- 2017年07月29日 11:47
エマ・ワトソン演説と「弱者男性」問題について
1/21. エマ・ワトソン論争の概観
3年前に女優のエマ・ワトソン氏が国連でしたフェミニズムに関するスピーチの話題が、なぜか今さらネット上で再燃しているようだ。
ワトソン氏はこのスピーチの中でいろいろなことを話しているが、今話題になっているのは、
男性もジェンダー・ステレオタイプから自由になってよい(あるいは、なるべきだ)」と主張している部分。
ワトソン氏は、
「弱いと思われるのが嫌だから」と言って、男性は心が弱っているのに助けを求めようとしません。その結果、イギリスの20歳から49歳の男性は、交通事故、ガン、心臓疾患よりも自殺によって命を落とす方が圧倒的に多いのです。「男性とはこうあるべきである」「仕事で成功しなければ男じゃない」という社会の考え方が浸透している為に、自信を無くしている男性がとても多くいるのです。つまり、男性も女性と同じようにジェンダー・ステレオタイプによって苦しんでいるのです。男性がジェンダー・ステレオタイプに囚われていることについては、あまり話されることがありません。しかし、男性は確実に「男性とはこうであるべきだ」というステレオタイプに囚われています。彼らがそこから自由になれば、自然と女性も性のステレオタイプから自由になることが出来るのです。男性が「男とは攻撃的・アグレッシブであるべきだ」という考え方から自由になれば、女性は比例して男性に従う必要性を感じなくなるでしょう。男性が、「男とはリードし、物事をコントロールするべきだ」という考え方から自由になれば、女性は比例して誰かにリードしてもらう、物事をコントロールしてもらう必要性を感じなくなるでしょう。
とか、
男性も女性も繊細であって良いのです。男性も女性も強くあって良いのです。
とか述べている。
この主張に対して、
しかしエマ・ワトソンの歴代交際相手は男らしい成功者ばかりではないか。女がそういう男を選ぶ以上、男がジェンダー・ステレオタイプから自由になれるはずがないではないか。ワトソンは矛盾している。
などと批判するネット民が大勢現れた。
これに対しての反論も多数出て、論争状態となっている。
私の専門とは無関係の話題ではあるが、この論争について少々考えてみた。
2. エマ・ワトソンの主張は矛盾はしていないが救済にはなりにくい
ワトソン氏の主張について「矛盾」という強い言葉を使って批判する意見が多く見られるが、同氏の主張に論理矛盾は見当たらない。
ワトソン氏の立場からは、そもそも、「(ワトソン氏のような若く美しい)女性に選ばれなければ救われない」という批判者のよって立つ前提そのものが、ジェンダー・ステレオタイプの一つだということになるはずだからだ。
ワトソン氏の主張は、男がナヨナヨしていて弱くても、女をリードし物事をコントロールすることができなくても、モテなくても、そのことによって人としての価値を否定されるべきではないということであろう。この主張は、弱い男が弱いままで女にモテることがないとしても、なんの支障もなく成立する。
だから論理的には、「エマ・ワトソンは矛盾している」との批判はあたらないだろう。論理的には。
しかし、実際上このような主張が、いわゆる「弱者男性」を本当に救うかというと、その点は疑問だ。
ワトソン氏の主張を「男はモテるほど価値がある」というジェンダー・ステレオタイプに適用すると、同氏の主張は
モテなくても気にするな。気にしないようにすれば、解放されて楽になる
となる。
たしかにそうできれば楽になるかもしれないが、「うるさい。そんなことができれば苦労はしないよ」
と思う人が多いのではないだろうか。
貧しい人に「貧しくてもよいではないか」と説く「清貧の思想」というのがあるが、これは貧困や社会的格差を正当化する主張だとして強く批判されることが多い。
ワトソン氏の主張も、モテたいのにモテない男から見たら、金持ちから清貧の思想を説かれているように映るだろう。
ワトソン氏の主張に反発する男性が少なからずいたのは、少なくとも心情的には理解できる。