2緊急事態宣言下では反政府メディアも反政府的な市民運動も存立できない。院外での抗議のデモや集会を行えば、それ自体が「社会秩序の混乱」と解釈されて、緊急事態宣言の正当性の根拠を提供するだけだからである。
なぜ安倍首相はそのような事態の到来を願うのか。彼が単に独裁的権力を享受して「ネポティズム政治」を行って、身内を厚遇し、政敵を失脚させ、イエスマンに囲まれて、私腹を肥やそうとしているというような解釈はまったく当を失している。ネポティズムは目的達成のための手段であり、またその「副産物」であって、目的ではない。
安倍晋三は身内を重用するために政治をしているわけではない。そもそもそのような利己的な人物に対して国内の極右勢力が熱狂的な支持を与えるということは考えればありえないことだ。
彼がめざしているのは「戦争ができる国」になることである。
彼の改憲への情熱も、独裁制への偏愛も、たかだか手段に過ぎない。彼の目的は「戦争ができる国」に日本を改造することにある。国家主権を持たぬ属国であるのも、国際社会から侮られているのもすべては「戦争」というカードを切ることができないからだと彼は考えている。そして、たいへんに心苦しいことであるけれど、この考え方には一理あるのである。だから、極右の人々は安倍首相に揺るがぬ支持を与えているのであるし、自民党や維新や民進党の議員たちがこまめに靖国神社に参拝してみせるのは、そうすれば「戦争ができる国になりたい」と(口には出さず)念じている人々の票が当てにできるということを知っているからである。
「戦争ができる国になりたい。戦争ができない国であるのは理不尽だ」というのは、ある意味で現実的な考え方である。というのも、現実に世界の大国は「戦争」カードを効果的に切ることによって、他国を侵略し、他国の国土を占拠し、他国民を殺傷し、それを通じて自国の国益を増大させるということを現にしており、それによって大国であり続けているからである。国連の安保理事会の常任理事国はどれも「そういうこと」をしてきた国である。だが、日本はそうふるまうことを禁じられている。
東京裁判によって、サンフランシスコ講和条約によって、日本国憲法によって、「そういうこと」をすることを禁じられている。戦争に負けたことによって日本人は「戦争ができる権利」を失った。失ったこの権利は戦争に勝つことによってしか回復されない、そういう考え方をする日本人がいる。私たちが想像しているよりはるかに多くいる。でも、そう思っているだけで口にしない。だから匿名でネットで発信し、自民党やその他の極右政党に投票する。
重要なのは、彼らがそう思っていることをはっきりと口にしないことである。なぜ、彼らは「戦争ができる国になりたい。自国の国益を守るために他国を攻撃するのはすべての国に固有の権利のはずだ」と言い切れないのか。それはここでいう「他国」にアメリカも含まれているからである。
日本の極右がねじれているのは、はっきりと「アメリカを含むすべての国と好きな時に戦争を始める権利が欲しい」と言うことに対しては激しい禁圧がかかっているからである。その言葉を口にすることはアメリカの属国である現代日本においては指導層へのキャリアパスを放棄することを意味している。政界でも、官界でも、財界でも、学界でも、メディアの世界でも、出世したければ、脳内にどれほど好戦的な右翼思想を育んでいる人物でも「アメリカを含むすべての国と好きな時に戦争を始める権利が欲しい」ということは公言できない。したら「おしまい」だからである。
けれども、アメリカが日本から奪った「戦争する権利」はアメリカと戦争して勝つことによってしか奪還できないのは論理的には自明のことである。この自明の理を「一度として脳裏に浮かんだことがないアイディア」として抑圧し、対米従属技術を洗練させ、後はひたすら中国韓国を罵り、国内の「反日」を敵視することでキャリアを形成してきた日本の指導層の人々の言うことが、こと国家主権と戦争の話になると何を言っているのか分からないほどに支離滅裂になるのはそのせいなのである。
はっきり口に出して言えばいいのに、と私は思う。安倍首相は「戦争ができる国」になりたいだけではない。「アメリカとも、必要があれば戦争ができる国」になりたいのである。「思っているでしょう?」と訊いても必死で否定するだろうけれど、そう思っていると想定しないと彼の言動は説明できない。
彼は属国の統治者であり、あらゆる機会に宗主国アメリカに対する忠誠を誇示してみせるけれど、まさにそのアメリカが日本に「与えた」最高法規をあしざまに罵り、そこに書かれているアメリカの建国理念や統治原理に対して一片の敬意も示さない。彼はアメリカが自国の国益増大に資すると思えば、どのような非民主的で強権的な独裁者にも気前の良い支援を与えて来た歴史を知っている。
朴正煕も、マルコスも、スハルトも、ピノチェトも(CIAの役に立つと判断されていた間は)ノリエガも、アメリカは支持した。今のアメリカの国益を最大限に配慮する限り、どれほどアメリカの建国理念や統治原理を憎んでいても、属国の支配者の地位は安泰であることを知っている。その地位を利用して、彼はまず「アメリカと一緒に戦争する権利」を手に入れた。まだ戦争そのものにはコミットしていないが、憲法違反である戦争参加を制度的には合法化することに成功したし、御用メディアと御用知識人たちを活用して、交戦は主権国にとって当然の権利だという「空気」を醸成し、山本七平のいう「感情の批准」をいま着々と進めている。
だから、ここまで来れば、彼の支持者たちは「次の一手」を期待している。それはまず「アメリカの許諾を得ずに勝手に戦争をする権利」であり、最終的には「アメリカとも戦争をする権利」を手に入れることである。
私がわからないのは、アメリカの国務省がこれくらいわかりやすい話についていつまでも「知らないふり」をしていることである。たぶん使える限り引っ張って、どこかで日本人の抑圧された対米憎悪の「びんの蓋」が外れる気配を見て取ったら「泣いて馬謖を切る」つもりでいるのだろうと思う。わが宗主国はその点では憎いほどにクールな国である。
<というようなことを9月19日に書いたときには「時宜にかなった記事だ」と思っていたのだけれど、政局の前に吹き飛んでしまった。
テレビニュースが「面白い」時は、こういう原理的な分析は相手にされないのである。
でも、ここに書いたことは今もそのまま私の意見である。



