- 2017年07月10日 20:21
中国に政治的に翻弄されつつも、なお強かな経済都市・香港 - 武田信晃
2/27月1日を前に金紫荊広場を占拠
画像を見る
劉暁波氏を外国で治療させるため開放を要求(写真・武田信晃)
6月29日から7月1日までの習近平国家主席の来港に合わせ、黄之鋒らは他の民主活動家と一緒に、湾仔(ワンチャイ)地区にある金紫荊広場(ゴールデン・バウヒニア広場)を占拠した。観光地として有名な広場の中心には、返還を記念して中国が香港に贈った植物で、香港の花であるバウヒニアを模った黄金のモニュメントがある。そこに「(ノーベル平和賞受賞者で、服役中に末期がんと診断された中国の民主活動家である)劉暁波氏を無条件に釈放せよ」、「香港市民は真の普通選挙がほしい」という横断幕を掲げた。
画像を見る
中国に拉致された経験がある銅鑼湾書店の林栄基・元店長(写真・武田信晃)
香港警察は、最後は公衆妨害罪で活動家らを逮捕。占拠していたメンバーは強制排除された(長時間拘束された後に釈放された)。後日、周庭に話を聞くと「昔から金紫荊広場を占拠するアイデアはあったのですが、実際に決めたのは前日です」。ちなみにこの広場は、返還式典が行われた「香港会議展覧中心(香港コンベンション・アンド・エキシビション・センター)」のパーティー会場から数分という近さだ。仮に習主席が目撃したとしたら、一体何が起こっていたのだろうか?
運命の7月1日を迎える
返還20年を迎えた7月1日、朝。占拠された金紫荊広場で国旗の掲揚式が行われた。そして、パーティー会場に場所を移し、返還セレモニーが行われた。ここで習主席は「中央の権力と香港基本法に挑戦する行動は越えてはならない線に抵触しており、決して許さない」と、独立の動きに対して断固たる姿勢で臨むことを鮮明にした。国旗の掲揚と式典は従来通り。習主席の独立へのけん制も本人の口からはっきりと出たというだけであり、ある意味「織り込み済み」で、これといった特別感はなかった。
そして、午後から行われる民主化を求めるデモにどのくらいの人数が集まるのかが注目された。従来、集合場所は銅鑼湾(コーズウェイベイ)地区にあるビクトリア公園の東側にあるサッカー場だが、今年はそこで香港政府による返還20年記念祝賀イベントが開催。中国のロケット「長征1号」が展示されるなど、デモの気勢をそいだ。結果、デモの集合場所は同公園の西側となった。
今回のデモの参加者は、主催者の民間人権陣線の発表で6万人、警察発表で1万4500人と前年を大きく下回った。デモでは、完全普通選挙の実施、1国2制度の維持の他、仮釈放されたノーベル平和賞受賞者の劉暁波に対し、「外国で治療を受けさせろ」と書かれたプラカードが多く見られたのが今年の特徴だった。
現場にいた30歳で教師のキースは「20年前の返還時のことは、小学生でしたが覚えています。今の方が息苦しいですね。林鄭月娥(キャリー・ラム)新行政長官が再び愛国心教育を推進すると発言しましたけど、私が学校で教える際には『事実は事実』として教えています。場合によっては私の考えを加えることもありましたし……。本当に繊細な問題なので難しいです」と教育現場の息苦しさを打ち明けた。
60代で、病院勤務の関淑貞は「とにかく香港政府のやっていることはほとんどがダメ。共産党による統治には反対だし、香港の『核心』的価値は守らなければならない」。習主席が「核心」と共産党に位置付けられたことをあてこすった。
国家主席は来港したけれど…
冒頭、香港は「商人の街」と書いた。筆者は習主席来港中、香港郊外のある企業を訪れたが、営業は通常通り。習主席が来港している緊張感などは全く感じられず、実際、話題にすらならなかった。関心はゼロと言っていいほどだ。デモの人数が予想を大幅に下回る6万人にとどまったのは、雨が降ったことや、「中国には何を言っても仕方ない」と香港市民が諦めてしまったという面もあるが、実際には(熱しやすく冷めやすい香港市民にとって)、ここ数カ月間は大きな政治的な混乱もなく普通に経済活動を行えているということが大きい。
香港は間違いなく経済的に中国に依存している。香港にも大挙して中国企業がやってきており、香港証券取引所にも上場している。ただ、経済的依存度のみで香港が中国化したと見るのは一面的だ。中国企業が、香港の商習慣に合わせている側面も無視できない。香港で会社を経営している筆者の感覚でも、中国企業が増えたからと言って香港内でビジネスがし辛くなったということは一切ない。〝法治都市〟としてもしっかり機能しているからだ。
中国政府が、香港のライバルである上海の金融規制を緩めれば、香港の金融都市としての魅力は少なくなるだろう。それは間違いないのだが、香港人は商人で強かで、お金への嗅覚には凄まじいものがある。現在、香港市内のあちらこちらに薬局があるが、それは「開けば儲かる」からだ。もし薬局で稼げなくなったら、違う商品を探せばいいと思っている。事実、10年ほど前には、CDやDVDを売る店が多かったが、動画サイトの普及等の影響で売上が激減。多くが薬局に取って代わった。さらに大きな視点で言えば、金融都市である香港は、昔は「海運の街」であった。香港フラワーでも有名だが、造花の産業も有力だった。
こうして香港の歴史を振り返ってみると、金融都市としての利点がなくなれば香港が衰退するということではなく、金融都市でなくなったとしても、次の産業を新たに作りだしていくと考えたほうが自然だ。
香港はなかなか赤くはならない
この先も香港は中国化が進んでいくのだろうか? 700万人の人口のうち150万人が中国本土からの移民だが、彼らは富裕層が多い。彼らがマンションを買うことで価格は高騰、この10年で3倍になった。
もちろん中国からの移民が来る前からすでに香港のマンションは高額だったが、普通の市民が仕事を頑張れば購入できるレベルだった。しかし今では高額になり過ぎて、香港市民がマンションを買うのは完全に〝夢〟になってしまった。
また、香港には多くの中国人留学生がおり、卒業後は香港の一流企業に就職することが少なくない。香港企業も中国本土とのコネを期待して採用を優遇する。つまり、香港人は就職でも厳しい立場に置かれている。
では、その後、香港に住み続けた中国人の富裕層と留学生の子どもたちの世代はどのような考え方になるかというと、彼らは香港で育つため、香港人的な思考様式になる。筆者の知り合いで、約40年前の6歳の時に北京から香港に移住してきた人がいる。彼女は移住してきたことを理由に差別を受けながらも、最終的には仕事で大成功し、3人の子どもにも恵まれた。しかし、その子どもは「香港人」なので、「中国人は嫌い」だという。
中国からの移民第1世代は、香港人との間に様々な摩擦が起こっているが、2世代目は香港人になってしまう。3代目はさらに香港人となるだろう。現在の中国人留学生たちの子ども世代は香港人なので、今の香港人のように就職に苦労することになるだろう。
外部のやり方はいつの間にか香港のやり方に組み込まれてしまうという奥深さ、懐の深さがあり、中国化については「3歩進んで2歩下がる」という状況だ。今後も政治的には中国政府に翻弄される事態が続くだろうが、1国2制度が終わる47年までは、香港は相変わらずの「商人の街」であり続けると思われる。(敬称略)
- WEDGE Infinity
- 月刊誌「Wedge」のウェブ版



