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憲法学者とは、なぜ反米主義者のことなのか

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 本日、朝日新聞にインタビュー記事を掲載していただいた。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13127903.html?rm=150 

憲法学者とアメリカとの関係について、ブログを使って、補足しておきたい。
 朝鮮半島情勢だけを見ても、日本を取り巻く環境は緊迫している。しつこいようだが、『ほんとうの憲法』の姿を憲法学者の反米主義の呪縛から解放することの重要性は、どんなに強調しても強調しきれない。
 
私が『集団的自衛権の思想史』(2016年)を書こうと思ったのは、集団的自衛権をめぐる日本のガラパゴス理解を指摘するための作業をしておきたかったからだが、憲法学者の異様な政治運動について考えてみる作業を自分自身がしておきたいと思ったからでもあった。

 2015年安保法制をめぐる喧噪での憲法学者を中心とする方々の言説は、なぜ異様だったのか。その問いに対する答えが、自分自身で感覚的にわかったのは、終戦時の東京大学法学部憲法第一講座担当教授・宮沢俊義の論文「八月革命と国民主権主義」が雑誌『世界文化』に1946年5月に掲載された際のオリジナルをマイクロフィッシュで読んだときだった。

 われわれは通常、この論文を、宮沢俊義『憲法の原理』(岩波書店、1960年)収録されている「日本国憲法生誕の法理」という題名の論文として、読んでしまう。しかし『憲法の原理』所収論文は、編集が施された後のものだ。オリジナルの「八月革命と国民主権主義」にしかない記述がある。原文をマイクロフィッシュで読んだ際、私は、戦後日本憲法学の一つの特質を、肌で感じることができた。

 宮沢は、1946年「八月革命」論文を、檄文のような『タイム』誌への憤りの表明で結んでいた。『タイム』誌が、「We the Minics (ママ)(我ら模倣者は)」という題名の記事で、「日本人の模倣的頭脳がアメリカ式憲法草案を生んだ」、と揶揄したからだ。
 宮沢は、政府憲法草案が、実際にはGHQが作成したものであることを知りながら、それを隠して、「政府案が国民主権主義を採用したのは決して単なるアメリカの模倣ではない」、とあえて断言していた。

 そのうえで、憲法草案の表現や規定に「模倣と評せられ得るものがきはめて多い」ことについては「十分再検討」すべきだと主張した。そして「冷笑され」ないように、「政府案の審議にあたる議員諸公」に「真に自主的な民主憲法を確立させるためには遺漏なきを期してもらいたい」という一文で、論文を締めくくった。

松本委員会の委員であった宮沢が、議員への責任転嫁のような要請をするのは奇異である。しかし、この一文こそが、「八月革命」説の政治的意図を説明する。
 
宮沢に続いた戦後日本の憲法学は、『タイム』誌への、アメリカへの、復讐をしている。

 保守派は宮沢の「転向」を語るが、私は違う印象を持っている。アメリカ人が作った憲法を日本人が作ったものと主張し、それをもってアメリカ外交政策への抵抗の手段とする。戦後の焼け野原で日本人がとることができた、ぎりぎりのアメリカへの復讐策だろう。宮沢は、アメリカ人が起草した憲法案を、革命によって主権を奪った国民が書いたものだと言いつくろって、自分たちのものとしようとした。

その後、冷戦体制が進展すると、安全保障体制の整備を求めるアメリカに「面従腹背」するための装置として、憲法を利用し続けることになった。そのような倒錯した反米主義が、憲法学者を中心とする護憲主義者たちの間で定着した。
 
宮沢は、悔しかったのだ。
 アメリカに戦争で負けたことも悔しかっただろう。宮沢は、1941年12月8日の日米開戦を、「最近日本でこの日くらい全国民を緊張させ、感激させ、そしてまた歓喜させた日はなかろう」という気持ちで迎えた人物であった。「とうとうやりましたな、・・・来るべきものがつひに来たといふ感じが梅雨明けのやうな明朗さをもたらした・・・。

この瞬間、全国の日本人といふ日本人はその体内に同じ日本人の血が強く脈打つていることを改めてはつきりと意識したに相違ない。・・・それから息を継ぐひまもなく、相次ぐ戦勝の知らせである。・・・気の小さい者にはあまりにも強すぎる喜びの種であった。」

 宮沢の世界情勢分析によれば、
「東洋の国家の代表選手としての日本がその歴史的・宿命的な発展を遂行することは必然的にアングロ・サクソン国家の東洋に対する支配といふものを排除することを意味する。・・・

アングロ・サクソン国家は近年はあらゆる問題について国際的現状維持をもつて国際的正義なりと主張して来た。しかし、考えてみるとこんな虫のいい議論はない。・・・アングロ・サクソン人のかういふ虫のいい考へが根本的に間違つてゐることをぜひ今度は彼らに知らせてやる必要がある。・・・願はくはこのたびの大東亜戦争をしてアジヤのルネサンスの輝かしき第一ページたらしめよ。」
(宮沢俊義「アングロ・サクソン国家のたそがれ」(1942年)等)。

終戦直後、宮沢は東大での講義の中で、大日本帝国憲法のままで日本は民主化できることを力説していた。松本委員会で新憲法案を起草することになったとき、自分が慣れ親しんだ大日本帝国憲法の焼き直しでしかない草案を作成した。その宮沢憲法案こそが、マッカーサーに、危機感を抱かせたものだった。GHQが急遽、新憲法を起草する作業を行う判断をした、そのきっかけとなった守旧的な憲法案を作った功績は、宮沢のものである。

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