- 2017年08月15日 09:15
アフリカで大成功!"新興国のアマゾン"へ
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■グーグル副社長が調布の本社を視察に
【田原】ビィ・フォアードはインターネットで世界中に中古車を輸出販売している会社です。日本ではまだあまり認知されてませんが、アフリカでは有名だそうですね。
【山川】ありがたいことにアフリカでは多くの方に知っていただいています。顔もよく知られているので、防犯上、気楽に外を歩けなくなりました。東京ならそんなことないのですが(笑)。
【田原】なんでも、グーグル本社の役員会議で話題になって、副社長が視察に来たとか。グーグルは何に興味を持ったのですか?
【山川】サイトへのアクセス数です。当時月間6000万ページビューあって、その多くは先進国ではなく、アフリカをはじめ西アジアやカリブ諸国など一般的にトラフィックが多い地域ではなかった。それで「なんだ、この会社は?」と不思議に思ったようです。
【田原】僕も知りたい。どうしてアフリカの人がわざわざビィ・フォアードのサイトから中古車を買うんですか。ガンガン広告しているとか?
【山川】いわゆるマス媒体に広告は打っていません。買ってくれたお客さんにビィ・フォアードのTシャツやキャップを配ったり、車のうしろにステッカーを貼り付けるなどのベタなことをやっているだけ。でもそれでお客様がビィ・フォアードをSNSで拡散してくれるようになった。気が付いたら、「友達があなたのところから車を買った」と言って注文してくれる人が増えていました。
【田原】アフリカの人は普通にSNSを使っているんですね。
【山川】向こうで利用されているのは「WhatsApp」というアプリです。固定電話は普及していませんが、携帯のアンテナなら安く立てられます。だからスマホはかなり普及していて、若い人だけでなくおじいさん、おばあさんも持っている。うちのサイトにアクセスしてくるのもほとんどスマホからです。
【田原】そもそもアフリカで日本の中古車が売れるんですか。
【山川】人気です。日本は道路がきれいだから、車が傷みません。しかも、新車志向が強くてすぐ買い替えるから走行距離が短い。日本の乗用車は普通にメンテナンスすれば40 万~50万キロ走りますが、中古車市場に出てくるのはせいぜい10万キロです。それでいて、価格は世界一安い。これも新車志向が強くて供給量が多いからです。質が高くて安いので、輸送コストをかけても売れるんです。
■お客様の入り口にお金と手間をかける
【田原】そんなに売れるならほかの業者もやるでしょう? どうして山川さんの会社だけ繁盛したのですか。
【山川】真面目にやってきたからだと思います。じつは悪質な業者もいて、先にお金を送ってもらったのに商品を発送しないところがけっこうあります。すると、なぜかビィ・フォアードに「助けてくれ」と電話がかかってくる。一応、その業者に電話をかけるくらいのことはしてあげますが、たいていはすでに逃げたあと。で、「連絡つかなかったよ。なんでうちから買わなかったんだ」と(笑)。
画像を見るビィ・フォアード社長 山川博功氏
【田原】真面目に商売していればどこでもビィ・フォアードになれますか。
【山川】どうでしょう。私たちの強みはシステム投資です。まず入り口で、お客様が見るページにはお金と手間をかけています。競合他社は車1台につき写真2枚で、しかも値段は会員登録しないと見られません。一方、私たちは最初からすべて閲覧できて、写真は35枚。国はタンザニア、港はダル・エス・サラームと選択すると、輸送費も含めた値段までわかる。ここまでやっているからご利用いただけるのかと。
【田原】ほかは、どうして値段を公開しないのですか。やればいいのに。
【山川】それまでの中古車ビジネスはBtoB。日本で仕入れて現地の販売業者に売るモデルでした。でも、私たちはBtoCで、サイトを使い安くするのはあたりまえ。BtoBから出発していると、そのあたりの発想ができないのかもしれません。
【田原】BtoCということは、お客さんに車を直接届ける?
【山川】内陸国の場合は、民間業者に頼まずにパートナーと組んで自分たちで運んでいます。車は自走で運ぶので、現地で3600人ほど雇用しています。たくさんのドライバーを雇っているので、タンザニアの副大統領から「雇用を生んでくれてありがとう」と言われました。
【田原】なるほど。それだけ雇っていれば、アフリカで有名になりますね。
■喋りが下手だけど一番売りたかった
【田原】山川さんがいまのお仕事をするまでの話を聞かせてください。学生時代からたくさんアルバイトをしていたそうですね。
【山川】留学するとか何か具体的な目標があったわけではなくて、遊ぶお金が欲しかったんです。地方から出てきて、東京の友達に早く追いつきたいというか……。
【田原】大学を卒業後は日産自動車系の販売会社に入って新人賞を獲得した。営業は得意だったの?
【山川】いやいや。もうおわかりだと思いますが、私、喋ることがものすごく下手なんです。だからほかの人と違うやり方で、どうすれば一番になれるのかということをずっと考えていました。
【田原】山川さんはどうやってナンバーワンになったの?
【山川】お客様が何か一言返してくれるように話を振ることは意識していました。たとえば「車検いつですか」と聞くと警戒されて何も情報をくれませんが、「車検、来月でしたよね?」と言うと「何言ってんだ、違うよ。次の車検は秋だ」と教えてくれます。
画像を見る田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。
【田原】それでトップになれる?
【山川】もちろん一言もらえただけでは商談になりません。でも、ドアを開けてくれた方のところには繰り返し通っていました。お客様は「またかよ」と冷たい反応ですが、そのうちそれが快感になってくるんです。
【田原】嫌がられているのに?
【山川】飛び込み営業は、誰だってやりたがらないわけですよ。もちろん自分も嫌です。でも、みんなが避けていることをやり続けていくと、その先に何かあるんじゃないかと思うようになりまして。だから冷たくされるほど、ワクワクしていたところがありました。
【田原】じゃこの時期はたくさん稼げていましたか。
【山川】はい。ただ、借金も多かったです。学生のころから自動車レースが好きでお金を注ぎ込んでいました。借金は当時で800万円あったかな。新車販売の仕事はクレジットカード会社と仲良くなるので、彼らが貸してくれちゃうんですよ。いや、人のせいにしちゃいけないか(笑)。
【田原】それでどうしました?
【山川】このまま働いていても完済できるのは40代半ば。それは嫌だと思って、佐川急便の下請けの会社に転職しました。その次は宝石業。ここは軍隊みたいな会社で、トイレに行くのにも上長の机まで行って「トイレに行ってまいります」と大声で言わなきゃならない。息が詰まって、ここは半年で辞めてしまいました。そして次が、中古車販売のカーワイズ。ここで初めて中古車ビジネスと出合いました。
【田原】中古車ビシネス、やってみてどうでした?
【山川】カーワイズは中古車の買い取り事業でしたが、最高に楽しかったです。それまでの仕事は、新車販売でも宝石にしろ、こちらから仕掛けていかないと売れなかったし、しかも嫌がられました。でも、買い取りは逆。お客様が必要としてくれます。
【田原】ここは1年半で辞めて独立します。経緯を教えてください。
【山川】私が師匠と呼ぶカーワイズの代表が独立を勧めてくれました。中古車買い取り業界では、力をつけた従業員がお客様ごと持って独立するケースが少なくありません。お客を持っていかれるのは師匠も困るので、先手を打って「独立資金4000万円出すから、もう出ていけ」と。
【田原】なるほど。つまりのれん分けで独立したわけか。
【山川】はい。社名もワイズ山川で、最初はカーワイズ時代と同じ買い取り事業をやっていました。
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