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ドイツ占領下ではナチスに協力も…パリでホロコーストの跡をたどる

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ホロコーストを伝える漫画展

この記念館で、来年1月までの臨時展示として行われているのが、「ホロコーストと漫画」展である。

「グール収容所のミッキー」の一部(「Shoah et Bande Dessinee Limage au service de la memoire」より)

最初に展示されているのが、「グール収容所のミッキ―」(1942年)だ。ミッキー・マウスが主人公で、15枚の水彩画で構成されている。イラストレーターのホルスト・ローゼンタールが描いたものだ。

グール収容所はフランス南西部グールに設置されていた。当時、ウォルト・ディズニーのミッキー・マウスはフランスでも人気があった。

ミッキー・マウスの形を借りて、フランス国内の一時収容所での様子が伝えられてゆくが、実際のホロコーストの様子は描かれていない。それは、ローゼンタール自身が、1942年9月アウシュビッツ強制収容所に送られ、初日に毒ガスで殺害されてしまったからだ。

別の漫画家ダヴィド・オルレの作品も展示されている。オルレは1943年、他のユダヤ人とともに当局に拘束され、パリ北東部のドランシー一時収容所に連れて行かれた。

ダヴィド・オルレが描く、強制収容所の様子の一部
(「Shoah et Bande Dessinee Limage
au service de la memoire」より

この収容所に集められた約7万人の在仏ユダヤ人がポーランドのアウシュビッツなどの最終的な強制収容所に送られた。

オルレはドランシーから護送車両「49」に乗せられてアウシュビッツに運ばれた。オルレは「ゾンダーコマンド」という職を割り当てられた。ガス室で殺害されたユダヤ人の遺体を運び出し、死体を焼却する前に貴重品などを回収する仕事である。

戦争を生き延びたオルレは、囚人となったユダヤ人たちの生活ぶりを非情なリアリズムで再現するイラストを何枚も描いた。収容所に到着し、選別され、ガス室で亡くなるまでの一連の過程である。

オルレのイラストやほかのユダヤ人の証言などから、収容所の生活がどういったものであったのかが分かるようになったという。

展示の中には、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」もある。

フランス語と英語による説明文がそれぞれの漫画に加えられている。元は今年10月までの展示であったが、好評のため、来年1月まで延長された。

地下にある書店では、展示された漫画を集めた本(これはフランス語版のみ)などが置かれている。

元収容所が現在は低所得者向け住宅に

第2次大戦中にフランス内のユダヤ人がポーランドなどの強制収容所に送られる前に、ドランシー収容所に集められたことは先述した。

現在、収容所だった場所の近くには、もう1つのホロコースト記念館が設置されている。パリ市内中心部から電車で1時間余かかるが、毎週日曜日午後、先のホロコースト記念館からバスで送迎サービスがある。

筆者はこれを利用してみた。運転手のほか、訪問客はカップル一組のみ。ただし、実際に館内に入ってみると、団体客がフランス人のガイドさんの説明を受けていた。

展示物には英仏の説明があり、音声ガイドの機材(英仏)も使い勝手が良いが、ガイドさんはフランス語のみであった。

そこで、一人で音声機材を使って、展示を回ってみた。

ドランシー収容所は、もともとは1930年代に建てられた高層集合住宅だ。1940年5月、ドイツ軍がフランス進行を開始し、6月14日パリが陥落する。ドランシーはドイツ軍に没収された。

ビシー政権下の同年9月、フランス国内に住むユダヤ人の登録化が開始される。1941年8月末、ナチスの命令により4230人のユダヤ人が逮捕され、ドランシーに送られる。

秋にはドランシーは本格的な収容所となってゆくが、衛生状態が悪く、30人が死亡。1000人以上がむくみや栄養失調による失調状態となり、ドイツ軍は拘束を解かざるを得なくなった。

12月、収容人員の抵抗運動を抑制するため、ドイツ軍は44人を山に連れてゆき、見せしめに射殺した。

記念館内にはドランシーに拘束中に命を失った人々の写真や不自由ながらも何とか工夫をして生き延びようとする人々が残した思い出の品などが展示されている。例えば、ルーマニア出身のダヴィド・オーレさんが残した、自分の名前のイニシャルと管理番号を刻み付けた水筒があった。

国外の強制収容所への移送作業は1942年6月から1944年7月まで続いた。ドランシーに送られた後、生きて帰った人々は全体の4%ほどだったと言われている。

記念館がオープンしたのは2012年。外にはコの字型の元拘束施設が残る。今は何に使われているのだろうか?

ドランシー元収容所の現在(手前のビル)

筆者は、フランス人ガイドに聞いてみた。「改装後の現在は、低所得者の家族が住んでいる」。

この言葉を聞いて、筆者はガーンとした。

過去には、ドランシーから送られたユダヤ人のほとんどが強制収容所に送られ、死亡した。ここは、死に至る通過点だった。ユダヤ人であるというだけでここに送られ、いつどうなるか分からない状態となった人々が時には疾病で、時にはナチスによる処刑で命を落とすことにつながった場所である。

そんな重苦しい過去を持つ施設が、今現在、低所得者が住む住宅になっていたとはーー(もちろん、元々住宅として建てられていたのだけれども)。

現在そこに住む人とかつて拘束されていたユダヤ人、アウシュビッツに送られたユダヤ人が重なって見えた。

***

パリ・ホロコースト記念館
ドランシー・ホロコースト記念館

※在パリのユダヤ人が大量に検挙された事件(1942年)もご参考にされたい。
ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件

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