- 2017年08月30日 10:36
ロシアのウォッカのすべて
2/2大衆向けでないウォッカ
ウォッカは、生産コストが安かったので、利益を上げるのはかなり簡単だった。それで、18世紀を通じ政府は、一般庶民がその醸造を行うことを望まず、女帝エリザヴェータは、貴族にウォッカの醸造・販売を許可する勅令を出した。
これは、ウォッカの品質を向上させた。それというのも、貴族は、ウォッカ精製の方法およびそれに必要な成分を手にすることができたからで、そうした成分のなかには、動物性タンパク質も含まれていた。貴族たちはまた、様々な味を加えて、それぞれに独自の風味を生み出した。
にもかかわらず、貴族の特権は長続きしなかった。19世紀になると、ジャガイモを使った低品質のウォッカの違法生産が増加したので、皇帝は国家独占を確立。すなわち、政府だけがアルコール生産を認められ、標準の40度のアルコールを証明するものとして、ゴム印が押された。
国家専売から競争へ
政府は、誰が首脳であろうが――皇帝であれ、共産党であれ――、ウォッカの生産と販売を独占していた。1914年に第一次世界大戦が始まるまでは、ウォッカ独占は、ロシア政府にとって最大の収入源であり、政府の総収入の32%を生み出していた。
国のウォッカ生産は、革命と内戦のため中断されたが、1924年にソ連政府は、極度の資金難のため、これを復活させた。ヨシフ・スターリンは、「白い手袋で社会主義を建設することはできない」と述べ、飲酒への強い反対にもかかわらず、ボリシェヴィキは、ウォッカ販売を継続しなければならぬと示唆した。
以来、ソ連崩壊にいたるまで、国はウォッカ生産をがっちり独占し続けた。1990年代には、民間企業がウォッカ生産を始めるチャンスを掴み、それが今日まで続いている。
しかし、政治家のなかには、ウォッカの低品質と戦い、消費量を減らすために、国の生産管理を復活させるべきだと、しばしば政府への説得を試みる者もいる。



