記事

フェイク(偽)とファクト(事実)の間(はざま)にて

2/2

もちろん、そういう見方も一つの真実だが、一方で、アメリカの一面の現実として、別にKKKならずとも、良識ある南部出身者の多くが、19世紀半ばの当時の常識の中で、必死に南部の生きる道を探った将軍たちは、必ずしも完全に悪ではない、南部のために頑張ってくれたと称えたい、と考えるとの事実がある。

ラブコメ映画ファンの私にとっての傑作の一つは、リース・ウィザースプーンがとってもキュートで大ヒットした「Sweet Home Alabama」(邦題:メラニーは行く)だが、南部の人たちが南北戦争・南部の誇りをどう考えているかが、明示的に分かるシーン、三角関係の恋愛の帰趨でそのことを表現しているシーンが多々ある。(余談になるが、南北戦争後の北部の南部占領政策を見ると、何故、国際法的にグレーな形で、米国が、戦後日本を徹底改造しようとしたかがよく分かる。)
___

話を戻すと、つまり、見方によっては、上記の「一般的な正しい報道」こそが、実はバイアスのかかった「フェイク・ニュース」とも言える。ネット社会では、主要メディア以外の言説が各種サイトに満ち満ちているので、色々な真実があり、相対化してしまうわけだ。

ニュースの例ではないが、私を含め、評価する人の多い幕末・維新期の「輝かしい日本」だって、見方によっては、田舎者のテロリストによるエリート抹殺とも言え、現に、「攘夷を幕府は実行せよ」「攘夷できない幕府はつぶせ」と大騒ぎしていた人たちが、維新後にコロッと開国をしている。

価値の相対化が徹底して起こっていて、東スポのように笑い飛ばせなくなっているのが、私の見る「フェイク・ニュース」現象の本質であるわけだが、では、全ては疑わしい世の中にあって、一体どうすればいいのか。デカルトではないが、コギト・エルゴ・スム、即ち、「我思う、ゆえに我あり」の原点に戻るしかない。

凡庸な結論ではあるが、信じられるのは、そのように考えるところの「自分」だけだ。自分なりに、歴史的・空間的に視点を広く持って物事の構造を見て、自分なりにフェイクとファクトを見分けるしかない。

私自身、日々、フェイクとファクトの間で揺れ動きながら、必死に自分の地面を踏みしめている。

あわせて読みたい

「マスコミ」の記事一覧へ

トピックス

  1. 一覧を見る

ランキング

  1. 1

    BLOGOSサービス終了のお知らせ

    BLOGOS編集部

    03月31日 16:00

  2. 2

    なぜ日本からは韓国の姿が理解しにくいのか 識者が語る日韓関係の行方

    島村優

    03月31日 15:41

  3. 3

    「いまの正義」だけが語られるネット社会とウェブ言論の未来

    御田寺圭

    03月31日 10:09

  4. 4

    カーオーディオの文化史 〜ドライブミュージックを支えた、技術の結晶たち〜

    速水健朗

    03月30日 16:30

  5. 5

    BLOGOS執筆を通じて垣間見たリーマンショック後10年の企業経営

    大関暁夫

    03月31日 08:27

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。