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- 2011年03月25日 10:00
【赤木智弘の眼光紙背】見ている方だって苦しいんだ
東関東大震災が発生してから、ほぼ2週間。いまだ混乱が続く中、各地でイベントなどの開催を延期、または中止など、自粛するムードがあるようだ。
徳島県では、20日に開催される予定だった「とくしまマラソン」に対し、読売新聞が開催の自粛を求める記事を出している(*1)。これをうけた形か、偶然かは分からないが、記事が出た同日にとくしまマラソンの開催延期が発表されている(*2)。
また、先日までカンニング問題で揺れていた京都大学も、学生に対し、学校の伝統行事となっているコスプレでの卒業式出席の自粛を求める通達を出している(*3)。
関東圏ではセ・リーグが開幕戦のナイター開催を強行するとしたことが問題になった。これに対する批判は、計画停電が行われる東京電力管内で、まさに電力消費のピークとなる時間帯に行おうとするのだから、当然であるといえよう。
しかし、電力会社も違い、東日本から遠く離れた徳島のマラソンや、京都大学の卒業式にまで自粛ムードが漂うというのは、何か納得がいかない。
中止の理由としては、やはり「被災した人たちに対する配慮」ということになるのだろう。確かに、今回の地震や津波、そしてそれに伴う原発事故や計画停電など、大なり小なり直接的に被害を受けているのは、東日本の人たちであり、西日本の人たちは引け目を感じているのかも知れない。
しかし、西日本の人たちもマスメディアを通して災害の映像を、それこそ毎日受け取っている。私も東京に住んでいるが、被害規模でいえばほとんど無いに等しいのだから、西日本の人たちと同じく、メディアを通して災害のイメージを一方的に受け取っている。
そうした、直接的な被害を受けていない人たちにとって、震災は完全に人ごとでしかなく、何のダメージも受けていないのだろうか?
いや、そうではあるまい。
私は地震があった直後のテレビの生中継を見ていた。津波が上陸し、どんどん樹木や建物をなぎ倒す風景、そしてその向う先で逃げ惑う車の姿を見ていた。カメラはうまくかわしていたが、カメラが向かない先では、人の乗った車が次々と津波に飲み込まれて行ったのだろう、そうした残酷な光景を見ていた。今まさに多くの人たちの命が失われて行った瞬間を、カメラに写るわずか少し横から見ていた。
多くの人の命がその一瞬一瞬で、確実に失われ続ける映像を見て、ダメージを受けない人がいるとは思えない。
自分の知らない場所とはいえ、車が流され、家が流され、人間の住んでいた町ががれきの山に変貌していく震災という現実を見て、ストレスを溜めない人がいるとは思えない。
少なくとも俺は苦しいんだ。
震災の地から遠く離れた人だって、この震災によってダメージを受けている。そうしたダメージを政府や東京電力に対する苛立ちとして、一時的に外に向けることはできても、いつかは自分に跳ね返ってくる。
被災地の人がストレスを抱えているのはもちろんだし、震災映像をテレビで見た子どもがPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えかねないから、あまり震災映像を見せるべきではないという話もよく聞く。
しかし、直接震災被害を受けていない被害とは無関係の大人たちも、「現地の人たちは大変だから」とか、子どもの方がダメージを受けているからと、他人を思いやるが故に、自らの受けている心の傷を、吐き出しづらい状況にあるのではないか。
普段であれば気晴らしになるネットも、Twitterでも2ちゃんねるでもBlogでも、みんな震災の雑談ばかりで、心休まる場所は少ない。こうした状況だからこそ、マラソンなどのマス的なイベントや、卒業式という一生の記憶に残るような、さまざまなイベントが必要とされているはずだ。
遠く離れた震災地の気持ちを汲もうとして、無理にイベント類を中止するより、近くの人たちが受けた心の傷を和らげるためにこそ、イベントという場は率先して供されるべきではないだろうか。
この記事を書いている最中に、今年の夏に行われるはずだった東京湾大華火祭の中止が発表された。(*4)
これまで以上に厳しい計画停電が実施され、クーラーを使うことすらままならないであろう夏に、一服の清涼剤になるはずの花火大会が中止になるというのは、なんとも寂しいものである。
もし、今回の震災が2、3ヶ月で復旧するものであれば、一時的に我慢を重ねることもできるだろう。しかし今回は被災規模は大きく、復興がままならないことは容易に想像できる。また、首都圏における計画停電は、4月に入れば電力需要の低下から一時中断される見込みだが、電力需要が跳ね上がる夏にはもっと厳しく実施されることが確定しているし、冬にも電力供給が十分でないことが予想されている。こうして、大なり小なり私たちはこの震災に何年間も付き合い続けなければならない。その間ずっと震災地域の人の心情を慮り続け、楽しいことを我慢し続けるのは不可能といっていい。
ところどころでうまく力を抜いて震災と付き合っていくためにも、こうしたイベントは必要とされている。自粛ムードが蔓延し、息苦しさを当然とするような風潮は、極力避けるべきだろう。
*1:被災者の心の傷忘れずに(読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokushima/news/20110315-OYT8T00926.htm
*2:とくしまマラソン2011延期のお知らせ(とくしまマラソン実行委員会)http://www.tokuspo.net/tokuma/news.html?id=13002568184144
*3:京大卒業式「伝統のコスプレ」禁止 大震災で自粛、と学生に通達(J-CASTニュース)http://www.j-cast.com/2011/03/18090877.html
*4:第24回「東京湾大華火祭」の中止について(中央区)http://www.city.chuo.lg.jp/kurasi/komyunitei/hanabi24/index.html
徳島県では、20日に開催される予定だった「とくしまマラソン」に対し、読売新聞が開催の自粛を求める記事を出している(*1)。これをうけた形か、偶然かは分からないが、記事が出た同日にとくしまマラソンの開催延期が発表されている(*2)。
また、先日までカンニング問題で揺れていた京都大学も、学生に対し、学校の伝統行事となっているコスプレでの卒業式出席の自粛を求める通達を出している(*3)。
関東圏ではセ・リーグが開幕戦のナイター開催を強行するとしたことが問題になった。これに対する批判は、計画停電が行われる東京電力管内で、まさに電力消費のピークとなる時間帯に行おうとするのだから、当然であるといえよう。
しかし、電力会社も違い、東日本から遠く離れた徳島のマラソンや、京都大学の卒業式にまで自粛ムードが漂うというのは、何か納得がいかない。
中止の理由としては、やはり「被災した人たちに対する配慮」ということになるのだろう。確かに、今回の地震や津波、そしてそれに伴う原発事故や計画停電など、大なり小なり直接的に被害を受けているのは、東日本の人たちであり、西日本の人たちは引け目を感じているのかも知れない。
しかし、西日本の人たちもマスメディアを通して災害の映像を、それこそ毎日受け取っている。私も東京に住んでいるが、被害規模でいえばほとんど無いに等しいのだから、西日本の人たちと同じく、メディアを通して災害のイメージを一方的に受け取っている。
そうした、直接的な被害を受けていない人たちにとって、震災は完全に人ごとでしかなく、何のダメージも受けていないのだろうか?
いや、そうではあるまい。
私は地震があった直後のテレビの生中継を見ていた。津波が上陸し、どんどん樹木や建物をなぎ倒す風景、そしてその向う先で逃げ惑う車の姿を見ていた。カメラはうまくかわしていたが、カメラが向かない先では、人の乗った車が次々と津波に飲み込まれて行ったのだろう、そうした残酷な光景を見ていた。今まさに多くの人たちの命が失われて行った瞬間を、カメラに写るわずか少し横から見ていた。
多くの人の命がその一瞬一瞬で、確実に失われ続ける映像を見て、ダメージを受けない人がいるとは思えない。
自分の知らない場所とはいえ、車が流され、家が流され、人間の住んでいた町ががれきの山に変貌していく震災という現実を見て、ストレスを溜めない人がいるとは思えない。
少なくとも俺は苦しいんだ。
震災の地から遠く離れた人だって、この震災によってダメージを受けている。そうしたダメージを政府や東京電力に対する苛立ちとして、一時的に外に向けることはできても、いつかは自分に跳ね返ってくる。
被災地の人がストレスを抱えているのはもちろんだし、震災映像をテレビで見た子どもがPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えかねないから、あまり震災映像を見せるべきではないという話もよく聞く。
しかし、直接震災被害を受けていない被害とは無関係の大人たちも、「現地の人たちは大変だから」とか、子どもの方がダメージを受けているからと、他人を思いやるが故に、自らの受けている心の傷を、吐き出しづらい状況にあるのではないか。
普段であれば気晴らしになるネットも、Twitterでも2ちゃんねるでもBlogでも、みんな震災の雑談ばかりで、心休まる場所は少ない。こうした状況だからこそ、マラソンなどのマス的なイベントや、卒業式という一生の記憶に残るような、さまざまなイベントが必要とされているはずだ。
遠く離れた震災地の気持ちを汲もうとして、無理にイベント類を中止するより、近くの人たちが受けた心の傷を和らげるためにこそ、イベントという場は率先して供されるべきではないだろうか。
この記事を書いている最中に、今年の夏に行われるはずだった東京湾大華火祭の中止が発表された。(*4)
これまで以上に厳しい計画停電が実施され、クーラーを使うことすらままならないであろう夏に、一服の清涼剤になるはずの花火大会が中止になるというのは、なんとも寂しいものである。
もし、今回の震災が2、3ヶ月で復旧するものであれば、一時的に我慢を重ねることもできるだろう。しかし今回は被災規模は大きく、復興がままならないことは容易に想像できる。また、首都圏における計画停電は、4月に入れば電力需要の低下から一時中断される見込みだが、電力需要が跳ね上がる夏にはもっと厳しく実施されることが確定しているし、冬にも電力供給が十分でないことが予想されている。こうして、大なり小なり私たちはこの震災に何年間も付き合い続けなければならない。その間ずっと震災地域の人の心情を慮り続け、楽しいことを我慢し続けるのは不可能といっていい。
ところどころでうまく力を抜いて震災と付き合っていくためにも、こうしたイベントは必要とされている。自粛ムードが蔓延し、息苦しさを当然とするような風潮は、極力避けるべきだろう。
*1:被災者の心の傷忘れずに(読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokushima/news/20110315-OYT8T00926.htm
*2:とくしまマラソン2011延期のお知らせ(とくしまマラソン実行委員会)http://www.tokuspo.net/tokuma/news.html?id=13002568184144
*3:京大卒業式「伝統のコスプレ」禁止 大震災で自粛、と学生に通達(J-CASTニュース)http://www.j-cast.com/2011/03/18090877.html
*4:第24回「東京湾大華火祭」の中止について(中央区)http://www.city.chuo.lg.jp/kurasi/komyunitei/hanabi24/index.html



