ならば当事者達は、この事態にどのように対応すべきなのであろうか。ここで言う”当事者”とは、単に東京電力だけを指すわけではない。経済産業省、資源エネルギー庁、原子力安全・保安院、原子力委員会、原子力安全委員会、文部科学省……、そして官邸、これまで原子力政策を推進してきた与野党の国会議員などなど、だらだらと書き連ねてしまったが、いずれも直接的な当事者達であることは間違いない。此の期に及んで知らん顔を決め込むことは絶対に許されるものではないし、決して東電だけが当事者というわけではない。
筆者の理解するところでは、この種の事態が発生した際には、以下に示す3つのステップを順番に、そして確実に実現することが必要だ。
(1)事態のさらなる悪化を食い止め、スピーディーに収束させる。
(2)責任の所在を明確にし、適切な責任を負わせる。
(3)再発防止策を講じる。
そして加えてもう一つ極めて重要なポイントがある。それぞれのステップにおいて、新たに判明した情報に関しては、即時に、そして全面的に開示するということだ。
こうした手順は、事態を発生させた”当事者”の信頼性の回復という点に主眼を置いたもので、リスクコントロールという意味では、いろはのいと言えるものだ。
さて、今回の原発事故に関して”当事者”達は、適切に対応したと言えるだろうか。その点については今さら言うまでもない話だろう。
そもそも事故発生から約2ヶ月が過ぎようとしているにもかかわらず、事態はいまだ(1)のレベルにとどまっているのである。ここ最近はマスコミ報道など、原発事故について発信される情報量が減少しているため、一見すると事態は収束に向かいつつあるかのような印象を与える。しかしその実態は、明らかにアンコントラブルな状況にあることは間違いない。加えて、いつそうした危機的状況から脱するのか、その見通しすら立っていないのが実情だ。さらには情報開示という点でも、まったく不充分な状況にある。
いずれにしても東電が当事者能力を完全に喪失していることは誰の目にも明らかだろう。加えて菅官邸も同様の状況にあることも、(1)のレベルをクリアすることができない以上、またそれも明らかだ。
だとしたならば、ここは早急に体制を一新する、具体的には最も責任の重い当事者である首相を交代する必要があると言えよう。誰がやっても一緒、というのは単なる言い訳だ。福島第一原発の事故を収束させることができないということは、いつまでも国民の生命、財産が脅かされ続けていることを意味する。
そうした事態に歯止めをかけることのできない菅首相は、はっきり言って首相失格、いや政治家としても失格なのである。
・須田慎一郎の政経コンフィデンシャル-livedoorネットマガジン