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- 2010年12月03日 12:00
メディアの未来像を考える〜進化するネットメディア 変化するマスメディア〜
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(左から)田原総一朗氏、蜷川真夫氏。 撮影:野原誠治 写真一覧
「テレビはいい加減なメディアだった」
大谷:今回集まった皆さんは、そもそもなぜメディアに携わろうと思われたのでしょうか。そして、メディアが変わり始めたのはいつ頃なのか、その辺りからお聞かせ下さい。
池田信夫氏(以下、池田):僕は1993年までNHKに勤務していて、『クローズアップ現代』が立ち上がった時の初代デスクでしたが、NHKは僕が辞めた頃から、ある意味、良くも悪くもほとんど変わっていないんです。この17年間は海老沢勝二会長の時代でした。あの人はテレビを知らない人で、"何もやらない"と決めていましたからね。
本当はテレビにも変われるチャンスがあったはずですが、インターネットが出て来た時も乗り遅れてしまった。NHKに関しても、地デジを辞めた方がいいと幹部に言ったけれど、分かってもらえなかった。結局、NHKオンデマンドも中途半端な形でスタートしましたし、インターネットへの対応も後手後手にまわってしまった印象です。一方でNHKがお手本にしているBBCは凄いですよね。『iPlayer』は、1000万の利用者がいる欧州で最も人気のあるサイトになっている。
BBCのマーク・トンプソン会長が、NHKの理事会に招かれた時、「BBCはもう放送局ではない。BBCはウェブ、テレビ、ラジオ、iPlayerなど4つのチャンネルに対して同じ情報を配信している。どのチャンネルを利用したとしても、BBCはライセンス料(受信料)を課金できている。カスタマーがチャネルを選ぶ時代だ」と言ったそうです。でも、NHKの理事の皆さんはポカーンとしていた。このように海外と日本では非常に大きな差がついてしまった。このギャップを埋めるのは容易ではありません。今日は大先輩の田原さんもいらっしゃいますし、その辺りのお話をできたらと思っています。
大谷:ありがとうございます。田原さんは最初、テレビ東京のディレクターとしてキャリアをスタートなさっていますね。
田原総一朗氏(以下田原):私が東京12チャンネル(現テレビ東京)に入ったのは、東京オリンピックの前年(1963年)、つまり開局直前でした。それまで勤めていた岩波映画からテレビに移ったのは、テレビがいい加減なメディアだったからです。岩波に在籍していた当時、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)から、ある番組の構成を頼まれたんです。当時の若い女性ディレクターが幼稚園に関する30分番組をやりたいと。私が思いつくまま企画を話すと、「それで行きましょう!」となった。その後も何度もやりとりがあると思って、「台本はいつまでに書きますか?」と聞いたら、「今晩中に」だって(笑)。台本を渡した後、やり取りをしながら直していくのかと思ったら、「明後日が本番です」と。こんないい加減な世界なのか、これは魅力的だと思ったんです。
岩波映画では企画を立てると、10から20回の企画会議があります。映画とテレビはスピードが違う。テレビはいい加減に喋ったことが、二日後に本番になるという。この世界なら、なんでも好きなことがやれる。その通りでしたよ。何でもできましたから。なぜなら誰もテレビを知らなかったんです。
今、テレビが駄目になってしまったのは、管理主義が台頭しているからです。部長、局長、役員がテレビを知ってしまった。彼らは「テレビとは……!」なんて言っています。そして、もうひとつ問題はどの局にもコンプライアンス部があること。文句を言う所なんです。「こんなことはやるな」、「今日の番組のこれは駄目」と。こんなことが朝日新聞にはありませんでしたか?



