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前川氏の証言と加戸氏の証言は同じ時間放送しなければならないか?

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 この二つは、一見すると対となる同等の意見のように見えますが、実は「外部から見て行政は適正に行われたように見える。」という加戸氏の証言は「当然の事」を言っており、「内部から見て行政が不適正に行われたように見える。」という前川氏の証言は「当然ではない事」を言っているという大きな違いがあります。

 分かりやすくするためにたとえ話をさせて頂きたいのですが、Aさんという人物が、「米山知事は実は女性である。」という驚愕の情報をメディアに出したとしましょう。これは、誰がどう見ても「当然ではない事」です。この驚愕の情報は、まるっきり何の根拠も無ければ勿論一笑に付されるでしょうが、例えば「たまたま温泉で見かけた時確認した。」とか「密かにサンプリングした口腔粘膜からDNA検査をしたら性染色体がXXであった。」とかと言う信頼できる根拠があるなら、すわ、「経歴詐称ならぬ性別詐称か?」という事で、多少なりともメディアの注目を引くかもしれません。

 一方これに対して、私が記者会見をして「いや私は男です。」と主張し、それを証明する証人としてBさんなる人物を連れてきてBさんが「米山知事の外貌はどう見ても男に見えます。」と言ったらどうでしょう?これは確かに私が男である事を示す一証拠には違いないでしょうが、あまりに当たり前というか、そりゃ何処からどう見ても男に見えるから、今の今まで私が男だという事を誰一人疑ってもみなかったわけで、そんなことは言ういまでもなく、メディアがこの情報をほとんど全く扱わないのは当然でしょう。

 つまり、一見同等の情報のように見えても、世の中には当たり前のことから当たり前でない事まで、ニュースバリューの異なる様々な情報があるのであり、なるべく視聴者の関心のある情報を提供すべきメディアとしては、当たり前のことは扱わず、当たり前でない情報-ニュースバリューが高い情報を扱うのは当然なのです。

 メディア的にではなく弁護士的に事案の解明を目指す裁判の場などでも、いろいろ出てくる証拠をすべて詳細に検討していたら時間がいくらあっても足りません。当たり前の証拠は、双方異論はなく裁判所もそうだろうと思っている以上詳細に検討する必要はさして無いものと整理され、時間をかけて検討されるのは裁判所の事案の判断に影響を与える証拠価値の高い証拠になります。

 加計学園問題においては、行政というのは、適正に行われるのが当然ですし、仮に内部で不適正な事が行われていたとしても、外部から見たら適正に見えるのが通常ですから、加戸氏の、「外部から見て適正に見えた。」という証言は、あまりに当たり前で、メディア的な観点からはニュースバリューが無く、弁護士的観点からも、当然過ぎて証拠価値が乏しいといえます。

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