記事

英・EU 交渉は外交・ビジネスの参考書になる

vol.402 12 July 2017
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

イギリスの欧州連合(EU)離脱を巡る交渉がいよいよ始まった。6月19日、ブリュッセルで行われた初会合には、英側からデービスEU離脱相、EU側からバルニエ首席交渉官が出席した。初会合の後、デービス離脱相は「先行きの良いスタートが切れた。建設的な協議をしたい」と語り、バルニエ交渉官も「どのような形で終わるのかが重要で、公平な合意は可能だ」と語っている。

注目の第1ラウンドはたった1日、静かな幕開けだったが、本論に入れば丁々発止の駆け引きが展開されることは必至だ。英とEUの思惑を背負って、火花を散らす両代表はどんな人物なのか。デービス離脱相(68)は、ウェールズ選出のベテラン下院議員。これまで2度、保守党党首選に立候補している。欧州交渉担当相などを務め、粘り強い交渉力が評価されている。

一方のバルニエ交渉官(65)もフランスの政治家で、農業・食料・漁業相や外相を歴任、欧州委員会でも副委員長を務めた。ユンケル現委員長に敗れたが、2014年のEU委員長選に中道左派「欧州人民党同党」の党候補選に出馬している。農相、外相などの経験から、欧州全域の利害関係に精通する政治家とされる。

離脱交渉期間は、通知から原則2年。イギリスは今年3月に正式に離脱通知をしているので、交渉期限は2019年3月末までとなる。それまでの2年弱、ドーバー海峡を挟んで両者の興衰をかけた熾烈な交渉が行われるだろう。

決着については、EU単一市場から完全撤退する強硬離脱(ハードブレグジット)、EU単一市場との関係を残す穏健離脱(ソフトブレグジット)、さらには合意を見ないままに時間切れ、などいろいろな予測がある。だが、交渉が始まったばかりの段階で、無責任な予測をしても意味がない。私が今回の英とEUの交渉で一番興味を持っているのは、どんなロジック、技巧を使って自陣に有利な結論を導き出すのかという交渉の手練だ。

ヨーロッパは、多種の民族が存在しているが、ローマ帝国の文化、キリスト教の倫理を根底で共有しており、欧州以外の地域に対しては、数世紀にわたって経済、軍事面で比較優位を維持してきた国々でもある。

その一方で、域内ではイギリス、フランス、ドイツ(プロシア)、オーストリア(ハプスブルグ君主国)、スペインなどの大国を軸にした争いが絶えず、和平交渉を繰り返してきた地域でもある。

前近代の欧州秩序(ウェストファリア体制)を構築した宗教戦争後の講和会議、ナポレオン戦争後の欧州を再建したウィーン会議など、西洋史の専門家でなくても多くの日本人が欧州で開かれた歴史的な国際会議の名を知っている。

16世紀の英・ヘンリー8世とローマ教皇庁との対立、フランス領内にあった英国領を巡って、間欠的に100年も戦いを続けた英仏戦争など、英国と欧州本土の争いも学校の授業などで学んだ歴史の一つだ。多少の誇張を加えれば、欧州は4世紀末から6世紀末にかけての民族大移動以来、絶え間なく争いを繰り返してきた地域だ。こうした苦い経験の中で、巧みな交渉術を身に付けてきた。

手にした老獪な交渉術は、アジア、アフリカ、中近東、中南米など欧州域外国との外交交渉で威力を発揮、自分たちに有利な条約、取決めを数多獲得した。フサイン・マクマホン協定、天津条約、北京条約、日英和親条約、日仏和親条約、イギリスやオランダの東インド会社など、欧州各国が域外国と締結した不平等条約、取極めを数え出したらきりがない。

19世紀のアイルランドの作家、オスカー・ワイルドは、自作の「ドリアン・グレイの肖像」の中で、登場人物の一人、ヘンリー・ウォットン卿に「外交官とは外国に使いして、お国のために虚偽の言葉を語らなければならない、誠実な人たち」と語らせている。逆説家でも知られるワイルドだが、当時の欧州社会では正論と言っても良い考え方だったのだろう。

さて、交渉巧者同士のこれまでの腹のさぐり合いは、どうなっているのか。交渉の鉄則である足元固めを狙って英国が6月8日に行った総選挙は、メイ首相の狙いが外れ、与党保守党が過半数割れという敗北を喫した。北アイルランドの地域政党「民主統一党」と連立を組んで、何とか新内閣を発足させたが、足元の緩みは離脱交渉の不安材料になっている。

一方、欧州側はマクロン氏がフランス大統領選に勝ち、6月の国民議会選挙でもマクロン新党「共和国前進」が圧勝した。ドイツも5月の地方選で、メルケル首相の「キリスト教保守系民主同盟(CDU)」が勝利して足場を固めている。

19日のブリュッセルでの第1ラウンドで、英国が求めていた離脱条件と自由貿易協定(FTA)の並行協議が先送りされるなど、序盤戦はEU有利の形勢だ。

交渉難航の予測からか、英経済に陰りが見え日本の金融機関の中に英以外の拠点新設の動きが出るなど、現在はイギリスに逆風が吹いている。だが、外交力で史上最大の帝国を築き上げたジョンブルの後裔者たちだ。おいそれと引き下がるとは思えない。これからどんな手段で巻き返してくるのか、楽しみでもある。

世界が一体化した現代、われわれも極東から高みの見物とはいかないが、今後の成り行きを、外交、ビジネスなどの交渉の参考としたい。かつて苦汁を舐めさせられたアジアやアフリカの国々にも、同じ思いの人が多いのではないだろうか。

あわせて読みたい

「EU」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    埼玉県でマスク30万枚が野ざらし

    SmartFLASH

  2. 2

    中韓が日本産盗む?対立煽る報道

    松岡久蔵

  3. 3

    安倍首相の暴走許す自民党は末期

    田原総一朗

  4. 4

    ひろゆき氏 五輪の開催は難しい

    西村博之/ひろゆき

  5. 5

    新型コロナで公共工事中止は愚策

    近藤駿介

  6. 6

    権限ない休校要請 保護者は困惑

    BLOGOS しらべる部

  7. 7

    在宅勤務に賛成して休校否定の謎

    やまもといちろう

  8. 8

    政府の無策が招く東京五輪中止

    渡邉裕二

  9. 9

    石破氏 船内対応巡る発言を反省

    石破茂

  10. 10

    マラソン決行 主催の説明に呆れ

    WEDGE Infinity

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。