- 2010年03月10日 02:30
全小中学校に常備すべし - 書評 - ニセ科学を10倍楽しむ本
Amazonにて購入。
これ、著者の仕事の中で、最も社会貢献度が高い作品ではないか。「アイの物語」が著者のフィクションベストとすれば、本作はノンフィクションのベスト。そして今まで読んだニセ科学対策本の中のベストでもある。
そう。対策。なくならない以上は対策するしかないのだ。
本書「ニセ科学を10倍楽しむ本」は、巷にあふれるニセ科学をどう見抜き、そしてニセ科学信者たちとどうつきあうかを小学生高学年にもわかるよう解説した一冊。
- 第1章 水は字が読める?
- 第2章 ゲームをやりすぎると「ゲーム脳」になる?
- 第3章 有害食品、買ってはいけない?
- 第4章 血液型で性格がわかる?
- 第5章 動物や雲が地震を予知する?
- 第6章 2012年、地球は滅亡する?
- 第7章 アポロは月に行っていない?
- 第8章 こんなにあるぞ、ニセ科学
- エピローグ 疑う心を大切に
「小学生にもわかる」というのはだてではなく、難しい漢字にはきちんとルビが打ってあり、それでいてルビがしつこくない。まさに声に出して読めるニセ科学対策。「子供の科学」や「まんがサイエンス」が読めれば充分最後まで読み通せる。元々自分用に買ったのだが、これなら来月から小学校六年生になるわが長女にも難なくよめる。思わぬプレゼントが出来てうれしい父なのであった。
「リテラシー」(literacy)という言葉で耳にたこが出来て久しい。リテラシーって何だろう。あえて反語で定義すると、「文盲 = illiterate でないこと」となる。すなわち理解し発信できることとなるが、どれくらい知識があれば「リテラシーがある = literate」と見なせるのだろうか。
実はこのこと自体が引っ掛け問題。量は無関係であることは、本書を読めばよくわかるし、小学生の方が大人よりリテレートなことは珍しくないのだ。あまりうれしくないことだが、長女もリテラシーに乏しい担任の下で苦労しているようだ。世界地図を見せて「オーストラリアは下にあります」という担任に「下ってどっちですか?」という問答を毎日のようにしているとのこと。
話を元に戻す。リテラシーが知識量で推し量れないとしたら、なにをもって推し量ればよいのだろう。
「知式に対する誠実度」だと、私は思う。
知式というのは私がひねりだした言葉であるが、平たく言えば「疑う心」。ある言説をどう疑い、そしてある疑惑をどう晴らすのかという一連の手続きが、知式である。ものごとに知式をもって接するありさまがリテレートであり、それが出来ることがリテラシーであるとするのが。
このことは、なぜニセ科学はなくならないのかの理由ともなっている。知式にのっとってものごとに接するのは、高コストなのだ。江戸時代の将軍じゃあるまいし、見聞きするものごとを全て毒味できるほど暇な現代人はいないのだ。実際本書にも、リテラシーがある人もニセ科学に引っかかる例が、大槻義彦をはじめ山ほど出てくる。
とはいえ、「知式を適用しきれない場合どうするべきか」というのは、あとまわしにしてもよいだろう。まずは知式を習得する。それだけでニセ科学に引っかかりづらくなるし、仮に引っかかった場合でも抜け出すのは容易だ。本書の「練習問題」が解ければ、現代社会人としては及第点のはずだ。
そうそう。「疑う心」は当然本書に対しても向けなければ誠実とは言えまい。一カ所「あれ?」を見つけたのでこの場を借りて報告することで本entryをしめくくるとしよう。
P. 210
夕帆 1年は365日だから、365日で割れば…
パパ 違うよ。100年にうるう年が24回あるのをわすれちゃいけない…1年の長さは365.24日だ
違うよパパ。グレゴリオ暦では400年にうるう年が97回あるのをわすれちゃいけない。1年の長さは365.2425日です。わずかな差ですが、13パクトゥンの長さは12.8日もかわっちゃいますよ。
Dan the Man to Err
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