■ホリエモンロケット
例のホリエモンロケットは失敗に終わったそうだ(ホリエモンロケット 通信トラブル…太平洋に落下させる)。いろいろな事件でいったん失脚したあと、いろいろ積み重ねて結局失敗の後から言い続けてきた「ロケット」をなんだかんだいって実践するのだから、やはりホリエモンはイノベーターではある。
インタビューを読んでいると、悲観的なメディア論調とは異なり、「次か、次の次」とホリエモンは語っているから、たぶんそうなるんだろう。
僕はホリエモンのことをよく知らないので間違っていたら申し訳ないのだけれど、ホリエモンはソーシャルビジネス的社会貢献(ソーシャルグッド)的事業は目指さず、宇宙を目指す。
ホリエモン世代の中には、ソーシャルグッド・ビジネス(寄付システムの構築等)を実践する有名人もいるのだが、どうやらホリエモンは、ソーシャルというよりはソラ(宇宙)を目指すようだ。
これがカッコいいかどうかはさておき、やはりホリエモンは鼻が利くと僕は思う。
なぜなら、ソーシャルグッドは現在、どうにも権力サイドに立たざるをえない、また「行政の免罪符」として利用される、あるいは「現場」に強い日本社会の中の優良な人材を企業サイドに流れさすのではなく「夢」という美辞麗句で小規模事業所(NPO)に吸収してしまう事態に陥っているのではないかと、僕は危惧している。
つまり、社会貢献というリベラル(ソーシャルセクター/NPO)は、いつの間にか、
1.従来権力の傍流、
2.根本問題に手を付けにくい行政の免罪符、
3.優秀な人材をイノベーティブな企業に持って行かせないダム機能
に陥っているのではないか、という危惧だ。
■従来権力の傍流
当欄は娯楽欄でただのネットコラムであり、またポリティカル・コレクトネスが蔓延するネット時代になった以降、気軽に誰かを批判したり皮肉ったりできない(普通に名誉毀損として訴えられる可能性が拡大した)時代に残念ながらなってしまったので、個人名は出さない。
また、個人名はあえて出さないほうが、問題を一般問題として抽象化できるため、社会全体の問題を考える時は便利だ。
だから、上の1~3を少し掘り下げて考えていく以降も、個人名は出さないのでご理解くださいね。
社会貢献(ソーシャルグッド)勢力がなぜ権力サイドに立つのかということだが、これは「アドボカシー」(社会問題の当事者の代弁とその問題への投資の促し)というソーシャルセクター(NPOな人々)がもつ機能と連結する。
つまり、利用者の利益に立った事業を誘導する時、どうしても与党サイドに立ったほうが有利だということだ。日本の野党は理想主義+与党化しないこと(批判勢力であり続ける)ことがそのアイデンティティなので、クライエントの実利を求めるソーシャルセクターからすると、実に頼りない。
だから、どうしても与党サイド(あるいは行政実務者である高級官僚)の側に立つ。ただし、その「魂」は決して「権力」(マイノリティを結果として排除するシステム)ではなく「弱い人たち」の側にあるので、ややこしい。
アドボカシーの行動面においては権力/与党サイドに立ちつつ、その発信面においてはマイノリティ・サイドに立つ。
マイノリティの利益の最優先のために、与党のもつカネを利用する。これは、ソーシャルセクター側からすると、まさに「利用している」という上から目線議論なのだろうが、第三者や当事者から見ると、たいへんわかりにくい。