- 2017年09月04日 10:15
生存という重力からの逃れ方に個人や企業の人格が現れる。自分自身のキャリアを通じてそのトライを何度も続けている - 「賢人論。」第44回望月優大氏(前編)
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社会問題に取り組むことは「楽しい」
みんなの介護 「やりたいこと」がたまたま、社会的に「やるべきこと」と一致していた、という感覚に近いのでしょうか。
望月 先日ニュースであるアンケート結果を読んだのですが、いまの日本で「仕事が楽しい」と思っている人は10%以下なんだそうです。要は、生きていくために仕方なく仕事をしている人がとても多い。他方、幸福なケースですが、仕事の中に楽しさを見出している人たちがいるのも事実だと思います。
私は「仕事が楽しい」という人が存在するのと同様に、社会のために何かすることが自分自身の納得感や満足感に結びついている人がいたとしても不思議はないと考えています。なんらかの社会問題を自分たちの力で解決し、そのことで少しずつでも社会が良くなっていくプロセスを目の当たりにするのは、単純に楽しいし嬉しいことだと思うんです。
みんなの介護 そのような感覚は学生時代から持ち続けていたんですか?
望月 社会にある問題を「理解したい」、そしてできれば「解きたい」という気持ちが強かったような気がします。若いころは「なぜ貧しい人がいるんだろう」「なぜこの国とこの国は仲が悪いんだろう」といった素朴な疑問を抱きますよね。社会の諸問題はいろんな複雑な要素が絡み合って起きることなんですが、普通に生きていたらその辺の詳しい構造や事情はよくわからない。
「社会を良くするにはどうすればいいか」と問われても、いきなり答えを出すのは難しいですよね。いろいろと自分なりに勉強することで、そういう複雑な問題を理解し解けるようになりたい、という漠然とした気持ちはあったと思います。
みんなの介護 日本ではまだ、社会のために何かするということが当たり前のこととして根付いていないと言われています。有名人が寄付をすると「偽善」というレッテルを貼られてしまったり。
望月 ひとつの考え方ですが、人の目にどう映るかよりも、自分自身がそれを「かっこいい」と思えているかどうかの方が大切だと私は思っています。どれが本当の善でどれが偽善かなんて、そもそもそんな線引きをすること自体が不可能だと思うので。
それに、善意からしたことが必ずしも正しい結果につながるわけでもないでしょう。だから、「善意だから偉いんだ」とも一概には言えない。私自身はシンプルに、自分の時間を「こうあってほしい社会」の実現のために使うことが、それをしない人生に比べてずっと納得のいくものではないかと思っています。偽善かどうかを考えている暇はないと考えているんです。



