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アート(という欲望)と学校(という規律システム)は相容れるか~日野皓正氏のビンタ

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■アート(というプリミティブな欲望)と学校(という近代的なディシプリン/規律システム)は相容れるか

ジャズミュージシャンの日野皓正氏がドラムスを熱狂的にたたき続ける中学生に対して「ビンタ」したというニュースは、全国を駆け巡った。

現代教育では暴力は否定されているから(現場では横行するらしいが)、体験学習中に起こったこの事件では、日野氏が単に悪い。

それは現代教育上ということに加えて、児童虐待が倫理的に「悪」であると共有されている現代においては、子どもの福祉という視点からも悪い(日野氏は「親子に近い関係」だから許されると語っているそうだが、だからこそ悪い日野皓正氏、平手打ち「問題ない」 「親子に近い関係」)。

被害者の中学生・保護者は反省しており、日野氏の間では和解が成立しているそうだから、事件の現実的山場は過ぎ去っている。あとはこの「出来事」が我々の社会でどう位置づけられるか、その位置づけられ方自体が、我々の社会の水準を示すことになる。

アート(というプリミティブな欲望)と学校(という近代的なディシプリン/規律システム)は相容れるか。

若者の熱狂を止めることとはどういうことか。

なぜその欲望を止めなければいけないのか。

また、止める人がアーティストの場合、そもそもそんなアーティストがなぜ旧弊な近代システムに雇用されているのか。

ざっと考えただけでもさまざまな「問い」がここでは浮かび上がる。

■ジミヘンのギター壊しといった紋切り的美を超えた

が、この頃の僕は、前にも増して「当事者の潜在的欲望」に関心がある。当欄でも前々回、北朝鮮のミサイル問題に関して、この点から考察してみた(ミサイルと9.1(自殺)問題)。

メディアに浮かび上がる大人たちの価値とは反対に、子どもや若者の欲望や価値は非常に見えにくいもののしっかりと社会の底流で潜在化している。

そのひとつが「ミサイル」に対する独特な見方だったりするが、今回のような、10代20代に突然襲ってくる「欲望」(「この場でドラムスをたたき続けたい」という快感)をどう社会は位置づけるかという点も、なかなか見過ごせないと僕は考えている。

集団生活(ジャズ・オーケストラ)のルールや、そもそも自分が属してしまったミニ社会(学校)のルールの枠を超えて、「たたき続けたい」という欲望は突如10代20代を襲う。

その欲望は動物的といえば動物的、人間的といえばそれもまた人間的、アートと言われてみるとアートだし、そもそもこうしたインプロヴィゼーションこそがジャズであると僕は思う。

完成されたジャズになると30分のフリーソロでも周到な計画がされているらしいが、素人の僕などは、そんなソロよりも、オーケストラを無視して延々たたき続ける中学生ドラムのほうがよほどジャズだと思うし、近代価値から離れてあえて哲学的に言ってみると、日野氏のビンタも含めてそれはジャズであり、アートだ。

日野氏のビンタは、ジェイムズ・ブラウンのマント着せとかジミヘンのギター壊しといった紋切り的美を超えた、ステージ上で一瞬だけ煌めくアートだと僕は思う。その日最高の「ジャズ」がそのビンタだということだ(哲学的コメントです、はい)。

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