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石川健治教授の「ウグイスの巣」としての「抵抗の憲法学」

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 前回のブログで、自衛権を正当防衛のように理解する「国内的類推」の陥穽についてふれた。 http://agora-web.jp/archives/2027289.html そこで思い出すのは、石川 健治・東京大学法学研究科教授である。石川教授は、最も年次が上の現役の東大の憲法学担当教員であり、2014年安保法制の閣議決定以降、メディアに頻繁に登場する、「立憲デモクラシーの会」(石川教授の師匠である樋口陽一・東京大学名誉教授が代表)の指導者でもある。

 その石川教授は、集団的自衛権は違憲だと主張しながら、国連憲章を否定する議論を披露した。石川教授は、国連憲章を「戦争中の『連合国』の末裔」だと断じただけではない。集団的自衛権を定めた憲章51条を、「同盟政策の末裔であり、本来の(個別的)自衛権とは論理構造を全く異にする異物です」と強調した(「集団的自衛権というホトトギスの卵」『世界』2015年8月その他)。

 そして、「同盟政策を否定する日本国憲法9条の解釈にもちこもうとしたとき、再び集団的自衛権の異物性があらわになった。・・・それが国際法の常識に反するという見方もあるようですが、むしろ国際法上の自衛権概念の方が異物を抱えているのであって、それが日本国憲法に照らして炙りだされた、というだけ」(「憲法インタビュー安全保障法制の問題点を聞く」『Ichiben Bulletin』2015年11月1日)、と主張し、憲法9条を審査基準にして、国連憲章を清廉化する作業が必要であると述べた。

 国連憲章は邪なものであり、特に51条は邪だという。それでは国際法学者や国際政治学者も、邪な者たちだろう。否、それどころか、憲章を信じている世界中の諸国、外交官、学者、数十億人もの人たちは、邪な者たちとならざるをえない。邪ではないのは、国連憲章を否定して護憲主義を掲げる日本の憲法学者に付き従う少数の者たちだけだ。「ガラパゴス」「抵抗の憲法学」の本領発揮の瞬間だ。

 このような石川教授の議論を支えているのは、どのような理論だろうか。「国内的類推(domestic analogy)」と呼ぶべきものである。

 個別的自衛権が真正なもので、集団的自衛権はそうではない、という発想は、国内の刑法における正当防衛などを「真正」とみなし、それを審査基準にして国際法の「真正」さの程度を見極めてやろう、という偏見の産物だろう。事実、石川教授の論考を丁寧に読むと、国際法が「国家の基本権保護義務論」の世界であると決めつけている記述などを発見することができる。「国際法が等閑視した『私人』」の間の「人権保護」は、「憲法の国際化」でなければ行えないかのように論じている(「『国際憲法』再論」『ジュリスト』2009年10月15日)。確かに、国内刑法であれば、「集団的正当防衛」の規定はない。だが、国内刑法とは違っていると、それは国際法においても「異物」になってしまうのだろうか。

 すでに20世紀半ばに、田岡良一・京都大学教授(国際法)が、東大で国際法を講じていた立作太郎らに行った古典的な批判が思い出される。まして21世紀の今日では、国際人権法・国際人道法や安全保障関連の国際法規範の飛躍的な発展が果たされている。しかし「国内的類推」の発想を振りかざし、憲章51条は「異物」だと主張し、大胆にも国連憲章を軽蔑する運動を展開しようとしたのが、石川教授である。

 石川教授のこのような態度を裏付けているのは、何なのだろうか。石川教授には、単著が、『自由と特権の距離──カール・シュミット「制度体保障」論・再考』一つだけしかない。この唯一の単著は、憲法20条その他の問題に関わるとしても、基本的には、一風変わったシュミット論である。憲法学者の場合、博士論文を書いていない方がほとんどで、石川教授もそうである。つまり長文の日本国憲法論の業績がない。したがって石川教授の日本国憲法観は、実は、よくわからない。

 そこで石川教授の憲法学を理解するためには、石川教授はシュミット(20世紀前半ドイツの法政治思想家の巨匠)に造詣が深い人物だ(加えて戦前の日本の憲法学者の学説史に詳しい人物だ)という点を踏まえた上で、雑誌・共著寄稿文などを読み解くことが、必須である。

 たとえば石川教授は、テレビ等のメディアで、2014-15年の安保法制導入時の安倍政権の行動を、「法の破砕」としての「クーデタ」だと呼び、有名になった。「法の破砕(Rechtsbruch)」とは、いかにももったいぶった表現だが、もともとはケルゼンやシュミットと格闘した20世紀前半の法学者たちが多用した語だ。戦前の京城(現在のソウル)帝国大学の法哲学者であった尾高朝雄や清宮四郎が、典型例である。

 「法の破砕」は、ワイマール憲法48条の大統領緊急命令、後にナチスの1933年全権委任法に関して、用いられた。特にナチス政府が憲法に違反する立法を行う権限を得たのは、まさに「法の破砕」の事態であった。それは、緩やかには慣習の進展などによっても発生する。最も劇的な場合、革命となる。石川教授によれば、日本国憲法の存立基盤を提供する宮沢俊義の「八月革命」説は、「『法の破砕』としての革命」を意識したものだった(石川「八月革命・七〇年後」『法律時報』、2015年6月)。「抵抗の憲法学」が、伝統的に日本国憲法の誕生の「法理」と呼んできたものも、「法の破砕」であった。

 石川教授は、1925年の普通選挙法の導入が、京城帝国大学にいた清宮四郎にとって「法の破砕」であったことを紹介する。1919年衆議院議員選挙法の10年不更生規定に違反すると考えられたからであった。もっとも普通選挙法は「クーデタ」ではないようだ。

 安倍政権批判につなげるために、石川教授は、国家の自己制限も法規範性があるので、「政府解釈の変更は違法であり」「法の破砕」であり「クーデタ」だというところまで議論を展開させていた。政府答弁が法規範性を持つ自己制限に該当する、と断定するだけではない。石川教授は、日本政府は「今後とも集団的自衛権の行使を禁ず」と定めたことがある(!)、とも主張する。そしてそれは「上位段階の規範」となり、「後法優位の原則」すら働かない状態が起こったのだ(!)、とも主張する。だから安倍政権の「法の破砕」は「クーデタ」なのだ、というのである。石川教授によれば、この議論は、100年近く前の清宮四郎(樋口陽一の師匠)やフェリックス・ショムローによって証明されるという(石川「窮極の旅」石川健治(編)『学問/政治/憲法』所収)。

 「クーデタ」とは、非合法な手段で国家機構に攻撃を加え、権力を奪う行為を指す。安倍首相は、いったいどの国家機構に攻撃を加えたのか?内閣法制局及びそれを支える法律家集団である。内閣法制局の官僚や東大法学部の法学者が握っていた国家権力を、安倍首相がクーデタで奪った。許してはならない。というわけである。果たして今日の憲法学者は皆、本当に学術的に、このような石川教授の主張についていく覚悟を定めているのだろうか?

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