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変節と変態について

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信州岩波講座というイベントで加藤典洋さんとご一緒した。「変わる世界 私たちはどう生きるか」という総合テーマでの連続講演の第二回目である。

主宰は岩波書店と信州毎日新聞と須坂市。もうずいぶん長いこと続いているイベントとのこと。

加藤典洋さんが「どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ 激動の時代と私たち」というお題で1時間、僕が「帝国化する世界・中世化する世界」で1時間。その後対談と質疑応答。

加藤さんは「どんなことが起こっても『これだけは本当だ』と言い切れる」腹の底にしっかりすわっている身体実感と、「こういうふうに考えるのが正しい」という叡智的な確信の間のは必ず不整合が生じると言う。

それを二階建ての建物に喩えた。身体実感が一階部分、知的確信が二階部分に当たる。

その二つが一致しているように思える時もある。けれども、歴史的与件が変わると、二階部分が現実と齟齬するということが起きる。

例えば、幕末の尊王攘夷運動における薩長と水戸藩の違い。水戸藩はイデオロギー的にはすっきりしているけれど、現実と齟齬していた。薩長はイデオロギー的には支離滅裂だったけれど現実に適応した。結果、現実に適応して「尊王攘夷」から「尊王開国」に「変節」し、「転向」し、「変態」した薩長が政治的勝利を制した。

イデオロギー的に「すっきりしている」ことはその組織や運動が持ちうる現実変成力と相関しない。

これはたいへん重要な指摘だ。

私も「ためらい」とか「引き裂かれてあること」とか「ナカとって」とか、言葉づかいは違うけれど、一貫して「話を簡単にしたせいでことが進まないより、話を複雑にして話が進むなら、その方がいい」という立場である。

それは私が心底イラチだからである。

私は無駄が嫌いである。

世間には勘違いしている人が多いが、「話を簡単にする」ということは「無駄を省く」ということではない。全然、ない。

急がば回れ。Walk don’t run と言う。

ラテン語の古諺にはfestinatio tarda est 「急ぐことは遅れることである」というのもある。

「話を複雑にした方」がほとんどの場合「無駄は省ける」のである。

というのは、話を簡単にして拙速で出した「成果」はだいたい失敗するからである。

後の始末が大変である。まず失敗を認めさせるのに時間がかかる。

「早い話が」というようなことばかり言う徒輩は自分の失敗を認める段になると、こそこそ姿を隠したり、うだうだ言を左右にしたりして異常に「話を遅く」するのである。誰とは言わないが、すぐに思い当たるはずである。すでに失敗しているプロジェクトを停止させるのに時間がかかり、それを適正な仕方で補正するのに時間がかかり、逸失利益を補填するのにさらなる時間がかかる。

私はそれが嫌なのである。

間違っていることが嫌いである以上に、私は無駄が嫌いなのである。

加藤さんは私のように「イラチ」ゆえにではないが、身体実感と叡智的な判断の不整合に苦むことで生まれる「変節」や「変態」を人性の自然ととらえる。

その視点から憲法九条と自衛隊についても論じた。

その所論は加藤さんの書き物を徴してもらうとして、私の私見を少し書き止めておきたい。

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