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内部告発者を取り巻く社会環境――スキャンダリズム社会における勇気とは何か

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告発のリスクを減らすことはできるか

内部告発には法的保護が定められてはいるものの、上記のように適切に保護されないケースもある。実際に通報された情報を担当者が誤って当事者に伝えてしまった事例や、告発者が直接担当者と面接しなければならない場合もある。また告発対象が行政機関など国家権力を相手にする場合、告発者の心理的リスクを考えれば、やはり法を頼るだけには限界があると言わざるを得ない。告発にあっては信頼と安心感が必要不可欠であるが、法の存在の周知をはじめとして、社会の告発に対する認識が改められる必要がある。

一方、告発に伴うリスクを減らし、告発内容そのものを世に知らしめるための試みも生じている。代表的なものとしては2006年に誕生したリークサイト「ウィキリークス」がある。ウィキリークスは暗号を利用した情報源秘匿技術によって、告発者が身元を秘匿したまま告発内容をウィキリークスに提供することが可能となり、ウィキリークスが情報を精査した上で内容をホームページに掲載するものだ。ウィキリークスには世界中から多くの情報が集まり、2010年に公開したアメリカ外交公電事件をはじめとして、世界中に大きな影響を与えた。

リークと内部告発は厳密には異なる概念ではあるが、内部告発者の負担を減らしウィキリークスが告発の肩代わりをするという発想は、以後世界の大手メディアや各所で登場したリークサイトにも採用され、ウィキリークス同様暗号を利用した情報源秘匿技術によって、告発のリスク減少が目指されている。こうしたリークサイトでは、世界を揺るがす告発でなくとも、地域や特定の問題に限定したものなど、多彩なリークサイトが登場している。

ただし、告発は世間の関心を呼ぶことではじめて成功するものだとも言える。ウィキリークスは代表のジュリアン・アサンジ(1971〜)が世界中にその存在をアピールしたが、顔を晒すことには一定の意義があることも確かだ。多くのリークサイトは当然のことながら告発者の顔がわからず、アピール力に欠ける、という問題もある。実際多くの人はウィキリークス以外のリークサイトの存在を知らないのではないか。

逆にウィキリークスは、ジュリアン・アサンジというカリスマを伴う強烈な人格的存在が世間へのアピールに成功するも、彼が主導し公表するリーク内容に政治的偏りが指摘されるなど、人称性を全面に押し出すが故の政治的・人格的な問題が生じている。特に2016年の米大統領選をめぐってウィキリークス=アサンジは、当時の大統領候補ヒラリー・クリントンをあからさまに敵視する発言を行い、2016年7月には米民主党全国大会委員会の内部メール数万通などを公開する一方、対立候補のトランプ候補に関するリークはなく、彼に対する言及も多くなかった。

もちろんリークが集まらなければ公開できないのは当然だが、ウィキリークスが政治的な中立性を宣言する一方、あまりの非対称的な情報公開に多くの批判が寄せられた。リーク内容をウィキリークス自身が選択するというスタイルが、人々のウィキリークスの公正さに対する信頼を困難にしている。

ウィキリークスが発明したリークシステムは安全だが、それだけを利用した知名度の低いリークサイトでは、広く世間に問題を広めることは難しい。一方でウィキリークスのようなサイトを利用すれば、政治的恣意性の疑惑が持たれてしまう。こうして告発者は、改めてどのような告発手段を取ればいいのかに悩まされることになる。

告発者の人格ではなく、告発内容に関心を集中せよ

近年最も有名な内部告発は2013年、元CIA(米中央情報局)やNSA(米国家安全保障局)の職員であったエドワード・スノーデン(1983~)が行ったNSAの監視体制に関する暴露であろう。彼は顔を晒して事件を公表し、アメリカ政府の監視実態に対する問題を訴えたこ とで世界中から注目を浴びた。

ここで注目すべきは、彼がプライベートや告発の動機など、多くを語らなかったことにある。それが何か秘密を隠すためではないかと指摘される一方、スノーデンは語ることで報道が自分の人格に集中することを避けたためだと述べている。彼にとって重要なのは、自分のことではなく、アメリカの不正義の内容に集中してもらうことだった。

内部告発は一種のスキャンダルだ。故に人々は告発者の身元や人格について推測し、告発内容の正当性を人格から判断しようとする。それはある程度必要不可欠な要素であり、それ故にスノーデン自身も内容の正当性を訴えるために実名で告発を実行した。

しかし過剰に人格に着目すれば、内容についての議論に注目が及ばなくなってしまう。ここまで告発者が告発によってどのようなリスクを負ったかを述べてきたが、リスクを負いながらも行った告発が議論されず、告発者自身のプライベートな情報に議論が集中してしまう状況は、告発者というより告発を受け取る我々や社会の側に問題があるように思われる(昨今の日本社会をみれば、告発につきまとうスキャンダリズムがあちこちで確認できる。もちろん告発者側がその人格を意図的にアピールするような方法を取ることもある)。

この問題は重大なジレンマを孕んでいる。ある程度の人格が見えなければ告発が世間に注目されない一方、過度な人格への着目は告発内容そのものの議論を停滞させ、加えてスキャンダリズムによって不必要な混乱が生じてしまう。このバランスはメディアやそれを受け取る我々の意識の問題であるとは先ほど述べたが、その背後にはSNSやスマートフォンによって加速するアテンションエコノミー構造(注目する/されることで問題の本質より表面的な事象に人々の意識が奪われてしまうこと)など、現代の情報環境にも問題の一因が認められる。

我々は情報から距離を置いて思考する間を与えられることなく脊髄反射的にニュースに反応させられる、そのような社会を生きている。こうして告発とスキャンダリズムのふしだらな癒着が前景化する日本社会においては、倫理的覚悟をもって語った告発者にこれまで以上のリスクが生じてしまう。

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