- 2017年09月05日 09:51
フェイク(偽)とファクト(事実)の間(はざま)にて
2/2もちろん、そういう見方も一つの真実だが、一方で、アメリカの一面の現実として、別にKKKならずとも、良識ある南部出身者の多くが、19世紀半ばの当時の常識の中で、必死に南部の生きる道を探った将軍たちは、必ずしも完全に悪ではない、南部のために頑張ってくれたと称えたい、と考えるとの事実がある。
ラブコメ映画ファンの私にとっての傑作の一つは、リース・ウィザースプーンがとってもキュートで大ヒットした「Sweet Home Alabama」(邦題:メラニーは行く)だが、南部の人たちが南北戦争・南部の誇りをどう考えているかが、明示的に分かるシーン、三角関係の恋愛の帰趨でそのことを表現しているシーンが多々ある。(余談になるが、南北戦争後の北部の南部占領政策を見ると、何故、国際法的にグレーな形で、米国が、戦後日本を徹底改造しようとしたかがよく分かる。)
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話を戻すと、つまり、見方によっては、上記の「一般的な正しい報道」こそが、実はバイアスのかかった「フェイク・ニュース」とも言える。ネット社会では、主要メディア以外の言説が各種サイトに満ち満ちているので、色々な真実があり、相対化してしまうわけだ。
ニュースの例ではないが、私を含め、評価する人の多い幕末・維新期の「輝かしい日本」だって、見方によっては、田舎者のテロリストによるエリート抹殺とも言え、現に、「攘夷を幕府は実行せよ」「攘夷できない幕府はつぶせ」と大騒ぎしていた人たちが、維新後にコロッと開国をしている。
価値の相対化が徹底して起こっていて、東スポのように笑い飛ばせなくなっているのが、私の見る「フェイク・ニュース」現象の本質であるわけだが、では、全ては疑わしい世の中にあって、一体どうすればいいのか。デカルトではないが、コギト・エルゴ・スム、即ち、「我思う、ゆえに我あり」の原点に戻るしかない。
凡庸な結論ではあるが、信じられるのは、そのように考えるところの「自分」だけだ。自分なりに、歴史的・空間的に視点を広く持って物事の構造を見て、自分なりにフェイクとファクトを見分けるしかない。
私自身、日々、フェイクとファクトの間で揺れ動きながら、必死に自分の地面を踏みしめている。
- 青山社中筆頭代表 朝比奈一郎
- 青山社中株式会社 筆頭代表CEO



